見出し画像

歳をとるごとにお米が好きになる話

「白米たべたい」
そう唸る人の多いこと。

お米好きの方々は、
本当にたくさんいらっしゃる。

「しろめしに味噌汁だ」
「卵かけご飯は正義だ」
「これだけでご飯3杯食える」
とか。


お米好きの方々は、
何かとご飯を物差しにして食べものの美味しさを語るのですよ。


そんなところ言いづらいけれども、
私は生粋のパン派。
小麦を練って焼いたり茹でたりした食べ物がだいすき。
そして、
ご飯は好きだけれどそんなに食べない。
これが、デフォルトで。


そもそも
子どもの頃からとても少食な私、
給食は半分残し
お家ごはんも、隙を見てお茶碗のご飯減らし
どこかへ出かけても
残す、残す、残す
とにかく食が細くて食べられない。
そんな少食な子どもにとって、ご飯は重量のあるヘビーな強者。

「しんどい」(子どもの頃の私)

それでも、
遠足のときお弁当に入っていたおにぎりは好きだった。
運動会のお弁当にも、おにぎりがごろごろ入っていた。昔の運動会だから、家族総出で参加する地域のイベントのようなものだったし、おにぎりの数は相当なもの。みんなで食べるおにぎりは、なぜかおいしくて。
それに、
自営業で忙しかった両親と朝ごはんを一緒に食べられなかった日は、母がおにぎりと玉子焼きを作ってくれていた。
子どもに合わせて作ってくれた小さなおにぎり、ラップをかけた大きなお皿の上に行儀良く並んでいるおにぎりを口にほおばると、それはそれはおいしかった。

ご飯時によそったご飯をコソコソ減らして、少しもご飯を食べない痩せっぽちの女の子だった私が、冷えたおにぎりだけはモグモグ食べた。
なぜかね、
とてもおいしく感じて。
その記憶は、今でも時々思いだす。

記憶のなかで特別な形状なのだろう。
私にとって
おにぎりは、おいしいかたち。


夕ご飯が苦痛だった子どもの頃。
あれからいくらか時は流れ、
気づいたら私、
完全なお米派になっていた。

それは、静かにしずかに
アハ体験のような
するりとすり替えられたように自然に、
本人の自覚なく
気づけば、ごはんを欲していた。


白いごはんがあると、しあわせ。
白いごはんに合うおかずがすき。
お味噌汁がすき。
苦手だったみそ味のおかずも好きになった。


ごはんが食べたくてお味噌汁を作るほど。
ごはんが食べたくてお漬物を作るほど。
ごはんが食べたくてふりかけを作るほど、だ。


食べることがとても好きになった今。
1人前を食べることが不可能だった小さな胃は、今ではぐんと成長した。
成長、してしまった。
何を食べても残すことはない。


それは、
食事のマナーとして「完食する」ことが全うできなかった昔の私からすると、とてつもなく素晴らしい成長で。

そして、抗えない成長で。

今は、
白いごはんがなきゃダメだってくらい。

もりもりのどんぶりだって、ペロリ。
おいしいってすごい。
おいしいをめいっぱい堪能できるってすごい。


歳をとると食の好みが変わるよ、と聞いていたけど、やっぱりそうだったか。
スィーツばかり食べていた頃がなつかしいほど、
白いごはんは無敵。
現在の自分の食は、白米がないと語れない。


これからきっと
ごはん記事は増えるだろうな。
おいしいは大切。
いつだって、心の支え。


今日も明日もしあわせに過ごす定義のひとつ、
おいしく楽しく食べる。


しろめしにはやっぱりお味噌汁だね
さあ、お味噌汁作ろ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?