「石川直樹 しれとこ写真学校」体験記
こんにちは!スタッフの平野です。
10月1~2日、 写真ゼロ番地知床の新たな試みとして、斜里町内で「石川直樹 しれとこ写真学校」が開催されました。
写真ゼロ番地知床とは、2016年春に地元の写真好き有志が、斜里町の観光ポスターを撮影した写真家・石川直樹さんとともに立ち上げたプロジェクト。
「知床を撮るのではなく、知床で撮る」というテーマのもと、誰もがイメージする知床を写真に写すだけでなく、新しい・多様な知床のイメージを探しながら、ワークショップや写真展・映像展などの企画をおこなってきました。
弊社では、今年からゼロ番地知床の活動を一部お手伝いしています。
メンバーの皆さんと、どうしたら知床/斜里という場所をより深く知ったり、様々な視点で捉えられるだろう…と次の展開を考える中で、「この地で、とことん写真に向き合ってみる場を作ってみよう」という声が上がり、今回の開催に至りました。
当日は町内、道内、道外それぞれから参加者が集まった他、弊社からも、写真を撮るのがライフワークになりつつある私も参加させていただくことに。
とても充実した時間を過ごすことができましたので、今回は、日記のような形でその2日間のことをお伝えしたいと思います。
写真学校1日目
12:30
集合場所・道の駅しゃりへ、写真を撮りながら徒歩で向かう。今回のメンバーは、網走から1名、北見から1名、札幌から1名、山口県から1名、斜里町民が1名、そしてわたしの合計6名。キャリーケースを引いて来る人から手ぶらで来る人まで、皆ばらばらで面白い。
13:00
石川直樹しれとこ写真学校、スタート。
実行委員長・毛利さんの挨拶、スタッフ陣の簡単な自己紹介、参加者の自己紹介。皆少し緊張気味。石川さんはつい3日前にネパールの山・マナスルへ登頂したばかりだ。Instagramの投稿を見ながら、この人は本当に斜里に来られるのだろうか…?と思っていたが、本当に来てくださった。マナスルの頂上はとにかく風が強かったとのことで、両頬には凍傷が残っている。指も痺れが残っていてシャッターがうまく切れず、雪の結晶が目に入ったせいで焦点もいまいち合わないままだという。そんなタイミングでの写真学校。自分はなんてすごい時間を過ごしているのだろう、とじわじわ感じる。
13:20
毛利さんによるフィルム写真の基礎知識講座からスタート。
今回集まったメンバーはデジタル派が多く、フィルム使用者は2名。フィルムの歴史、フィルムとデジタルの違いなどを、簡単に、丁寧に紐解いていく時間。毛利さんのフィルムへの愛が伝わってくる。合間で石川さんからのコメントも。
「思い通りにいかないのがフィルムだけど、それはマイナスなことではない。想像と違う写り方をしていたり、思ってもみなかったものが写りこんでいたり…そんな”偶然”を受け止める力があるのがフィルムの魅力」だという。思い通りの写真を撮ることを目標にしない方が楽しい、とも。力強い言葉。
14:00
エスグラフィーへ移動。10月だというのに30℃近い気温がある。集合時に預けておいたフィルムをこちらで現像してくれており、それ以降の作業を今回だけ特別に体験させていただいた。こういった体験をさせていただけるところはおそらく他にはないとのこと。
まずはフィルムスキャニングの作業。自分のフィルムを機械へ入れ、PCに取り込んでいく。フィルムカメラであっても、現在は一度データ化してからプリントするのが主流だという。フィルムなのに、ちょっと不思議な感覚。
データ化したものを、ひとつずつ開いて確認していく。今回わたしは「写ルンです」を斜里の片桐写真館で買って20数枚の写真を撮った。最後に使ったのは高校生のときかな。卒業式の日の写真が今でも手元にある。あのときすでに携帯電話は持っていたけど、携帯=カメラではなかったなあ……そんなことを考えながらデータを開く。
