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ペンラのあれ

開いた本のあいだから小さな透明のプラスッチク片がぽろりと落ちた。小指のさきほどの大きさの、薄くて平たいしゃもじみたいなちょっと変わったかたち。「これ、なんだっけ?」ひざの上に落ちたひとひらを拾い上げ、まじまじと眺めた。なにかの部品のようにもみえるけれど、なぜだか思い出せない。逆さまにしてみたり、折り曲げてみたりして質感を確かめているうちにようやくピンときた。

「ペンラのあれだ。」

ペンライトの裏側、電池カバーに器用にはさまっているあれだ。コンサート開演直前にひっこぬいたあと、行き場にこまってとりあえず身近な袋につっこんでおくあれ。ときにはジーンズの後ろポケットに、ときにはリュックの底に、ときにはパスケースのスリットに。帰ったら捨てようとひとまず入れておいたはずなのに、コンサートが終わるころにはすっかり忘れて、気がつくともうどこにも見当たらない、あれ。

小さなプラ片の正体がわかったとたん、胸の奥がきゅっと鳴った。触れた指先から思い出がどんどんあふれてくる。なつかしくて恋しくて、思わずじわりと涙がにじんだ。
はやるきもちでいっきに引き抜いたプラ片の感触をあざやかに思い出す。照明の落ちた会場にひとつ、またひとつと夜空の星のように点灯するペンライトのひかりや、足元から伝わってくるバンドの大きな音、会場中にあふれるたくさんのまぶしい笑顔の記憶が、映画のワンシーンのようにわたしのなかを通り過ぎていった。

この春行くはずだったコンサートはぜんぶなくなった。
楽しみにしていた公演はこの未曾有の事態でどれも開催できず、再開のめどもたたない。霧のなかを手探りで歩み進めるような重たい一日を、わたしたちはきょうも生きている。
あたりまえに電車に乗り、友だちに会い、コンサート会場に向かった日々がまるで奇跡のように思えてしかたない。ありふれた日常がどれほど特別でしあわせだったのか、こんなことになってはじめて知るなんて。

いままでどれくらいコンサートに行っただろうか。いろんな会場に入ってみたくて、コンサートのたびに日本中をあちこちまわった。はじめての街、はじめての電車、その街のおいしいものを食べて、いつも旅行かばんをコンサートグッズとお土産でぱんぱんにして帰った。思い出は公演の数よりもっと多い。

真夏の会場で入場待ちをしていたとき、「暑いでしょう?」と冷たいタオルをそっと首にかけてくれたマダムや、立ち見席でとなりあい、小柄なわたしのために公演中なんどもステージの見やすい場所を譲ってくれた背の高いお姉さん。帰りぎわに「またどこかのコンサートで会いましょう」と言って、名前もきかずに笑顔で別れたすてきな人たちのことを、何年たっても忘れることができない。

近い会場のコンサートしか行ったことのなかったわたしが、はじめて泊まりがけで遠方の会場まで見に行ったのは、2012年のSHINee日本ファーストツアー、広島公演のときだった。泊まったホテルは窓から会場のグリーンアリーナがよく見えるとてもいい部屋だった。数時間後にはあの場所を自分も歩いているのだと思うと胸の高鳴りがおさえられなくて、チェックインしてすぐ荷物もそこらに投げ出したまま、しばらくのあいだ窓の外をじっと眺めていた。ツアーバッグを肩にかけ、グッズを片手にはずむような足どりで会場へ向かう人たちを見ながら、わたしも他から見たらこんなふうに見えるのだろうかと想像するだけで、たまらなくしあわせだった。

生まれて初めての遠征だった。コンサートのために遠くまで新幹線に乗り、知らない街を旅するなんて、面倒くさがりなわたしには一生ないと思っていたはずなのに、大好きなSHINeeに会いたくて、とうとう広島までたどり着いてしまった。自分のあたらしい部分を発見したことがすこし気恥ずかしくて、でもどこか清々しい気分だった。なにより、こんな遠くに来てまで見たいと思うほど自分にすきなものができたことが、こころからうれしかった。

はじめての遠征旅行を広島で迎えた翌朝、どうしてももう一度この場所でSHINeeのステージを見たくて、帰りの予定を変更して当日券で会場に入った。ツアーの最終公演、とにかくエネルギッシュで楽しかったステージのことを、はじける5人の笑顔と会場に満ちるしあわせな空気を、いまもありありと思い出す。晴れやかな表情でステージを降りる彼らを見つめながら、「ああ、ここまで見に来てよかった」としみじみ思った。
公演後、となりに座った高校生の女の子にたまたま持っていた銀テープを分けてあげたらすごく喜んで、「受験のお守りにします!」とにこにこ笑ってお礼を言ってくれたのも忘れられない。あの子はいまもSHINeeのコンサートに行っているだろうか。わたしと同じようにきょうまでずっとSHINeeのことが大好きだったら、どんなにうれしいだろう。

ところで、わたしが何気なく“ペンラのあれ”とよんでいたプラスチック片は、じつは絶縁体とよばれるものだった。だけど、“ぜつえんたい”なんてこわい名前、ぜんぜんしっくりこない。これはわたしの日常と夢の世界を一瞬でつなぐ奇跡のひとひらだ。まぎれもなくしあわせでかけがえのない、夢のかけらなのだから。

つくづくわたしはコンサートが好きだと思う。コンサートとそれにまつわるすべてのできごとが、とても。いつかまた大好きな場所でこのひとひらに触れたときどんな気持ちになるのか、いまはまだ想像もできない。でも、その日が忘れられない大切な一日になることだけは、たしかに思い描くことができる。

「わたしたち、またどこかのコンサートで会いましょう」

祈るようにつぶやいて、夢のかけらを初夏の陽にかざした。きらりとひかる透明が、わたしの目にはちょっとだけまぶしい。



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