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【読書メモ】その日の吉良上野介(池宮彰一郎)

最初の章「千里の馬」の第一節のみあらすじと感想を書きます。この範囲内のネタバレ有りです。

あらすじ
3月中旬に柳営年中行事の勅使・院使の下向がある。この重要な儀式で、浅野内匠頭は勅使御馳走役を拝命していた。院使御馳走役は伊予吉田三万石、伊達左京亮宗春だ。指導に当たる御取囃し役は吉良上野介だが、正月に京に赴いたまま、まだ帰っていない。浅野内匠頭は18年前の役務時にも上野介に指導を受けており、上野介にとって彼は愛弟子のようなものだった。だが今は疎遠になっていた。
2月4日、勅使・院使の御馳走役が正式に発令され、翌日から浅野、伊達両家は接待準備に忙殺されていた。上野介はなかなか戻らず、浅野内匠頭は記憶を頼りに準備を進めていた。伊達家は経験が浅く、何かと指示を仰いできて、浅野内匠頭の悩みの種だった。
2月22日午後4時頃、浅野内匠頭と家中の者は築地鉄砲洲の上屋敷への帰途に就いた。浅野内匠頭は疲労による片頭痛に悩まされていた。と、家中の荷運びの列に、3人連れの身なりの卑しい侍が割って通ろうとした。侍は酔っていた。荷運びの者と争いになり、侍が刀を抜いた。しかしこの侍は旗本だ。家臣の千葉三郎兵衛は怪我をさせないよう、股間を蹴り上げて気を失わせた。

いやもう、忠臣蔵の世界ですけど。そもそもの討ち入りの原因を良く分かってないのですが(wiki読んでも、はっきりした原因は不明な感じ)、浅野内匠頭と吉良上野介が子弟関係で、けっこう親密だったとは意外っちゃ意外。

赤穂事件おさらい
3月14日、浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかる。浅野内匠頭は即日切腹、吉良はお咎めなし。翌年12月14日、赤穂浪士47人(大石内蔵助を中心とする浅野家家臣)が吉良上野介を討ち取る。その後全員切腹。

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