お金に追われる生き方を考えてみる
「金と女はな、追ったらあかん。」
前の会社の最終出勤日、かわいがってくださった社長からアドバイスをいただいた。
昼休み、なんとなく暖かい日向。工場の入り口にある自販機の前でタバコをぷかぷか吸う社長の隣に座りながら聞いていた。
お金のために働くだけでは満足感が得られないし、結局お金もあまり入ってこない。まず先に、誰かの役に立てるよう頑張れ、そうしたらお金が追いかけてきてくれる、と話してくれた。
じゃあ女はどうなんでしょうか社長。家では圧倒的に奥さんが強いらしい。オールバックでオールドヤクザな見た目(僕の父親談)からはあんまり想像できないような、でも納得しちゃうような。
お金はどうしても追いたくなっちゃう
会社員として働く中で、お金を追い求めてしまうと自分の給料がいくらであるべきかを判断するのは難しい。実際のところ、もらえる金額は個人のスキル云々よりも、会社によって大きく異なる気がする。
僕の父は田舎の小さな工場で専務を務めている。特別儲かっているわけではなく、どちらかというと細々と経営しているみたい。
父からは社員に給料を支払う立場の話をちょいちょい聞く。一般的なサラリーマンとは、考え方がちょっと違うみたい。
この製品を軌道に乗せれば、その利益から一定期間の売り上げが確保でき、ボーナスも少し増やせるかも。注文状況が悪化すれば、自身の報酬を削って社員の給料を維持する。そのような状況を目の当たりにすると、自分のお給料を決めるのは難しいと感じます。
もらえるお金は会社や状況によって変わる。だからめっっちゃ細かくシミュレーションしない限り、「これだけ頑張ったからこれだけもらえるはずだ」という考え方は不幸になりやすい。社員として働いていると、「こんなに頑張っているのに、なぜこれしか還元してくれないのか」という話をよく聞く。
社長の「金を追うな」という言葉は精神的には理想。だけど、現実的には難しい。息子娘の養育費は?貯金は計画通り貯められそう?ローンもあるよ?子どもたちが大学に行くことになったら?老後は?
仏教的な考え方で欲を減らし、お金に頼らない生活を送るのが今のところ理想。でも実践するのは簡単じゃない。あの仏陀だって永遠に修行中。理想は理想として掲げたいけど、どうしたもんかなあと考えてみる。
しかし、いくつか論文を読んでみて、お金を追い求めること自体は意外と悪いことじゃないかもしれない、と思った。
「お金欲しい!モノが欲しい!」は幸せになれないかも
まずひとつ目の論文をご紹介(引用文献1)。2014年に公開されたもので、物質主義、つまり「モノやお金を稼ぐことで物を所有したり購入したりすることで得られるステータスを重視する考え方」と、個人の幸福感の関係についての研究。この論文はその関連性についてのメタ分析を行ったレビュー論文
この論文では、259の独立したサンプルから753の効果を分析しています。結果を総合すると、物質主義、つまりモノをたくさん所有することで満たされるという考え方は、幸福感の低下と強い相関が見られました。
そのような物質主義的な考え方は、幸福度と逆の相関関係、つまり物質主義的な考えが強い人ほど幸福度が低いという結果が示されていた。よくある話だし、予想通り。
特に大きく結果として出たのは、物質主義が強い人は自己評価も低くなりやすいということ。自分の価値を物質的なものに依存させてしまうため、常に上を目指す比較の世界に身を置くことになる。
例えば「僕が持っているコンパクトカー」よりも「ベンツ」の方が価値が高い、というのが今の社会の価値観。実際にかっちょいいベンツの価格は、コンパクトカーよりもはるかに高い。
もし僕が物質主義の強い人だったら「ベンツを持っている人よりも劣っている」と考えてしまうだろう。
ベンツとコンパクトカーではそんなに嫌にならないかもしれないけど、そうやって他者と比較することは自己嫌悪につながる。他人と比較することで、どんどん自分を嫌いになっていく。
でも売り手は、消費者にベンツを買ってもらいたいと考えている。だから広告を出す。どんな人にふさわしく、どんな体験ができるのか。今や多くの人が「ベンツとはどんなものか」を理解している。
物質主義的な人は、そのような広告にも弱い。「自分はそれにふさわしくない人間なんだ」と感じ、広告やメディアに描かれる理想像とのギャップから自己評価がどんどん下がってしまう。
トータルすると、物質主義やお金、物で成功を図ることは、あまりポジティブな影響を与えなさそう。
じゃあお金を稼ぎたいという目標は持たないほうがいいんじゃないの?という考えにもなりそうだけど、意外とそうとも限らないかもしれない。
お金が欲しい、と思うこと自体が悪いわけではないかも
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