10ダルクと子守唄 2/9
スパイファミリーの小説です。家族愛をテーマにしています。
バーリント、バー
ジャズのミュージックが耳に心地よい。ざわざわと程よく賑わっている店内の雰囲気も気に入っていた。髪も髭も眉毛までも白いマスターが、ロイドとヨルに穏やかな笑みを向ける。
「ボクは、いつものスコッチのボトルを」
「私は、レッドクイーンをお願いします!」
お互いに飲み物を受け取ると、乾杯とグラスを鳴らした。
「ヨルさん、今日もゆっくり味わいながら、飲むようにしてくださいね」
ロイドは昨年の失態を思い出して、なぶるように言う。
「は、はい!肝に銘じておきます!」
「からかってすみません。ボクも気を付けます」
ここも実は、WISEの管理下にあるバーだが、初めてヨルとここへ来た時に、一悶着があった。ロイドは、シルヴィアにとがめられ、後日2人で謝りに行ったのだが、マスターは嫌な顔ひとつせず、また羽を伸ばしにお越しください、と微笑んでくれたのだった。それから、3ヶ月に一回くらいのペースで、このバーに来ている。もちろん、夫婦2人で。今日もアーニャの子守は、フランキーに任せてあった。
「ヨルさん、いつも家事と育児をありがとうございます」
ロイドの決まり文句だ。もちろん、ヨルに心から感謝しているからこそ、こうしたタイミングで伝えておきたい言葉だった。
「いえいえ、私の方こそ。いつも、ロイドさんに迷惑をかけてばかりで申し訳ないです」
ヨルは少し顔を赤らめながら、俯く。迷惑ならボクだってたくさんかけていますよ、とロイドは微笑んだ。彼女の謙虚な姿勢は、素直に好ましいと思った。
2人の関係(契約結婚)は、出会ったころから変わらず、どこか距離感があるままだが、2人の間に流れる沈黙には、ほんの少しだけ甘い雰囲気が混じっているように感じた。
しかし、「マスター!バーボンのロックを」どかりとロイドの隣に腰を下ろした男の声で、心地よい沈黙が壊れた。
ロイドはちらりと男を盗み見る。
固く締まった腕。小麦色の肌。金色の筋が混ざっている白髪。軍人か?
少し警戒しながら、顔を覗きみようとした時、自分と同じスカイブルーの瞳にかち合い、どきりと心臓が高鳴った。
「よっ!」
男はにやにやと笑った。しまった、探索しすぎたか、とロイドは肝を冷やした。だが、男は気にするそぶりを全く見せず、俺たちの出会いに乾杯しよう、と強引にグラスを鳴らしてきた。男のアメリカ式のイングリッシュには西国の訛があり、少し懐かしさを覚えた。以前どこかで会ったことがあるような、妙な感覚が押し寄せてくるが、記憶のリストに男の情報はなく、気のせいだと頭の外に追いやった。
「兄ちゃん、名前は?」
「……ロイド・フォージャーと申します」
「よろしくな、ロイド!」
男は握手を求めた。ロイドは渋々それにこたえる。
「あ、あの……ロイドさん……」
ヨルが控えめにロイドに声をかけると、男は、ああっと驚いた顔をした。
「これまた、失礼。夫婦?水入らずのところにお邪魔しちゃったわけだ」と言い、肩をすくめる。
全くだ、とロイドは心の内で呟いた。しかし、ヨルはこの男に嫌な気を抱いていないようで、いえいえお気になさらずに、と微笑んで言った。
「マーム、あなたは?」
「ロイドさんの、つ、妻のヨル・フォージャーと申します」
「ヨルさん!会えて嬉しいよ」
なんでヨルさんだけ、さん付けなんだ、と心の中でツッコむ。ヨルは礼儀正しく少し頭を下げる。ヨルの印象が良かったのか、男は機嫌良さげに、一層強い力で握手したように見えた。
「そうかそうか。優しそうで美しい奥さんだな、ロイド」
馴れ馴れしく話しかけてくる男に、ロイドは眉間に皺を寄せた。ヨルは褒められたことが嬉しかったようで、顔を赤らめて視線を落とした。
しかし、「2人は、どこの生まれだ?」と聞かれた後からは、質問の嵐だった。「職業は?」「なれそめは?」「子どもはいるのか?」「その子は何歳だ?」男が気になったことは、矢継ぎ早に聞いてきた。
ロイドは、はじめ不躾な奴だと嫌厭していたが、男の軽やかトークと返しに、いつの間にか3人で会話を楽しんでいた。質問を返したり相槌をうったりしながら、ロイドは、頭の中で男の情報を軽くまとめる。
男の出身はアメリカ。家の事情で、幼い頃に西国の都市にある学校に通っていたため、西国訛りになってしまったらしい。離婚したてのシングルファザー。子どもは8歳。アメリカの親戚に預けているという。職業はシェフ。あるホテルからオファーがあり、入国してきたそうだ。
