理由がないことが感動する

私はほぼすべてのことをメリットデメリットで考えている。ボランティア等についても、相手に対して感謝されたり、地球に対して自分が良いことをしているという感情を持てるというメリットを享受していると考えてしまう。お年寄りのおばあちゃんの荷物を持ってあげるのも、しなかった場合の後悔の解消であったり、自分のことをいい人だと思えるというメリットがあると思っている。

性格的には嫌なやつだが、これはメリットデメリットをどこの範囲まで広げ、どこまで言語化するかの話なので、大して重要な話ではないと思う。

ただ、そんな私であってもメリットが本当にわからない行動する人を見ることがある。そういう場合に私はとても感動する。つまり、感動する条件は理由がないことなのだと思う。

理由がないと言うのは、脳死で何も考えないと言うことではない。理由がないという厳密な制限である。つまりメリットも、何の理由も相手に悟られてはいけない。副業系の人たちが善意100%でやってますなどでは甘すぎる。結局自分の収入に繋げたかったり、SNSのフォロワーを増やしたいという思いが滲み出ている。

そんなものではなくて、デメリットが大きすぎるような、しかし自分に周りにメリットがある行動する人に対して、私は感動するんだと思った。

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