希死念慮

鬱病とつきあって何十年か。

発症したのは今でも鮮明に覚えています。

子どもというものは限度を知らない。

人にしてはいけない、悲しむことも平気でする。

それはごく一部の人間であり

思春期だから、で済まされるかもしれない。

しかしオトナになってもあの時の痛みは死ぬまで消えない。

謝られたわけでもない。

オトナになった今はまあまあ普通に接する機会があればはははと接している。

心の中では

もちろん渦巻いてる。

あのときのことがなければ私は世間的に言う普通という枠に乗っていられたのかな、

と思うこともしばしばある。

それから何度も何度も人間関係というものに苦しまされ

なぜか看護師の資格も持っている。

辛い苦しい方の役に立ちたい。

元気なときはいつもそう思っていたよ。

気の合わない看護師

優しさのみえない看護師

要領第一の看護師

急性期が一番忙しいとひとりで叫び回る看護師

倫理的に外れすぎる看護師

多重人格の看護師

患者に手を上げそうになる看護師

身体抑制をさまざまな視点からみずやる看護師

人に合わせる看護師

ナースコールとらない看護師

他部署にはいい顔する看護師

ふわふわしてるが決断力のない看護師

患者よりなにより申し送りの準備に追われてパニクリ八つ当たりの看護師

認知症患者にやけに厳しい看護師


みんなよくやってるよ。

どんな感覚でそこにいるの?

私は疲れたよ。

患者を見下し続け、あの患者いやこの患者いや。。

疲れるわ、夜勤とか特殊な現場やからこそ合わせてたらこちらがその感覚になる。

さよなら。

看護師しています。