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ジョンヒョンのこと


ジョンヒョンが世界から消えてしまった日のことはよく覚えていない。あまりにとつぜんのことだったから、なにかを考えることも、祈ることも、わたしにはできなかった。
覚えているのは、うまく回らないあたまと動かない手で作った夕飯のカレーライスが何の味もしなかったことと、ジョンヒョンの声や顔を朝がくるまで思い続けていたこと、その夜は真っ暗な新月の日だったことだけだ。

あれからずっと、ふつうに暮らしながら、全然ふつうじゃない毎日を過ごしてきた。楽しい場面で上手に笑えなかったり、大好きなSHINeeの音楽を聴けなくなったり、あたりまえにできることができなくなって、いろんなことがちょっとずつぎこちなかった。あの日、きっと世界はふたつに裂けてしまったのだと思う。ジョンヒョンのいた世界といない世界、いま自分は彼のいない世界にいるはずなのに、こころは彼のいた世界に残ったまま、不自然に時間だけが過ぎていった。

あんなに元気に歌って、踊って、いっぱい笑ってたじゃないか。わたしの目と耳とこころが、いきいきしていた彼をちゃんと覚えていて、いまも手に取るように思い出せるのに、なんでだろう。なんで、彼は消えてしまったんだろう。

SHINeeが日本デビューした時から毎回、どのツアーのコンサートも欠かさず観に行った。ひとときの家族のようにSHINeeを想っていたはずなのに、ジョンヒョンのことになぜ気がつかなかったのか、いまさら悔やんでもどうしようもなくて、考えるたび、自分のことがいやになった。
わたしがずっと生かされていたきらきらが、ジョンヒョンとSHINeeの命を削ってできたものだったなんて、どうしてもやりきれなかった。できることならぜんぶ返してあげたいのに。もう、彼はいない。

わたしの知っているジョンヒョンはいつも明るくて、自信家で、堂々としていたから、いつの間にか繊細でやわらかな表現をするようになった彼を、素敵な芸術家に成長したのだとまぶしく見ていた。
けだるく憂鬱そうな表情はアンニュイで美しかったし、すこし光の弱くなった瞳は成熟した証と思っていた。結局、わたしはジョンヒョンのことをなにも知らなかった。あんなに長く見ていたのに、なにも。

一度だけ、コンサートでステージのジョンヒョンと目が合ったことがある。
2014年のツアー中、広島の会場で、運よく花道沿いの最前列にいたわたしの目の前にたまたまジョンヒョンが来たときのことだった。歌いながらステージの縁ぎりぎりまで歩いてきて、ぴたりと立ち止まり、少しかがんでのぞきこむようにわたしの目を見た。
あんなにファンと目をしっかり合わせてくれるアーティストは彼がはじめてだったから、何年たってもきっと、そのときのことをわたしは鮮明に思い出すことができる。あの日のジョンヒョンはとてもきれいな目をしていたけれど、どんな感情で、なにを思っていたのか、いまとなっては想像もできない。メッセージを書いたうちわでも持っていたらよかった、すこしでも気持ちを伝えることができたかもしれないのに。わたしたちはほんの数秒のあいだ、お互いの目をただじっと眺めているだけだった。 
いまもジョンヒョンを思うとき、あの日の彼のまなざしをいちばんに思い出す。わたしは、目の前で起きていることからまっすぐ目をそらさない、いつでも真剣なジョンヒョンが好きだった。

ステージの上で光を散らしてきらきら輝いていたジョンヒョンの姿はたしかにわたしが見てきた彼の真実のひとつだ。会場に響く力強い歌声も、メンバーと明るく笑いあう顔も、汗だくのTシャツでステージを降りる後ろ姿も、また会おうと言ってくれた言葉も、ぜんぶ本当だ。

出会いは一瞬のひかりだと思う。短くて儚くて、だれにでも平等におとずれるわけではない。SHINeeと出会ったのも、きっと、長い人生の一瞬のひかりのような出来事だ。その一瞬を、永遠に愛したい。



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