信用できる情報ではないが、悪い奴ではないだろう、というのが黄昏が分析した結果だった。
今はお互いの子どもの話をしていて、女子トークのごとく盛り上がっている。
男の子供は、いたずら好きな男の子らしい。名前はジョン。
寝てる間にマジックペンで顔に落書きをされ、そのまま出勤したとか、野菜やトイレットペーパーといった消耗品にまで可愛らしい顔を描くから使うのを躊躇ったとか、心が温まる上に、思わず笑ってしまうような話をたくさんしてくれた。いずれもジョンが今よりも幼い頃の話だった。
男は3杯目のバーボンのロックを頼み、ため息をつくと、懐かしむように遠くを見つめていた。
「俺にはよー、悪い癖があって、かっとなったらすぐに手が出ちまうんだ。そんで、後になってからひどく後悔するんだよなあ」
「わかります、わかります。私も後になって、もっと他の言い方があったんじゃないか、言い過ぎたんじゃないかって、よく後悔します」子どもに伝えるのって難しいですもんね、とヨルは男に共感する。男は、ヨルの言葉にそうそうと頷いた。
「子どもには、食べた後の食器を洗えやら、勉強しろやら要求してばかりいるくせに、親は、子どもが1番求めているものには出し惜しみしてしまうんだ。全く情けないものだよ」男は、しゃがれた声で切なげに笑った。「ただ元気に生きていてくれれば、それでいいのに」頼りなさげな調子で、独り言のようにつけ足す。
「なあ、ロイドとヨルさん」
男の改まった声に振り向くと、そこには真剣な顔つきがあった。男につられて、ロイドもヨルも表情が引き締まる。
「相手の良いところも、悪いところも全て受け入れて、失敗しても許すってのが、愛するってことなのさ。それが教育の原点になる。だから、ロイドもヨルさんも、アーニャちゃんをいっぱい愛してやってくれ」
2人がその言葉を反芻する間に、男は、司祭にラテン語を教えるものか、と重たい空気を打ち切るかのごとく一笑した。しかし、ロイドは真剣な声色で返した。
「ジョンくんは、とても幸せだと思いますよ」
本心から出た言葉だった。
「あなたに愛されて」
男は、はっと息を呑む。
ほんの5秒くらいの沈黙だったが、ロイドには1時間経ったかと思うほど長い沈黙のように感じた。
「そうだといいな」男は感慨深く溢した。
それから、残ったバーボンを一気に飲み干すと、ロイドとヨルに追加の酒が欲しいか尋ねた。ヨルは、すでに3杯飲んでいたため、ロイドの本心としてはこれ以上飲んで欲しくなかったが、男に遠慮するなと言われて、ウォッカのストレートを頼んでいた。ロイドは、内心、このタイミングでウォッカ頼むの!?しかもストレートで!?とツッコみながら、終わった、と絶望感に襲われた。
数分後。案の定、ヨルが壊れ始めた。
「ほんっとに、愛情深いおとおさん、ですねぇ」
「おとおさんと今日、話せてよかったですぅ」
「ヨルさん、嬉しい言葉をありがとう」
えへへ、ウォッカおかわり〜とだらしない表情で言うのを、ロイドが止める。代わりに、ヨルに水を手渡すが、飲む勢いがあまって、服がびしょ濡れになる。あーっとロイドは額に手を当てた。それから、ハンカチを取り出すと、手際よく拭ってやった。酔っ払ったヨルが、ロイドの腕に擦り寄る。
男は2人の姿を見て、にやにやと笑う。
「仲良しで結構なことだ」
ロイドは、すみませんと妻の失態を謝ると、「酒はその人の本性を暴くいうが、ヨルさんはホワイトだな」と、豪快に笑いながら言った。多分、男も酔っている。ヨルはとうとう机に突っ伏して、眠りに落ちてしまった。まあ、殴られるよりはマシかと、ロイドはいろいろ諦めることにした。
「俺はそろそろお暇するよ。今日は、ありがとう。本当に楽しかった。2人の邪魔をして悪かったな」
「いえ、こちらこそ、あなたと過ごせて楽しかったです。ありがとうございます」
「ってことで、今日は俺の奢りだ。罪悪感があるんだよ、わかるだろう?」にんまり笑い、異論は認めん、と付け足す。とても罪悪感がある顔には見えなかった。
ロイドは唸った後、ご馳走していただきありがとうございます、と素直に男の好意を受け入れることにした。男は満足げに頷き、そのまま立ち去って行った。
レザー調アタッシュケースの裏底に仕掛けてあった、小型の盗聴器。
男がそれを巧みに取り除いていたことを、ロイドは気づかないでいた。
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