見出し画像

Because of you 3/5

スパイファミリー。ダミアニャ小説です。

【DAMIANside】
すよすよと、真っ白いベッドで眠っているアーニャのそばに腰をかける。その流れで、彼女の頬にそっと手をそわせた。すっぽりと覆い隠してしまうその小ささに、愛おしさが込み上げてきて、ぐちゃぐちゃにしてしまいたくなる。しかし、そんな思いとは裏腹に、まるで壊れ物に触れるようにアーニャの頬を包んでいた。赤らんでいた肌や呼吸が大分落ち着いてきたようで、ほっと安堵のため息をつく。
だが、アーニャの白い腕には、しばらく消えないであろう点滴の跡が、ぽつぽつと残っていた。そして、今も管が通っている。
痛々しいアーニャの姿に、胸が苦しくなる。
規則正しい心電図のモニター音が、頭の中を罪悪感で埋め尽くしていった。

ごめんな、アーニャ。
俺のせいで、こんな目に遭わせて、ごめん。

♦︎

思い出すのは、11年生に進級してから迎えた夏休み。
ダミアンが実家に帰省した時、父ドノバンと遭遇した。何年かぶりに父に会えて、ほんの少し気持ちが弾んでいたのを今でも覚えている。全体の成績が、トップ10に入り続けていることや、弁論大会で優秀賞を受賞したことなど、皇帝の学徒になったこと以外にも、父に喜んでもらえそうな良い報告が沢山あったからだ。僅かに期待の気持ちを膨らませながら、父上、と呼びかけたところ、ドノバンが口を開いた。

「ダミアン、卒業後はどうする予定だ?」

突然の質問に、ダミアンは少し逡巡した。

「ち、父上のような立派な政治家になりたいと考えています」
「……そうか」

ドノバンは、ダミアンから視線を外し、窓ぎわへと歩いていく。じっと外の景色を眺めて、やがてダミアンへと振り返った。

「今、我が国では、西国へと向かう人の流出が絶えない。巨大な壁を建設したとしても、抜け穴を潜って国民が出ていこうとするのだ。このことについて、お前はどう考えている?」

思いがけない質問にダミアンは、息を呑んだ。時計の針の音がやけに大きく脳に響いてくる気がした。

「それは……私自身まだ勉強中の身ですので、今はお答えできかねます。良ければ、父上のお考えを「何も答えられずに、政治家になりたいと、言っているのかね」

ドノバンは、フゥとため息をついた。彼の眉間の皺が深くなっていくのを見て、背中に嫌な汗がにじむ。重たい沈黙が、実務的で殺風景な部屋を覆った。
ドノバンは、再び窓の外へと目をやる。

「デミトリアスは、お前と同じ歳の頃、自分の考えている政策だけでなく、グループの中で行う事業計画、これからの国際情勢についても弁舌をふるってきたがな」

そう言ってから、ドノバンが振り返ることはなかった。
ダミアンは、悔しさを通り越して、怒りを感じていた。
それは父でもなく、兄でもなく、無知で無力で無責任な、“自分”に対する怒りだった。

トップ10に入ったからどうした?弁論大会で優秀賞?そんなのは、父上にとっては”出来損ない“。皇帝の学徒であること、常にトップ、最優秀賞をとることこそ、”当たり前"だ。こんなんで、認めてもらえる訳がない。分かってた……分かってた、はずなのに……。

ダミアンは、涙ぐみそうになり唇を噛み締める。ダミアン自身も、そんな“出来損ないな自分”を決して許せなかったのだ。

この日からだった。狂ったように勉強し始めたのは。
ユーインやエミールに、「せっかくの夏休みだし、たまにはどこかに出かけましょうよ」「ダミアン様、息抜きしませんか?」と声をかけられることもあったが、全て断っていた。卒業まであと2年半しか残されていない。とにかく時間がなかった。
だが、情報を得れば得るほど、学べば学ぶほど、ドノバンやデミトリアスの政治思想・経済体系には大きな欠陥があることや、ドノバンの不正に気づくことになった。これからも、デズモンド家の一員として生きていくべきなのか。それとも、デズモンド家から独立すべきなのか。どうすれば、東国と西国を平和的に統一できるのか。終わりのみえない迷路の中を彷徨っているようだった。だけど、どう動こうとも、必ず“知恵や知識”が求められることは、よく理解していた。まだまだ未熟な自分には、勉学に励むよりほかなかったのだ。

