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日常に何となく存在するパーソナルスペースとは?不便さを考えていたら違う重要なことに気づいてしまった話。


うちのダイニングテーブルは、
ほぼカフェ状態の
ちいさなテーブル。

私は大きなダイニングテーブルが大好きなので、
購入時に夫に申し出はしたものの
お互いのすり合わせによって、
夫の意見が9割近く取り入れられた。
残り1割は、私の希望する
デザイン。

うん。
とても気に入っているよ、今も。
しかし、ちいさいよね。


素敵なテーブルではあるのだけれど、
ごはんをたくさん食べたい私からすれば
とにかくサイズが足りない。
でも、
そのおかげでお部屋はひろびろ。
床面積が増えてスッキリ。


食事時に、
どうにかうまく並べないとお皿や器がすべて乗せきらない。
これは、今となっては
やはり致命傷に間違いなく。
毎回、
ワンプレートにしたり
品数を減らしたり
コンパクトな器をギュッと並べたり。

それはそれは苦労してます。


デザインが取り入れられたのに1割なの?
そう思うかもしれないけれど、


そうなんです。


私にとって
ダイニングテーブルはサイズが命!
たくさんのお料理を並べたい
しかも、それを並べても空白があるゆったりと余裕のあるスペースで過ごしたい
大きなテーブルはなんだか落ち着く
とか、理由はわりとある。

私には、重要な理由です。


それでも
最近になって、新しい視点にたどり着いた。

このちいさなテーブルは、
家族のパーソナルスペースを築いてきた大切な家具かもしれない。


食事時、
お茶やコーヒーを飲む時間、
テレビを見てる時、
ちょっとしたおやつやスィーツを食べたりする時、
このテーブルで
ぐんと距離の近い時間を過ごしているな、と。

人にもよるかもしれないけれど、
今、私の生活の中で
家族との距離感はとても近くて
家族との共有パーソナルスペースは
とても狭い

そのことに
このテーブルを購入して何年もたって
じんわり気づいてきた。


これは、夫が持つ家族への希望が詰まってるの?
いや、未来の家族のかたちを見越した夫の作戦なのか?

…ではないでしょうね笑。
単に、
大きなテーブルは必要ない、との考えでしょう。

「大は小を兼ねる」の感覚を持たない人なので。


「無駄は持ちたくない」
「必要だと感じてから手に入れる」
私とは違う天然ミニマリスト。
昔から、意識もなくその考えらしいので。


私はというと
「大は小を兼ねるけれど、小は小で必要」のタイプ。
「無駄な空間ほど心癒される」
「大きさとは気持ちのゆとり」
そういう人から見れば、
なぜ必要最低限のサイズを選ぶんだろ?
に過ぎません。


今でも食事時には、
むう…となります。
なにせ、ちいさいですから。
便利か不便かと言えば、
すこぶる不便。

肘も当たるし、
肩もぶつかる。
お部屋はそんなに狭くないのに、
どうしてちまちま食事をするのだろう。
と思えてくる。
今もやっぱり感じること。


それでも、
毎日そのテーブルでご飯を食べて
お茶を飲んだりします。

近眼だろうが老眼だろうが
よく見える距離です。

夫の白髪が見える距離。
きっと、私の衰えも見えすぎる距離。
子どもの表情を間近で見ながら恋愛話を聞くんです。

ま、いっか。

いや、いいのかも。



何となくここ最近
パーソナルスペースのことを感じていて。
悪くないんだな、と。

自分の価値観はゆずれないけれど、
誰かのこだわりの価値観に身を沈めるのも
まあまあ良いのかも。
そんなふうに思った自分に、今日も人間の変化というものを感じています。

成長は歳をとってもできるわ。
大したことじゃないことを成長と呼んでもいいなら、私は結構成長株です。


これは、けっして
好きなサイズのテーブルが買えなかった恨みをつらつらと愚痴る内容ではなくて、
自分の意見をすごくすごく折れて相手に合わせたら、自分の知らなかった良い点に気づくことができたから、人に合わせると世界が広がって良い時もあるんだって。の話です。

けっして愚痴じゃありませんて。


でも、
次回テーブルの買い替えの話が出たら、
間違いなく
大きなダイニングテーブルを買いますよ。

いや、絶対にです!😊


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