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大文字駅伝は廃止されて正解だったと思う当時陸上部に入っていた陰キャの話

小学生の時に京都に住んでいた人以外にはいまいちピンと来ないであろう大文字駅伝という言葉

簡単に言うと2月に開催される小学生が参加する駅伝で、それはそれは盛り上がるし、KBS(京都の地元テレビ局)も撮影にくるぐらいのイベントだ。

そんなイベントも2020年で廃止された その背後には「練習の過熱化」があったらしい。
僕から言わせたら「今更?」と思うことだし、Twitterで「大文字駅伝」で検索しても出てくるのは廃止を惜しむ声が多数だった。

だが待ってほしい、その練習の過熱化が原因で深い傷を負った生徒もいるのではないだろうか。
今回はそんな 大文字駅伝常連校の陸上部に入ってしまった陰キャの話

小学6年生の私

小学5年生の私はゲームが好きで女子からはあまり評価が高くない生徒だった。それでも自由帳でオリジナルボードゲームモドキを作っては友達と遊ぶごく一般的な男の子だった。

週末は地域のサッカークラブでサッカーをする それも対して上手くない…そんな程度の本当に普通の男の子だった。

そして迎えた小学6年生 もう記憶が朧気だが、両親に陸上部に入ったら?と勧められたのは覚えてる。
…当時うちの小学校は大文字駅伝決勝常連校だったし、所属しているだけでスクールカーストもママ友カーストも上がるような存在だった。

そういう意図があったのかは不明だがとにかく勧められたし まぁ入ってみるかと軽い気持ちで承諾した。走りが早くなったらモテるかもしんねーとかアホなことを考えてたのかもしれない。

最初は優しく…

入部した4月頃の練習は50m走何セットとかそういう単純で軽い練習内容だった記憶がある。「あーこの程度なら自分も着いていけるな」と安心した。
ちなみにこの当時の私は月水金と陸上部 火木は公文式 土日はサッカーとわりとハードな生活を送っていた。だからこそこの程度の練習量でそれでいて体が動かせるのは悪くないなーと思っていたわけである。

そんなゆったりとした練習が続くこと2ヶ月ほどでいきなり陸上部の練習がギアを上げてキツくなる。
「今日は学校を出て練習する」
先生のこの言葉に「は?」と思った。放課後で?今から?
そんなこんなでいきなり長距離走の練習が始まった。
さらにいうとここから朝練も始まった。
「参加したい人だけ参加したらええから」
っと先生は言ってたので朝から走りたくねぇという自分はほとんど朝練には参加しなかった。

月月火水木金金

朝練と放課後の遠征でいよいよ怪物の正体を表してきたが当時の自分は「まぁこれならいけるだろ」という考えだった。
なぜなら火曜日と木曜日は公文式に行くという言い分で正当に休むことができたし、土日はサッカークラブがあったからだ。
ヘッタクソだったけどサッカーは楽しかったし、やりたくもない陸上部の長距離走の練習で確実に体力は増えていたので下手くそだけどプレイは上達していたのも楽しさの要因だった。

そんなこんなで冬休みに突入する。ここで顧問の先生に呼び出されて言われたことは衝撃的すぎて今でも鮮明に覚えている。

先生「冬休みは毎日朝と夕と練習するで。」
僕 「!?」
先生「大晦日も元旦もやるで」
僕 「!?」
先生「ところでA!(僕とは違う生徒) お前冬休み家族と海外旅行行くらしいな!」
A  「はい」
先生「旅行と陸上どっちが大切なんや!」


huh?

ここでいよいよ「この部活やばくないか?」という疑念が確信に変わったわけである。
よくよく考えたらサボった部員の情報が顧問に次の日の昼休みには耳に入っているというシステムや 休みなく練習するというのもおかしい話じゃね?と気づいたのもここ

そして学校全体が「なんとしても優勝!」という雰囲気に飲まれているのも異様だった。担任に「陸上部を辞めたい」と相談したその次の日には顧問に呼び出されて説教されたのもどう考えてもおかしかった。

こんな環境で「こんな部活にいられるか!私は抜けさせてもらう!」ができるなら今頃私は立派な社会人になっていただろうが現実はそうではない。

要領も良くない当時の私が唯一取れる手段が「サボり」だった。
ただし家族にも友人にも見つかるわけにもいかなかったから、家族には午前に毎日練習があると嘘をつき、家を出て、3時間程誰にも見つからないようにそこらへんをブラブラする生活が始まった。

…結局大晦日前日に父親に見つかり全てを話した時には「気づいてやれなくてすまん」と私を許してくれた。

地獄スタート!

さて冬休みが明ける。
そして昼休み
「陸上部の生徒は私の教室に来てください」

さぁ小学生解体ショーの始まりや
ここで他の生徒がいる中で私だけ立たせてサボった理由を尋問してきたのだ。
そこから私のサボったという噂は学校全体に広まり、いよいよ味方をしてくれる人はいなくなったのだ。笑える。

こんな状態が大文字駅伝が終わるまで続いた。

結局お前がサボったのが悪いんじゃねーの?という話で「まぁそうだね」となるが、一つ言わせてほしい

あまりにも練習量がおかしい

まだ自分の意志でハッキリと決められない年頃 小学校という閉塞された空間 教師という絶対的存在 これらに「NO」を突きつけることが可能だろうか?

それこそNOである。
そんな自分が唯一とれた手段がサボタージュだったことだったのはわかって欲しい。

…元々はみんなで楽しく走りましょうだった大文字駅伝が一部の過熱化した教師が原因で廃止されたのは悲しく思うが、今後のことを考えるとこれで正しかったんだろうと思う。


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