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歌と生きるひと

「歌って、つらいときにも歌うものですよね。」

日本のインタビューで“歌うこと”について問われたオニュがそう答えたのは、たしか6年前のことだった。
いまでもわたしがオニュを思うときにはきまってこの言葉が浮かんでくる。
うれしいとき、かなしいとき、つらくてたまらないとき。どんなときも歌がないということが想像できないくらい、歌が好きだと語っていた。
ただ笑うように、泣くように、生きるように歌をうたってきたひと。
わたしにとってオニュはずっとそういう歌手だ。

ことしの暑い暑い7月の午後、わたしは日本武道館に向かっていた。SHINee日本デビュー11年目にしてはじめての、リーダーオニュのソロコンサートツアー。オニュにとって4年ぶりの来日だった。
毎年欠かさず会いにきてくれていたSHINeeが、2018年の東京ドームのファンミーティングとSMTOWNを最後に空白期に入ったこと、まえぶれもなく日常が失われ、世界が様変わりしてしまったこの数年のことを思うと、会えなかったのは4年よりもずっと長い時間だったように感じてくる。そのやすらかであたたかな歌声にまた出会える日をどんなに待ち焦がれていただろう。

しあわせと喜びに満ちたとくべつな3ヶ月だった。
日本のあちこちのステージでひとり歌って、踊って、ことばを紡ぎつづけたオニュと一緒に、たくさん泣いて、たくさん笑って、めいっぱいかけぬけた夏だった。
強い日差しのなかで目を細めるようにして見上げた、武道館入り口の大きな『ONEW Japan 1st Concert Tour 2022  Life goes on』の看板がひときわまぶしく輝いていたのを、半年たったいまもあの夏の熱波とともに思い出す。

武道館のステージの上でオニュはなんども「ただいま」と言っていた。泣いているみたいに笑って、なんども。そのたびに声にできない「おかえり」を胸のなかで返し続けた。おかえり、オニュ。歌ってくれて、また会いに来てくれて、ほんとうにありがとう。
『Lighthouse』で「ここへおかえり」と歌いながら、オニュが自分の足もとを指差したとき、オニュはこの4年間ずっとここに戻る日を待っていたんだと思った。わたしたちが思うよりずっとこの場所が恋しかったのかもしれない、と。
武道館のステージの真ん中でマイクを握りしめ、ひかりを背にしずかに立っている姿を目にしただけで泣きそうだった。日本で活動をはじめて11年、オニュもSHINeeもほんとうにいろんなことがあったけれど、それでも歌うことを選んでくれて、ステージに立つことを諦めないでくれて、こうしてまた会いにきてくれたことが、なによりありがたくてうれしかった。

オニュの真心がそのまま音になって、声になって、ステージの上できらめいているようなコンサートだった。懸命に歌うオニュの歌声が、紡いだことばたちが、何にも遮られることなく真っ直ぐこころに伝わってくる。ステージでのあたらしいオニュに出会うたび、こんなに豊かに表現するひとだったのか、と新鮮に驚かされることばかりだった。まるで知らなかったオニュをすこしずつ発見するみたいに。
オニュが歌いづらそうにちょっと顔をしかめたり、ダンスの後に疲れを隠さず舞台で横になったり、長い言葉につまって涙を見せたりするのは、わたしがSHINeeを見てきた長い時間のなかではじめてのことだった。オニュのこんなに率直な表情を見られる日がくるなんて思いもよらなかった。
なんとなく、もう我慢をしなくてすむようになったんだな、と思った。
遠いむかしのオニュの姿がぼんやりと浮かんでくる。思い出のオニュをこころに描いては、その背中をそっと見送るような気持ちだった。

