嘘江戸怪談 その1

なんか勢いで、一から十までデッチ上げた江戸随筆風の怪談(現代語訳風)を書いてしまった。
江戸近郊の地名以外は、だいたいテキトーである。

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 白川右膳は、奥州守川家中の食禄百石取りの武士である。
江戸詰めとして芝の上屋敷に居していたが、たいへんな健脚で、酒よりも女よりも、あちこち出歩くのを好んだ。
 文化九年夏、彼は堀の内の御祖師を参ろうと、夜の明けぬうちから上屋敷を出発し、足早に四谷から内藤新宿を抜けたため、巳の刻には参詣を終えてしまった。
 健脚の彼はもう少し歩こうと、さらに東高野の長命寺に向かったが、もろもろ見物しているうちに、帰路につき恵古田を通るころには戌の刻を過ぎてしまった。
 夜道の上に土地に不慣れな彼は、落合の方角はこちらと当て推量で足を進めていたが、小さな田川と、三尺ばかりの板を置いただけの粗末な木橋があるのを見た。
 しかし、それを渡ろうと近づくと、橋の上に何やら這いつくばった怪しげなものがいるので、彼はぎょっとした。
 それは裸に隅取腹当を付けた、五、六歳の子供であった。
 子供は顔を地面に向けたまま、橋の上に這いつくばり、小さな手をパタパタを上げ下げしている。
「何をしておる」
と問えば、子供は
「大事なものを落とした。一緒に探してほしい」
と言う。
「この暗さでは、何も見つかるまい」
と説くが、子供は顔を地面にむけたまま、聞こうとしない。
「川に落ちたかもしれぬ。覗いてくれ」
と頼むので、暗くてよく分からぬだろうと思ったが、橋から顔を出し川面を覗いてみると、水の中にぼんやりと光る大きな丸いものがある。
 それが一尺はあろうかという大きな眼玉であった。
 彼は腰を抜かして木橋へへたり込んだ。
 すると、後ろから子供の声が響いた。
「あった、あった、目があった」
振り向くが、そこには子供の姿はなかった。
 彼は慌てて近くの百姓家まで走って戸をたたき、中から出てきたその家の主人に今おきたことをしゃべった。
 すると主人は、
「狐か狸かは知らぬが、あの木橋には時々そういう怪異がある」
と教えてくれた。
 土地の者は、この橋を“大目橋”と呼び、夜に通るのを避けているという。
                <文化奇聞集より>


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