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きみはぼくの希望

ミノを見ているととてもいい気分になる。知らず知らず笑顔になって、ふしぎと元気がわいてくる。へとへとに疲れていても、落ち込んでぺしゃんこになっていても、ステージでくったくなく笑うミノを見たら、魔法みたいにぜんぶが大丈夫になってしまう。
わたしはミノの裏表のない明るさがだいすきだ。目の前のいまに全力で、さいごまで自分の正しさを大切にするところも、守りたいものをちゃんと守れる強さをもっているところも、周囲に向けられるわけへだてない優しさも、みんな。SHINeeを見つめてきた10年間、ミノの絶えない情熱に、まっすぐなことばたちに、なんど助けられただろう。

ミノがかつて、“俳優業と自分は相性がいいと思えるのもSHINeeの活動があってこそ。ソロ活動がグループにとってプラスになればいい”と語っていたのをいまもふとしたときに思い出す。どんなに俳優活動がいそがしくても、ステージを離れていた空白期も、ミノの情熱の向こう側にはいつもかならずSHINeeがいる。
日本で開かれた入隊前さいごのソロファンミーティングで、ツアーの思い出深い作品をたったひとりで何曲も披露してくれたとき。除隊後すぐ、軍服を脱ぐ間も惜しんで一目散にメンバーのもとにかけつけたとき。メンバーへの愛をすこしも隠さずありのままに表現するミノの姿を、いままでどれだけ目にしてきたかわからない。折りにふれ愛おしい5人の姿をわたしたちに思い出させてくれるミノの、SHINeeとメンバーへの変わらない愛情を思うたび、わたしはきまって胸が熱くなる。 


『みなさんが僕の希望です』

ステージの終わりにミノはかならずそう話してくれるけど、わたしの見てきた時間のなかで、たった一度だけこのことばが変わったことがある。
2018年に東京ドームで行われたSHINee日本デビュー7周年のファンミーティングのときだ。

まだ4人でステージに立つ彼らを見るだけで胸がおしつぶされそうに痛かった頃。ぜんぶを思い出にするにはあまりにも早くて、無邪気に笑いあうことも、平気なふりをするのもあたりまえにできなかった、あの夏のファンミーティングで、さいごにメンバーそれぞれあいさつをするときだった。ミノの順番がきてひと言ふた言話したあと、ゆっくりことばを紡ぐように彼は言った。

『みなさんがいつもSHINeeの希望です』

このときのことをいまもわたしははっきりと覚えている。いつもなら“僕の”と言うところを、この日はたしかに“SHINeeの”、と変えて話したこと。
それはまるでSHINeeがずっとSHINeeであるための、深い祈りのようなことばだった。

この日どんな思いでこのことばを選んだのか、ほんとうのことはわからないけれど、それでも、ミノがSHINeeをこころから大切に思っていること、このさきもずっとSHINeeでいたいと願っているきもちだけは、たしかに伝わってくるようだった。そのときふいに涙がにじんだ。ああそうか、4人はこれからもずっとSHINeeでいるつもりなんだ。それならわたしも、さいごまで一緒に歩いていこう。前に向かって進む彼らのあしもとを、ほんのすこしでも照らす灯りになれたらどんなにいいだろう。つぶやくように、そう胸のなかで小さく祈った。冷えびえと暗くたよりなかったわたしの胸に、かすかな希望の火種がぽっと生まれた瞬間だった。


わたしにはひとつ、長いあいだ大事にしている宝物がある。コンサートで運良く手にしたミノのフリスビーだ。
8年前、SHINeeのBoys Meet Uツアー大阪公演でのことだった。のきなみコンサートの抽選に外れて、暑いなか朝から当日券の列に並びつづけてやっと入ることのできた公演、大阪城ホールの二階スタンドの前列でメッセージ入りのうちわをもっていたわたしに、たまたま気がついてくれたのがミノだった。
この日はありがたいことにBOX席が当日券にわりあてられていて、そこでひとりうちわをもっているわたしはきっと目立っていたのだと思う。
ふつうなら到底届くはずのない高さの座席に、どうにかしてフリスビーを届けてあげたいと思ったのか、はたまたスポーツマンの血が騒いだのか、ミノのこちらを見る表情から、情熱のスイッチが入ったのが一目でわかった。ミノの端正な顔がみるみるゴルゴ13のような険しい表情に変わっていったあのときの様子を思い出すと、いまでもつい笑ってしまう。眉をぐっとよせ、真剣な眼差しでこちらに視点を定めたかと思うと、ミノは手にもっていたフリスビーのさいごの一枚を力いっぱい二階席に投げこんだ。
それはもう円盤投げの選手さながらの見事なフォームで、思わず見とれてしまいそうだった。そして、空中でおおきな放物線を描いて二階に到達したフリスビーは、そのまますうっと吸い込まれるようにしてわたしの手に入ってきた。うそみたいにきれいに顔の真正面に飛んできたものだから、びっくりして呆然とするわたしを見て、まわりの当日券席のひとたちがいっしょになって笑ってよろこんでくれたのも、ふりかえるといい思い出だ。

ミノはというと、自分の投げたフリスビーの行方をさいごまでしっかり見届けたあと、ステージでうれしそうにガッツポーズをしていた。あのときのミノのはじけんばかりの笑顔を、夢みたいにしあわせな一瞬を、わたしはこのさきもきっと忘れられない。
それはわたしが思うミノの、いちばん彼らしいと感じる姿だった。あれから何年たっても、わたしのこころのなかにいるミノはいつまでもあの日のままだ。

ミノは知っているだろうか。
あの日ミノの投げたフリスビーを両手でつかんだとき、ミノの真心が届いたみたいでほんとうにうれしかったこと。つぎの日も、そのつぎの日も、目の前の世界が明るくきらめいて見えたこと。いまでも部屋に飾ったフリスビーを目にするたび、大好きなSHINeeとSHINeeのコンサートを思い出して胸がいっぱいになること。

ミノはいつもわたしたちとSHINeeの、かけがえのない希望なのだということを。


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