次はプリント体験。PC上で、色味や明るさ、コントラストの調整。赤、黄、青のバランスを変える作業をする。青っぽい写真が好きかな、と思っていたけど、実際に青みを足してみるとちょっとイメージと違う。少し黄や赤を足す方が好きかもしれない、と思いながら、フィーリングで調整。決定しプリントを開始してからできあがるまでは、数分かかる。完成して機械から出てきた写真はまだあたたかくて、生きてるみたいだ、と思った。
他にも毛利さんが暗室を見せてくださったり(映画のワンシーンのようだった!)、普段の生活の中では当然見ることのない機械や古いカメラたちに、わくわくさせられる。
16:00
道の駅しゃりに戻り、次は各々が持ち寄った好きな写真集や影響を受けた写真などについてひとつずつ石川さんと対話していく時間。6名いたら1冊くらい被ることがあるのでは…?なんて思ったりもしたが、まったくの杞憂だった。こうもばらけるものなのだな。
以下、石川さんの言葉たち。
・写真は表現ではなく記録。
・何を撮るかではなく「なぜ撮るのか」が大切。それが明確になると、写真の強さが増す。
・写真の可能性は幅広い。被写体の縛りを設けてしまうと可能性を狭めることもある。
・生きていると訳がわからない物事に出会うことがたくさんあるように、写真も「訳がわからないまま」なものがあっていい。その方がリアル。
・整理しすぎた写真はすぐに見終わってしまう。
・縦か横で迷ったら横にすること。縦はストーリーを断ち切り、限定的になる。その分ポートレートなど被写体が明確なときには向いている。横はむだなものが写りやすく、ストーリーを生み出しやすい。
17:30
タイトルの付け方について。ゼロ番地スタッフ・初海さんが実際に依頼を受けて写真集のタイトル付けをした実例をもとに、それぞれ自分の写真集を作るとしたら?という前提で書き出してみる。
自分の主観に寄せるのか、伝えたい相手に寄り添ったものにするのか、中間にするのか…正解がないからこそ難しく、皆苦戦している様子。
石川さんからは「タイトルは『こう見てほしい』と誘導しすぎてしまうのはあまりよくない。ここをこう見てほしい!という自己主張が強くなりすぎないようには意識していて、ぼくの作品は比較的シンプルなタイトルが多い」とのコメント。
18:45
1日目の講座がすべて終了。
19:00
しれとこくらぶにて懇親会。
改めてそれぞれの自己紹介、普段の生活、仕事のことなどざっくばらんに話しながらの楽しい時間。石川さんのマナスル登頂の話に皆、興味津々。石川さんは体重もかなり減ったそうで下山してからは食べても食べてもお腹いっぱいにならないと言って何度もおかわりをしていた。鮭のグラタン、ジンギスカン、いもだんご、鹿肉カレー、かぼちゃの煮つけ、マスカットと梨……季節を感じられるメニューが揃い、気持ちも心もいっぱい。とにかく石川さんが「いかにして未知に出会うか」と言っていたのが印象的。
21:00すぎに解散。
写真学校2日目
9:15
写真学校2日目、ゆめホール知床に集合。昨夜の懇親会のおかげか、全員昨日より少し表情が柔らかい。でもこのあとは「ポートフォリオレビュー」の時間。皆きっと内心はどきどきしていたに違いない。
今日の石川さんは両頬の傷が少し良くなっていた。しれとこくらぶの温泉にじっくり浸かったらかなり回復したとのこと。温泉パワー、おそるべし。
9:30
ポートフォリオレビュー開始。
「あいうえお順でいこうか」と石川さん。
斜里川沿いでオオワシを見てから写真を始めたという斜里出身・斜里在住のIさんからスタート。
斜里や道東エリアで撮った動物の写真や風景の写真が多い。1枚1枚の完成度が高く、「よくこんな瞬間に出会ったなあ」と思わされるものばかり。