10年前、日本ファーストツアーの公演中にステージからオニュが落下してしまった日のことはいまもよく覚えている。
アリーナツアーの最終地の広島公演で『Ready Or Not』を披露している最中だった。音楽にあわせ、くるくる体を回転させながら踊っていたオニュが、そのまま2メートル近い高さの花道の端から足を踏み外してステージ真下に落ちてしまったのだ。まばゆい照明と大きな音に紛れるようにして起きた、一瞬のできごとだった。
花道側のスタンド席にいたわたしは事態の一部始終を見ていた。衝撃で思わず双眼鏡を持つ手が震える。あんな高さから後ろ向きに落ちて無事なのだろうか、このまま立ち上がらなかったらどうしよう。ペンライトを握る指先が緊張で冷えてくる。鳴り止まない音楽と歓声がだんだんと遠のいてゆくなかで、それでも目は必死に床に落ちたオニュを追っていた。
暗闇のなかで動かないオニュをどれくらい見つめていただろうか。ほどなくしてスタッフに抱え上げられるようにステージに登ったオニュが、駆け寄ったメンバーとともに曲の最後まで笑顔で踊りきったのを見て、ほっとしたのもつかの間、なんともいえない不安さだけがこころに残った。
あんなに痛そうな落ち方をしたのに、まるでなにもなかったかのように舞台に戻って、にこやかに歌い踊るオニュが心配で心配でしょうがなかった。痛いのに、苦しいのに、プロだから、SHINeeだから。オニュはきっとこうして笑顔でなんでも頑張ってしまうひとなんだと思った。
曲が終わってステージの照明が暗転した瞬間、さっきまで笑顔で踊っていたオニュがとっさに苦痛に顔をゆがませ、からだを抱えながらその場に小さく倒れこむのが見えた。ちっとも大丈夫じゃない、大丈夫なんかじゃないのに、平気そうに笑うオニュが立派で、強くて、だけどどうしようもないほどせつなかった。痛いときに痛いと叫べないオニュのからだとこころは、いったいこの先どこで自由になれるんだろう。


あれから10年の月日が流れた。
10年後のオニュがいま、ソロコンサートのステージで、喉がいうことを聞かないと言いながら苦笑いをしている。ダンスメドレーのあと激しい息切れをそのままに、ちょっとだけ休ませてほしいといってステージで大の字になっている。できるだけ素直に話したいから、と時間をいっぱい使ってその思いをことばにしようとしている。ステージの上ではいつも完璧で、本音をあまり語りたがらなかったオニュが、わたしたちの前でいま自分をさらけ出すようにして、泣いたり笑ったりしている。

強いことと強いふりができることの違いを、オニュの涙を見ながらしみじみ思う。あの日からいままでどれだけの後悔や絶望を越えてきたんだろう。泣きたいのに泣けない日々を、言いたいのに言えなかったことばを、どれだけ見送ってきたんだろう。
オニュの震える歌声から、悔しそうにふせる瞳から、こころからしあわせそうに笑う表情から、オニュがたったひとり歌をうたって過ごしただろうたくさんの日々のことを思った。どんなにつらくかなしくてもお腹が減ってごはんを食べるみたいに、オニュならそんなときに歌をうたってきたはずだ。オニュにとって歌をうたうことはきっと、生きることなのだから。

ツアー最終公演の夜、代々木第一体育館を出ると夜空にまんまるの大きな月が出ていた。はじめてSHINeeに出会った代々木第一体育館に、さいごの5人での日本ツアーを見届けたこの場所に、5年ぶりにやってきた。
ほんとうはもっと寂しくて哀しくなるだろうと思っていたのに、まだ見ぬオニュのあたらしい姿に出会えたことがなんだかとてもうれしくて、気づくと笑顔で月を見上げていた。
公演の最後、「一緒に足跡をつくってくれてありがとう」と言っていたオニュのおだやかな表情を月明かりの下でそっと思い出す。
時間が過ぎていくのはきっとさびしいことばかりじゃない。あの夏の広島からきょうまで、オニュも、オニュを見ているわたしも、たくさん変わったんだなと思った。ひとつずつ足跡を残すようにして、前に進みながら。


「歌って、つらいときにも歌うものですよね。」

オニュのことばを胸のなかでくりかえす。
つらいとき、かなしいとき、くるしいとき、それでも歌をうたうことをやめなかったオニュの、生き方そのものがつまった歌声を、やさしさと哀しみが粒子のように散らばりながらきらめくその声を、こうして聴ける人生でほんとうによかった。
これから先どんなに時間がたっても、オニュはきっと変わらず歌をうたいつづけてくれるだろう。かなしいときにはちゃんとかなしんで、うれしいときには素直に笑えるような、のびやかで自由なオニュの歌声と一緒におなじ時間を重ねていけたら、わたしはそれだけでじゅうぶんしあわせだ。
そして何年先でも何十年先でもいいから、いつの日か、練習中だというギターを抱えて、ステージでしあわせそうに歌うオニュに会いに行きたい。
指が痛いですね、ちょっと休んでもいいですか。なんてやさしく笑いながら、いつものように大好きなSHINeeの曲をひとつ歌ってくれたらうれしい。


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