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愛だと思う

これは愛だ。テミンの3枚目のソロアルバム、Never Gonna Dance Again:Act 2をはじめて聴いたとき、なんのためらいもなくそう思った。なんてひかりに満ちた音楽だろう。愛があふれて、散らばって、まぶしく乱反射する。


SHINeeからソロデビューして6年、競争のはげしい韓国歌謡界でひた走るテミンを絶え間なく見つめてきた。新しい作品が生まれるたび、頂点を更新しつづけるテミンにいつも驚かされてきたけれど、わたしが今回感嘆したのはその歌唱力だった。優れたダンススキルばかり注目されていた彼が、いまや誰にも負けない素晴らしいボーカリストになっていたことを、このアルバムはたしかに証明している。やわらかいけれど芯がつよくて、はっとするほど繊細なボーカルだ。こころの情景をひとつひとつ描いてゆくような丁寧な歌い方に、彼の人生のほとんどを捧げてきた長い歌手生活の月日と、刻んだ努力のあとが見え隠れする。

テミンは純粋なアーティストだ。DANGERからIDEAまで、ひとつの山を登るみたいにまっすぐ自分の表現を追ってきた彼の、まわりに流されない強いたましいや舞台にかける清らかな情熱になんども胸を打たれてきた。わたしはテミンに出会ってから一度も彼の芸術を疑ったことがない。
Never Gonna Dance Againはそんなテミンがたゆまず自分と向き合い、探しつづけてようやく見つけたひとつの答えなのだと思う。
自分だけの道、自分だけの音楽。単純だけれど、表現者にとって最も難しいことに彼はずっと挑みつづけてきたようにみえる。テミンの歩く先はいつも未開の地だ。一途に信念を貫くかわりにどれほどの葛藤を経験したのか、その途方もない道のりに思いを馳せずにはいられない。

わたしがテミンの音楽についてほかのどれともちがう、と感じる大きな理由のひとつに日本でリリースした楽曲がある。Act 1とAct 2、それぞれ一曲ずつ入っている日本の楽曲は、まるではじめからこのアルバムのために作られたかのように自然で、無理してかたちの合わない服を着せられているみたいな居心地の悪さをひとつも感じない。別の時期に別の場所で歌われてきた作品がつながり、混じり合い、ひとつの大きな世界をつくりあげている。その世界の中心にいるのがテミンだ。どの音楽のなかにいても、テミンはテミンのまま凛とそこに立っている。

テミンの立った多くのステージを思い出すとき、そこにはどんな場でも表現への姿勢がゆらがない毅然とした彼の姿がある。日本のステージでは韓国の楽曲を、本国のステージでは日本の楽曲をどちらも大切に歌ってくれた。たとえ外国語の歌詞であっても、きちんと伝えたいと願う彼のその真心や愛や誠実さが、どれほど見る人をしあわせにしてくれたか分からない。
テミンのステージがすてきなのは、きっと韓国語の歌を歌っているからでも、日本語の歌を歌っているからでもない。テミンがただテミンの音楽をひたむきに見せているからなのだと思う。そんなテミンに共鳴したくて、わたしたちは声を合わせて歌う。韓国語で『최면』を、日本語で『世界で一番愛した人』を、どこにいてもどんなことばでも、変わらず心をこめて歌いつづけるテミンに思いを重ねながら。
伝えることをあきらめない、ということがどんなに大きな意味をもつか、テミンを見ているととてもよくわかる。できるだけ素直に、率直に、自分のきもちを間違いなく伝えるために一生懸命努力してきたテミンの、マイクを置いてステージから力いっぱい叫んだ生身の声が、ツアーのたびに少しずつ増えていった銀テープの手書きの文字が、自作の歌詞に残した正直なことばたちが、たしかにそのことを教えてくれる。

長いあいだ彼のステージに触れるたびに、どうしてこんなに切実なのだろうと思ってきた。ステージの上で厳かに歌い踊る姿にはいつもどことなく切迫した気配が漂っているし、見ているだけで胸の奥がつんと痛むような瞬間をなんども目にしてきた。ステージのテミンがまとう全身全霊の深い祈りのような空気の本質はいったい何なのかくりかえし考え続けてきたけれど、いまようやくその輪郭が見えた気がする。どんな悲しみも苦しみも結局は愛のもとでしか救われない、というひとつの真実を、Never Gonna Dance Again:Act 1、Act 2の音楽が切々と語りかけているように感じるからだ。
テミンの歌う詞によって、わたしたちは彼の混沌とした感情にふれることができる。詞のなかの自分は、希望と絶望、うつくしさと醜さ、たくさんの矛盾と戦いながら同時にゆるされ、愛されたいと願っている。自分を開き、受け入れて生きていこうとする無垢な覚悟が、胸を打つように迫ってくる。

テミンの音楽を聴いていると、いまあるこの瞬間を大事にしなければと思う。かたちあるものはいつか必ずなくなるし、よろこびやかなしみさえ永遠にとどめておくことはできない。いまこの瞬間を重ねてゆくことでしか、未来にはたどりつかないのだから、ささやかなひかりを見逃さないように、思いを伝えることを恐れないように、愛をさぼらないように、一瞬一瞬にいのちの火花を散らして生きていきたいと素直に感じるのだ。

Act 1の最後、2 KIDSにしずかに耳をかたむけながらわたしは想像する。抱えてきた痛みや苦しみがちいさなひかりの粒になって、空高くきれいに舞い上がってゆく光景を。解き放たれたかなしみが、希望に照らされてまぶしく輝き出す瞬間、ただ生きていることに理由もなく胸が熱くなる。テミンの歌が、踊りが、いのちをまっすぐに賛美する。まるで分厚い雲を裂いて海に降りる一筋のひかりのように、強くきらめきながら。

やっぱりこれはテミンの愛だと思う。13年間ともに走りつづけたメンバーへの、変わらず見守ってきたファンへの、もう一度会いたいとつよく焦がれる大切なだれかへの。そして、いま自分のなかで躍動するいのちへの、たしかな愛だと思う。
真剣に向き合いつづけた時間はうそをつかない。テミンがテミンであるかぎり、その愛はだれがなんと言おうとほんものだ。



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