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他人の評価への恐怖心

新年明けてもう10日も経ちましたが、文字をアウトプットが出来なくなり、noteも止めてました。

文章の書き方がまちまちになりますが、まだ不安定だと思って頂ければ幸いです。

そして、タイトルのお話しを少ししようかなぁと思います。


何だかんだ人前に出る事をもう20年くらいしていて、常に付き纏うのは
"他人が自分に付ける評価"
です。
それは決して悪い事だけではなくて、そういう意識を上手く使う事によってファンを増やしたり、バズったりする事が可能なのだと思います。

けれど、意図してないところで
"セックスシンボル"
と呼ばれてる事を知ったアイドルの方は、そんなつもりではなかったのにそう言われてしまい、最後はならヌード写真をと流れてなってしまう。
なんて事もあるのかもしれない。
それは本人の意思や意図ではなく、他者によって引かれた、ある意味レール。


自分の変化を必ずしも周りが受け入れる事はないけれど。
そもそも人生を歩いているのは本人で、周りが評価を付けようとレッテル貼ろうと、本人には関係の無いはず。
けれどそれが関係してしまうのは、そういった意味で
"人は1人で生きてはいけないんだな"
と思ったり。


もっと欲を出してもいいんだと思うし、けれど自分も周りも居心地がいいと思ってる空間が壊れる可能性しかないならば、別の方法を探さなければいけない。


人付き合いに疲れてないと言っては嘘になるが、本当に関係を築きたい人とだけ築ける人生は、きっと人間として生きていたら無理なのだろうな。

けれど私は来世も人間でいたい。
まだまだ人を、楽しみたい。

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