以下、石川さんからのレビューで印象的だった部分。
「1枚1枚をつなぐのりしろみたいなものがあるといい。焼鳥の串みたいな感じのもの。もし写真集を作るのであれば、たとえば動物の素晴らしい一瞬だけじゃなくその動物の一生とか動物と四季とか……その写真の前後はどうだったんだろう?というように”考える余白”があるともっと面白くなる」。
主にこの数年間で撮ったオホーツクエリアの写真を並べたKさん。とにかく枚数が多く、選ぶのがとても難しかったという。以下、石川さんからのレビュー。
1枚1枚より全体で見ることで伝わる写真。落ち着くトーンで揃っていて、とても潔い。それゆえに、数枚混ざっている白黒の写真の主張が強くなっている。白黒写真というのは「白黒で見てほしい」という撮影者の主観が強まる。白黒でなくてもよく撮れている写真のはずだから、白黒写真のチョイスを少し減らしてみるとより良くなるかもしれない。
寄りの写真も2枚混ざっていて、これもちょっと違和感。白黒同様に「これを見ろ」という撮影者の気持ちが強く出てしまう。全体的な距離感がとてもいいので、寄りの写真も減らしてみては。
基本的にスマホで「きれいだな」と思ったときに撮っているというS田さん。国内さまざまな地域で撮った写真が並ぶ。無形文化財が好きということで、お祭りの写真も数枚。植物、山、鳥の死体なども。「連休最終日に行ったリス園でリスが皆ぐったりしていて…」という写真も面白い。以下、石川さんからのレビュー。
何かを見ているときに、逆に「自分も見られている」という感覚を持っているのだと思う。きれいだなと思ったときに撮っているということだけど、「美しいもの」の捉え方にオリジナリティがある。正方形で撮ってるものがほとんどだけど、正方形って基本的に難しいので、やる人は多くない。でもS田さんはバランスが取れている。いろんな目線の写真があるから、たぶんいつもきょろきょろしてるんだろうね。下見たり上見たり、左見たり右見たり。いい視点を持っているから、写真、もっと撮ったらいいんじゃない?写真で何かを目指したい人ではないかもしれないけど、面白い写真を撮る人になるんじゃないかな。
テレビ番組や映像製作の仕事に携わっているというS木さん。家族や友人など、人の写真も多いという点が他の人と違って印象的だった。以下、石川さんからのレビュー。
写真と写真の間も撮っている。映像を作るという仕事をしているからかも。決定的な瞬間だけでなく「これは何を撮ってるんだろう?」と考えさせる時間がある。たとえばこの風景の写真も、手前のドアが写っている。普通は景色だけ写しちゃうけど、ドアも入ることで、あ、S木さんの見てる目線なんだな。と感じることができる。全体的に力が抜けていて、いい。自分の生活史のようで、大きな時代を撮っているような感じ。人との距離も写真に表れている。あとは、白黒写真を使って変に主張したりせずにするのがいい。ぜひ撮り続けてみて。
コロナ禍を機に本格的に写真を始め、オンライン講座で学びながら自分の写真集を作ろうと準備を進めているHさん。本にしたときのイメージで写真を選定。2種あるうち片方はタイトルからキャプションまでしっかり作りこまれている。「いつか地元で屋外展示などがしたい」とも話していた。以下、石川さんからのレビュー。
写真の余白の残し方を見ても、その効果をわかってやっているので完成度は高い。キャプションを読むとちゃんと写真の意味もわかるし、キャプション自体も過不足なくてちょうどいい。いろんな人に伝わる内容。ただ、いろんな人に伝えようとするのはいいけど、Hさんのもっと個人的な目線とか個人的なものとかがもう少し入ってきてもいいのかもしれない。他人が見たら「何を撮ったんだろう?」ってわからないけどHさんだけはわかるものとか。そういう「わからない」ということを残してみてもいいのかもしれない。「誰かには受け入れられないかもしれないけど、別の誰かには受け入れられる」みたいな、そういう面があると今を越えていけるかもしれない。
