昔、見合いを良くやらされてた頃

今も未婚だが、ちょっと前は見合いをさせられてた。

その時だが、母が、相手から「血筋がいいんですね」と言われたという。母は、事前によく調べてきたなあという事を言っていた。うちは相手に対してそんなことはしていない。気にしていない。

それよりも、母の無自覚さである。ちょっと調べれば父も母もその祖父が村の中で大きな地位を占めていたことがわかるし、二人ともそのことは知っている。私も話は聞いていた。最近になって、ようやくそれが重要だと気が付いたというところだ。

まあ、家そのものは田舎にある普通の家だ。うちの従妹が都会の友人に「うちにはゴルフの練習ができるくらいの庭と駐車場がある」と言ったらすごいお嬢様と誤解された、と言う事を言っていた。みんなその程度の家に住んでいる。
ちなみに、従妹の父は地元の大企業の元役員である。実は立派なお嬢様だという事に後で気が付いた。多分本人には今でも自覚はないと思う。ちなみに私の父方の祖父の血を引いているので、私同様に村長の曾孫でもある。

父方は祖父が分家したので、いわば新しい家だ。そしてたいして土地も持っていないしお金もない。父以外のその妹弟は、大地主の分家に入っている。本家ならともかく分家は普通の家と言う認識のようだ。自分も先祖を総ざらいするまで少なくとも「家」は普通の家だと思っていた。

父方はともかく、母が無自覚なのはよくわからない。母は、大地主の家のお嬢様だ。ただ、曽祖父の代に没落している。没落の理由は、芸者を揚げて遊びまくったのと、若死にしたせい、というのが祖父の言葉。大正時代に村の議員をやっていたので間違いなく名士なのだが。
曾祖母について母に聞くと「私のおばあさんは、おでんをかんとだきといって、下品な食べ物だから食べるな」と言っていたという。また、「小作の使い方がうまいとよく言われていた」とも。地主としての経営がうまかったということらしい。私の曾祖母がお嬢様だったのは間違いない。
祖母も「学校に行かずに小作に年貢を取り立てに行くのが嫌でしょうがなかった」という、いったいいつの時代のお姫様ですかという愚痴を言っていた。母は紛う事無きお嬢様の血筋だ。

父の無自覚はさらに輪をかけている。どうも村長だった曽祖父の家そのものが明治期に近くの地主から名前を分けてもらったものだと思っていたらしい。そのように思い込む何かがあったのだろうか。
普通に考えて、明治中頃に一つの村の村長(かつて四つあった村を統合したもの)を務めた人が分限(財産)を持っていないわけがないのだ。最近、同じ苗字の人がいろいろ調べたところでは、うちはどうも総本家(庄屋だった)に近い家の一つらしい。分家を繰り返しているが、先祖からの血は続いているらしい。また、分家の時期からして、江戸時代から名字を名乗り続けていたらしい。名字帯刀を許された豪農という奴だ。
それに、祖母はやはり大きな家のお嬢様だ。多分年賀だろうが、一度その家に関わる人たちがみんな集まったことがある。数十人いただろうか。又従兄弟たちと大騒ぎしていた記憶がある。祖父はいくら分家だとか一番下の息子だとか言っても、村長の息子である。それなりのお嬢様でないとつり合いが取れないのだろう。

余談。父の母の兄弟と母の母の兄弟が結婚して子供もいる。この人物は私の両親両方の従兄妹になる。一度顔を合わせたこともある。何のことは無い、うちの両親は元から親戚だ。

結論。私の血筋は良い。でもそれ以上でもそれ以下でもない。そもそも現代において血筋には意味はない。本人の人柄が評価されるのが正当だ。
私は私だ。

だから結婚できなかったんだよな。たぶん。

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