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生きてても何もないなと思った

祖父達が亡くなってから1年以上が経つ。もういい加減吹っ切れたものではないかと思ったのも束の間、事ある毎に思い出し、夢に出てきては過去に浸る様な、良く言えば祖父思いの、悪く言えば往生際の悪い日常を送ってきた。

過去の話はした事がない。両親にどんな扱いを受け、周囲からどのように見られてきたか。知る人は居ない。知ろうとする人も、居ない。
一つ言うなれば、それは決して良いと言える幼少では無かったということ。今、過去の事を全くと言って良い程思い出せずにいることや、現実感を喪失する体験を何度も経験している事がそれを表している。
私は、家庭環境に恵まれなかったのだ。

家族の為に死のうと思った事はある。中間子とは多分1番過酷である。初めて出来た上の子供の様に大切にされることも、1番下に出来た子供の様に可愛がられることもない。本来子供が受けるであろう親から、親戚からの愛情が欠落する。
だから、特段可愛がられることの無い自分が居ても変わらないだろうと、それは本当に小さい頃から痛感していた事実であり、しかしそれを口に出す事だけはしなかった。建前の否定を聞きたく無かったから。

それを憎いと思った事はない。これは私にとって宿命だった。家族に愛されない、だから何だと。愛された分甘えた人間にはなりたくないと、兄妹を見て思っていた。

荒れていた小学生時代も特段優秀だった中学時代も、大まかな事しか覚えていないから何があったとか何をしたとかそんな事は記憶から除外されているけど、一貫して言えることは割と早期から希死念慮に囚われていたということ。

それが日常だったというのもおかしい話なのだろうが、祖父が亡くなった事で保っていた「日常」は見事に崩壊した。
今では晩婚と言えるであろう両親のせいで、幼い頃から身内が次々と亡くなって行くのを見ていた。その仲でとりわけ距離の近かった祖父が目の前から居なくなってしまった事が、私の全てを閉ざした。

それを祖父のせいだとは思っていない。むしろ、唯一分け隔てなく接してくれていた祖父には感謝するのみ。私の心が弱っていたのを教えてくれたのも、祖父の存在が無ければ分からなかった事だと思う。自分で気付かなければ、今どうなっていたか分からない。

そんなこんなで狂った精神を、1度は皆心配した。母親も、友人も、彼氏も、保健室の先生も。しかし年月が経っても治らないのに、周りは私を置いていき始める。いや、逆かもしれない。私が着いて行けなくなったのかもしれない。

次第に、私の手を離す存在を見て思った。
私がいても、何も変わらない。
そう思うのに時間は要らなかった。ある事象が私を死へと招いた。過去に何度か綴っているのでここでは割愛。

死んだ気でいたのに死ねなかった、ということがこれまで何度あったか。所謂自殺未遂。
毒親の元で育った私は、これを相談するはけ口も見つからないまま現在を生きている。

生きていて何になるのか。生産性のない人生を、何故終えてはならないのか。

皆、自殺という行為は止める癖に、生きる糧をくれないではないか。
間接的に死ねと言われているようだ。


何を書きたいのか分からない。ただ、今の上手く伝えられない精神状態で、いつ死ぬかわからないから少しでも気を紛らわす為にnoteに触れたまでである。
いつ死ぬか分からないから、せめて私の望む言葉をくれないだろうか?なんて、笑える事を言える程、死に抵抗は無くなった。
その時は今日か明日かも分からないが、死んだ時には、これまで書き記したこと全てが遺書である。


最後に。

皆幸せでありますように。

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