最後は平野。直近1年以内くらいの写真。ほぼ斜里町内、一部網走などで撮った写真。専らSNSに投稿したり画面上で見返すだけなのでプリントすることはほとんどない。以下、石川さんからのレビュー。
1枚1枚、見ている人を幸せな気持ちにさせたりここに行ってみたいなと思わせる写真。ただ、もし写真集を作ったりするのであれば、並べて見たときに写真と写真の間をつなぐのりしろが足りない。いい瞬間以外も撮ってるのかもしれないけど、選んで持ってきたのはいい瞬間。合間にあるはずの「なんでもない瞬間」がもっと並ぶといい。写真家は生き方なので、生き方が写真にそのまま出る。平野さんはきっと、別に写真家を目指したいわけではないんだよね。写真そのものを突き詰めるより、写真や装丁、文章…そういうのをひっくるめて粘土みたいに捏ねて形にするのが合ってるのかも。もし写真家になるとか作品を作るとかを目指すのであれば、今の10倍以上撮る必要がある。皆が気持ちよくなる瞬間を撮れているけど、そうじゃないところも撮るのが写真家。
一通り全員のレビューが終わり、11:30。追加で何か聞いてみたいことはありませんか?ということで、それぞれ受けたレビューを元に質問タイム。
S木さん:「わからないものもある」とか「わからないことをそのままにしておく」など「わからない」という言葉を何度も仰られていたが、そこについてもう少し聞きたい。
石川さん:生きてるとよくわかんないことに出くわすこともたくさんあるじゃないですか。そういうのを無理に理解しようとしないというか、わかんないならわかんないままにしておくというか。自分はいかにして「未知」に出会うか?ということをいつも意識している。いろんなことを知ったつもりにならず面白がることができる人が写真家に向いているし、単純に面白いし。未知のものに出会ったり「何だろう?」と思ったときに撮った方が写真も面白くなる。たくさんのものに驚けることは才能。質問の答えになってないかもしれないけど…そんな感じ。
S田さん:自分は人の写真を撮るのが苦手で、そういう自覚もある。人を撮るときの人との距離についてはどう考えているのか。
石川さん:人の写真を撮るのって難しい。皆そうだと思う。難しいから無理にやることはなくて、それでももし撮りたいのであれば、頑張って人に声をかけて撮らせてもらうということに慣れていくしかない。ポートレートは難しいけどやっていくうちに面白いと思えるタイプの人が一定数いて、ポートレートを得意とする写真家もいる。楽しいと思えそうならやってみたらいいし、不得手だとしてもそれは決して恥ずかしいことじゃないです。
Kさん:とにかく膨大な量の写真があって今回の選定にかなり苦戦した。石川さんは写真集を作るときにどんなふうに写真を選んでいるのか。
石川さん:写真って「選択」の連続なんです。カメラを選ぶこと、何を撮るか、撮らないか。どの写真を選ぶか。それは人生そのもので、着る服を選んだり、どんな人と付き合うのか…そういう人生のひとつひとつの選択の積み重ねが写真にもつながる。写真の選び方もその延長線上にある感覚的なものなので、説明が難しい。基本的にはすべて自分で完璧に選べるならそれがベストだけど、ときに人は見誤るので、他人に見てもらうことは大切。自分もいつもお願いしている人や信頼しているデザイナー数名に選んでもらったり見てもらう。自分の選択を信じるなということではないけど、多様な視点にさらされることはとても大切なので、周りのいろんな人に見てもらうのがいいと思う。
Hさん:自分に合った現像・プリント方法の見つけ方は?