この頃、世界中で変化が起きていた。東国と深い繋がりがある大国イグニスが、西国と同じ陣営の大国ルーナとの軍拡競争で、経済的に大打撃を受けたため、必死に立て直そうとしていた。その影響もあって、国内でも日に日に拡大する反政府デモで混乱しつつあったのだ。国家統一党総裁の息子であるダミアンにも、反政府側の生徒による攻撃やいじめがあるかと予想していたが、アーニャが未然に防いでいてくれていたおかげで、平穏な学生生活を送ることができた。
しかし、卒業までに腹を括って政治家になる覚悟もできず、アーニャとまともに話すこともなく、バーリント大学へと進学することになった。
大学では、政治や経済について、密かに論じ合える教授に恵まれ、自分の中で、さまざまな思想や政策が確立されつつあった。ゆえに、たとえ政治家になったとしても、ダミアンは、間違いなく西国側の肩をもつことになる。しかし、ダミアンには、ドノバンやデミトリアスに対抗する勇気はなかった。重たい足かせをはめられているように、身動きを取れないでいたのだ。ただ、空いている両手で、西国側にパイプをもとうと必死にもがくことしかできなかった。

そして、大学へ進学してから、ちょうど2年半くらい経ったある日、ドノバンに呼び出された。

「おお、ダミアン、待っていたぞ」

ドノバンには珍しく、にかっとした笑顔でダミアンを迎える。しかし、どこかで見たことのある顔ぶれを前に、金縛りにあったかのように体が動かなくなった。

「アルボル国のベルツグループ会長夫妻と御令嬢のレベッカさん、お前の婚約者となるお方だ。さあ、挨拶しなさい」

ドノバンは、穏やかに微笑んでいるようにみえた。でも、目は笑っていなかった。

ベルツグループは、アルボル国の信託銀行や証券会社、資産運用会社などから成る総合金融グループだ。デズモンドグループとベルツグループの、ひいては、東国とアルボルの政治的、経済的繋がりをより強固にしたいというドノバンの魂胆が見え透いていた。統制経済、官僚主義のもとで硬直した東国の経済悪化は著しく、藁にもすがる思いで、経済支援を仰いでいるのだろう。

ダミアンは、目の前が真っ暗になった。どうやら、黒い海に突き落とされたようだ。
ざばんと、水しぶきをあげて、落ちていく。落ちていく。足を動かしてもうまく泳げないどころが、重たい足かせがより暗いところへと引っ張っていくように体が沈んでいく。息がうまくできない。ダミアン君、私の娘をよろしく頼むよ、結婚式は1年後に挙げましょう、その前に婚約パーティーを開きましょうよ、わたくしとダミアン様の友人や知人も招待したいですわ……いろんな声がした。だが、水の中で、それらの声は、くぐもってよく聞こえない。自分がどう返事をしているのか、うまく話せているのかどうかすら分からなくなった。
ダミアンを置き去りにして、どんどん話は進められる。ドノバンから、時折向けられる威圧的な視線に、一瞬だけ現実に引き戻されるが、それも全て、底へ、底へ、誰にも手が届かぬところへと落ちる速度を速めるだけだった。
しかし、アーニャをリストに入れることだけは忘れないでおこうと思った。6歳から18歳までの長い時間を共に過ごし、心を許していたアーニャを、いつでも鮮明に思い出せるよう、目の裏に焼き付けておきたかったのだ。

そして、迎えた当日。
ダミアンは、髪を肩下までゆるく巻いている桃色の後ろ姿を見つけて、思わず声をかけてしまった。アーニャを目の前にした途端、今まで押さえつけていた何かが、まるでダムが決壊したかのように溢れ出し、心のうちに広がっていく。
どこかぎこちない笑顔のまま、立ち去ろうとする彼女を呼び止めたが、ぶつかった切なげな瞳に、ダミアンは動揺した。
必死になって、アーニャに手を伸ばしたが、それを妨害するかのごとく、他のゲストが割り込んでくる。
振り返らずに、遠く離れていく彼女の背中。

(アーニャ……)

孤独な海底は、氷のように冷え切っていた。そこは、伸ばした手すら全く見えないくらい、闇にのまれた黒い空間だった。

「ダミアン?どうされましたの?」

レベッカが眉をひそめて、ダミアンの顔を覗き込む。ダミアンは、パッとビジネスライクなスマイルに切り替えて、答えた。

「ああ、すまない、レベッカ。久しぶりに友人と会えたから、もう少し話せたら、と思っただけだ。ほら、人民議会副議長のクリスティ様がお見えだぞ」

不服そうなレベッカを尻目に、クリスティと挨拶を交わす。ダミアンに絡みつく彼女の腕が、少しだけ強くなった気がした。

ああ、来年には、レベッカと結婚するのか。
父上には逆らえない。それに、きっとこれからも、父上に認められることはないだろう。兄貴と同等か、それ以上にならない限り。
俺は、デズモンドの名に縛られて生きていく運命なのだろうか。東国を平和に導くことすらできずに。
今日が終われば、もうアーニャとは会えなくなるかも知れないのか。

頭の中は、服が乱雑に掛けられたクローゼットのように、整理されないでいた。

しかし、アーニャの倒れる姿が視界に入った瞬間、漂っていた思考が全て消え去った。気づけば、体が動いていたのだ。
彼女が毒にやられたことは、症状を見てすぐに分かった。
アーニャがいなくなった世界など、生きている価値はない。そう思ってしまうほどの絶望感と、心の奥から突き上げてくる独占欲に襲われ、足を早めたのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?