子供をもつことは娯楽だと思う

本日のタイトルはかなり語弊を招くと思う。
先に言っておくと、子供を産むということは大きな責任を伴うことだと思うし、私は子供に恥ずかしい生き方はしてはいけないと存じている。
子供に胸を張れないことはするべきではない。
それは子供をもちたいと夫婦で話し合った時に、併せて話し合った議題である。

誤解を招かないように本文を書いていくが、私の伝えたいこととあなたの受け取り方に齟齬が生じたならば申し訳ない。
子供をもつ、もたないの話題というものは、誤解が生じやすいデリケートな話題だから。
それでもなお今日この話題に触れるのは、私がうちの子供についてしっかりと考えているからこそであると理解してほしい。

さてでは「子供をもつことは娯楽」とは実際に何を指しているのか。
これはあくまで私の考えである。
私の経験に基づいた話であるから、子供をもたない夫婦についての他意があるわけではないことを先に述べておく。

「子供は育てることにお金がかかる」というのが世間の常識である。
調べると色々な話が出てくる。
0歳から22歳の大学卒業まで育てると2000万やら3000万やら言われているらしい。
とにかく途方もない金額で、お金の問題で子供を諦める夫婦も多いらしい。

また、インターネットを見ていると年収1000万を超えている家庭でも子供2人だとカツカツだという話である。
これは本当かどうかわからないし、どこに住むか、どのような生活でカツカツと言っているのか詳細がわからないのでなんとも言えないが、SNSでも「だからもっと子育て支援を!」と言っているアカウントも多々存在する。

さて私の場合だが、確かに、まず産むまでに検診やら分娩費用やらで20万は消えていった。
うちの子供(ややこしいので、以下、Aとする)の時はつわりが比較的楽でなんでも食べることができたのでつわり費(勝手にそう呼ぶことにする)はかからなかったが、今回の妊娠ではつわりがきつく食べられるものは果物に限定された。
加えてカットする元気もないので、ただ口に運ぶだけで良いカットフルーツばかりを食べていた。
よってつわり費もまぁまぁかかった。

産まれてから数ヶ月はミルクで育てるならミルク代、オムツ代、雑費、離乳食がはじまると離乳食を作るための機械や、出来上がっている瓶詰めなどを買うことになる。
それもまぁまぁの出費である。

そして最近のAは食べる量も増えてきて、自我も出てきたので食費、おもちゃ費がかかっている。
おもちゃなど増やさなければ良いと思われるかもしれない。
しかし、最近だと児童館で図鑑を目にしてから恐竜に突然目覚めたのだが、うちには本もなければ恐竜のおもちゃもない。
夫婦で話し合い、好きなものを伸ばしたい、与えたいと思い、図鑑やおもちゃを少しだけ増やした。

このように毎年地味にかかるお金は増えていくらしい。
確かに、夫婦のみで暮らしていた時より出費は増えているから、その分欲しい服やコスメ、旅行なども(コロナ禍だし)無意識に我慢していることも多いし、自分たちのために使える時間も大幅に減っている。
ただ、このお金や時間は、とっても有意義なお金であると私は日々感じている。

なぜかというと、Aが存在して健康で幸せそうで笑ってくれているだけで幸福を感じているからなのだ。
夫婦だけの時には感じなかった気持ちである。
こればっかりは感じられる親と感じられない親がいるようだから、親になってみないと自分がどちらかはわからないだろう。
(実際に、私の周りで「産んだことを後悔してる」とため息をついている親も何人か存在している。私は感じたことのない気持ちなのだが、反対に私の幸福を感じていると言う気持ちも相手は感じたことがないと驚いていた。)

今の私は、Aに使う5000円と、子供がいなかった時に自分に使った5000円と、両方の経験をしたことがある。
これも人によるらしいので、あくまで私の意見だが、どちらがより価値のある5000円だったか?と問われると間違いなくAへの5000円だ。
Aがいる生活は、今までの生活に比べてあまりにも忙しくとても疲れるが、感じたことのない充実感と満足度を感じている。