石川さん:自分はいつも東京のラボでお願いして、銀塩プリントをしている。毛利さんの話の中で「今はフィルムであっても一度データ化してからプリントする」というのを聞いて改めて「そうなんだよなあ…」と実感した。だんだんやってくれるところも減ってきているし、銀塩とかにこだわり始めたら際限なくお金もかかる。写真家としてやっていくという本気の覚悟がないと大変かも。ただ、たいていの地方はエスグラフィーみたいなところはないから、斜里にそれがあるというのはすごいこと。今はフィルムを現像するなら業者に外注して東京に送って1週間後とかに届く…とかが普通だけど、近場でやってくれるというのは間違いなく斜里のアドバンテージ。ぜひ利用してほしい。
平野:レビューの中で「1枚1枚をつなぐのりしろみたいなものを」という言葉があった。そういった力を鍛えていくためにはできることはあるか。
石川さん:とにかく枚数をたくさん撮ることしかないと思う。質より量。量に勝る質はない。人は全部忘れていく。たとえば今のここの床がこういう色だっていうことも、たぶん明日には忘れてる。でも写真を撮ったら忘れない。いつでもとにかくカメラを持ち歩いて、見たら撮る、まばたきするように撮ること。
質問はここまで。そのまま石川さんの言葉が続く。
写真学校って本当はもっと時間をかけて、何か月とか1年とかかけてやったりするので、いま受け答えしたような言葉をひとつずつ紐解いていくんだけど、今回は時間が限られるので、いくつか皆さんにつながる言葉を。
「知床『を』撮るんじゃなく知床『で』撮る」。何を撮るかじゃなく、なぜ撮るかというところですね。
ピエールジャネの法則というのがあって、簡単にいうと「年を重ねると時間がはやく感じられる」というアレ。つまり、年齢を重ねると知識も経験も増えて驚くことがなくなってきて写真が撮れなくなってくる。自分はなんでも好奇心を持ってみることを大切にしていて、手っ取り早く驚きを得られるのが旅。だからコロナ禍で海外へ行けなかったときは身近なところでいかにして未知に出会おうかと考えていた。渋谷を撮ってみたり、プールの飛び込みを撮ってみたり、過去にデナリで撮った写真をサイアノプリントっていう古典技法(=青写真)でやってみたり。「未知に出会って驚きたい」、それが旅をする理由。
12:00
お昼休憩。ウミネコマーケットのお弁当。
13:00
午後はゼロ番地スタッフ・川村喜一さんと一緒に斜里のまちを歩く時間。川村さんは知床財団で勤務する傍らで写真家・美術家としても活動されていて、ここまでのプログラムをずっと見守ってくれていたひとりだ。
昨日に比べて気温が10℃ほど低い。太陽はぽかぽかしているけど、空気は冷たい。
最初はゆめホール裏の町民公園からスタート。津軽藩士の慰霊碑を見て、奥の桜の木がたくさんある広場へ。皆思い思いに足を止めたり落ちているものを拾ってみたりしながらカメラを向ける。最後尾には毛利さん。おしゃべりしたり、ふらりと横に逸れて写真を撮ったり……付かず離れずの皆の距離感が心地よい。
公園を出てパークゴルフ場→前浜海岸へ。鮭釣りの人がたくさんいる。意外と子連れファミリーも多く、子どもたちが砂浜を走り回っているのが印象的。気付くと毛利さんが釣り人と話している。そのうち「あっちで釣れたみたいだぞ」と教えてくれて、皆で見に行く。この時期は釣り人が多いので海岸にはあまり近付かず、ちょっと離れたところから眺めるくらいしかできずにいたけど、釣れた鮭を持っているところも撮らせてもらえた。
海岸を離れて、博物館裏のオジロワシとオオワシを見に行く。光の差し方がとても綺麗だった。
再び町民公園を通って、ゆめホールへ戻る。程よい疲労感と満足感。このまち歩きの時間の中で皆がどんな写真を撮ったのか見せあう時間が取れたら楽しかっただろうなあというのが若干の心残り。
15:00
閉校式。参加者それぞれ感想を発表。「参加してよかった」というのが参加者全員から出た言葉で、その言葉に嘘はなかったように感じる。皆が写真家を目指しているわけではないけれど、それでも「写真を撮るのが好き」という共通点だけでこんなに楽しく学ぶ時間を持てて本当によかった。
S田さんの「私たちは一期生っていうことですよね!」という言葉が心に残る。二期生、三期生と続いていくといいな。
毛利さんから最後に「写真は人生と同じ。悩むこともあると思うけれど、悩みながらも生きていくように、シャッターを押してみてほしい」という力強くあたたかい言葉をいただいた。
わたしはなんとなく写真を撮るのが楽しいなという気持ちも抱きつつ、仕事上でも必要だから・役に立つからという理由でカメラを持つようになっただけだった。でも今回改めて自分の写真と向き合うことで、ごく自然と「自分がどんなふうでありたいのか?」を見つめ直すことができた。
「写真ってすごいなあ」
一言で表すとしたらそんな言葉しか出てこないけれど、でもやっぱり何度考えてみても、その一言に尽きる。
▼写真ゼロ番地知床では現在、斜里町に眠る8mmフィルムを探しだして再編集し、新たな「地域映画」として蘇らせる取り組みもおこなっております。SNSも随時更新中ですので、ぜひご覧くださいませ!
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