今までの私は、どこか限界を感じていた。
自分のポテンシャルも20年ほど生きると限界が見えてくるというか、見た目にいくらお金をかけても上限はあるというか。
例えば1000円かけた時と10000円かけた時ではそれは仕上がりが違うのだけれど、10000円と50000円の違いは上記のほどではない。
50000円と十万円の違いも、確かに違いはあるが微々たるものというか。
結局は限界を感じて、着飾ることもあまり楽しくなくなっていった。

要するに、年齢を重ねるにつれて自分をかまうことに疲れて、飽き飽きしてきたのだと思う。
周りと比べても意味はない。
でも、自分の見た目や中身をかまっても楽しくない。
たとえ100万円使ったとしても、楽しくないから虚しさが残る。

でもAにかけるお金に上限はない。
見た目は最高に麗しいし、着せる服をもう十分持っているなら今度は知識を増やしてあげたい。
図鑑は何種類あっても学びがあるし、スクールや習い事などに通わせる選択肢もある。
100万円あったら何をさせてあげられるだろう!
考えただけでワクワクする。

この話は、実は、子供でも良いし、犬でも猫でも植物でも野菜でもいい。
なんでも良いが、自分が「最高に手間暇をかけて育てていける存在」が人生に加わると、とっても楽しくなる。
楽しいは即ち趣味、娯楽をする一番の理由だ。
そして、子供はその中で一番長く楽しめてリターンもあり大変コスパの良い娯楽だと思う。

なぜなら、まず順当に育った時に生きる年数が長い。
表情豊かだし、予測がつかないし、何を考えているかわからない時期、意思の疎通ができてきた時期、自我が強くなる時期、反抗期、思春期、青年期、とさまざまな時期を楽しめるのでマンネリがない。

そしてリターンというのは、将来面倒を見てくれるとかではなく、「もしかしたら結婚して子供をもうけて孫を見せてくれるかもしれない」という宝くじ的なおまけがあること。
それがなかったとしても、20歳を過ぎても一緒に買い物や旅行に行ってくれたりするかもしれない。
ずっと一緒に暮らしてくれるかもしれない。
何より、自分よりも長生きしてくれる確率が他の生き物よりもずーっと高いのだ。

その分お金もかかるし出産の痛みもあるし、反抗期は傷つけ合うこともあるかもしれないし、犯罪に巻き込まれるリスクもある。
それでも、それらは交通事故に巻き込まれるかもしれないから車に乗らないというレベルのリスクだと、今の私は思う。
この先実際に反抗期などに入ったら、予測できない変化を迎えたAに困らされることもたくさん出てくるかもしれないが。

しかし今の私はとても幸せなので、やっぱり子供をもつことは最高の娯楽なのでは、つまり、子供と過ごす人生は最高な人生なのではないか、と感じている。
お腹の子にも早く会いたいと思う。

※この記事は、いわゆる「子供がいない夫婦に成長はない(実際に子供がいない時期に、何度も何度ももう少し酷い言葉で私が言われてきた言葉である。世の中にはこういう酷い人もいるんだよね。)」というような選民意識からきた話ではない。
私が体験している、「子供と過ごす毎日を愛している」という感情をただただぶつけただけの記事である。※

※私は、子供と過ごす人生も子供をもたない人生も、どちらも素晴らしいと思う。
基本的には何に対しても、持つか持たざるかではなく、その人の楽しむ能力で決まると思っている。
しかしながら、趣味も楽しみもない、毎日同じ、人生に停滞を感じているという方は子供を持つとそれが変わるのでおすすめする、それは子供でなくとも犬でも猫でも良いが、つまりは自分以外の何か生き物に手間暇をかけることが人生のきっかけになるものだ、ということを書きたかった。
それを踏まえた上で、選ぶことができるなら子供を持つとこんなに楽しいと感じる人もいるということを伝えたかった記事である。※

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