宮田大地というひと

宮田氏を初めてきちんと認識したのはいつだったかなぁと考えると、おそらく現地に見に行った2015年の全日本だったと思う。それまでは、あまり国内のスケーター自体に詳しくなかったのもあり、大して意識しているスケーターではなかったと思う。その全日本2015時点である宮田氏に関する知識といえば、川原氏の後輩スケーターでパピオで同門、お互い良いライバル関係にあるといった程度。川原氏を好きになった影響でほんの少しだけ知っているというような感じ。法政大学進学を機に福岡を離れて、中四国九州Bから東京Bに移り戦い始めている、というようなことはたしか後々から認識していったはず。2014年の全日本の放送で演技を見ていたはずだが、そのときは町田氏で手一杯で、他のスケーターをあまり意識して見ている余裕はなかったのかもしれない。

2015年の全日本・男子SPで、彼のシンドラーのリストを見た。ソチ五輪頃からスケートファンになった私は、シンドラーのリストといえばリプちゃんの赤いコートの衣装の印象がそれまでは強かったが、宮田氏はモノクロのグラデーションの衣装で、タイプライター(で合ってるのかな)を打つ振付から始まったのがすごく印象に残っている。シンドラーのリストの映画は未見だが、映画ではリプちゃんがモチーフにした赤いコートの少女にだけ色がついていて、それ以外の登場人物や背景は全てモノクロだということをどこかで見たことがあった。宮田氏はそのモノクロの方をモチーフにしたんだなと見ながら考えた。
物語もざっくりとしたあらすじしか知らないが、振付や彼のスケート、そして切なくて美しい音楽からそのストーリーが感じ取れるようだった。胸がぎゅーっとなるような、そんなプログラムだった。今でも大好きな彼のプログラムだ。

フリーのブレイブハートは、彼の福岡パピオ時代のコーチ、中庭先生の代表的プログラムで、その中庭先生が滑っているのを見て自分も使いたいと考えて使用したそうだ。それは確か前年の全日本とクワドラプルかなにかで読んで事前予習していたため、新米中庭先生ファンとしては見ていてとても胸が熱くなった。コーチから教え子へ引き継がれていくプログラムが見れるのは、実はとても幸せなことなんじゃなかろうかと思った。中庭先生の最後の全日本を会場で見ていたという宮田氏(全日本2014のFS西岡アナの解説による)が、今度は自分が全日本の舞台に立って、かつて中庭先生が同じ舞台で演じていたように、ブレイブハートで滑っている。こういう、フィギュアスケートの受け継がれていく歴史みたいなものを目の当たりにするたび、なんだか感動して泣きそうになってしまう。
もちろん中庭先生と宮田氏のブレイブハートはそれぞれまったく同じではないし、各々の色がある。だけど後半に行くにつれて火がついたように盛り上がっていく音楽とスケートを見ると、たしかに師弟で受け継がれたプログラムだなぁと思った。悲壮的なSPと情熱的なFS、対極のプログラムを演じていた彼のスケートはとにかく雄弁だった。すぐに、これから注目していこうと決めた。

そして世界ジュニア代表として、MOIでエキシビションとして滑ったミッション。シンドラーのリストの衣装で登場して、ガブリエルのオーボエの優しい曲調にのせてうつくしく抒情的に滑っているのがとても目に心地よく、こういう曲がよく似合うスケーターさんだなあと感じた。曲自体も気に入り、曲聞きたさにもよくMOIの放送を見返していた。最後のポーズのタイミングを間違えて、二度ポーズをとっていたのはご愛嬌。
ミッションはたしかあそこで披露したきりのプログラムだったと思う。見返してみると、競技のSPでもいけそうな構成のため、もしかしたらボツになったか過去に滑っていたSPなのかなと推測していたりする。宮田氏の過去プロについては、マラゲーニャで滑っていたというのを聞いたことがあるだけでそれ以外は何で滑っていたのか全くわからない。

宮田氏を生で見たのは、この全日本が最初で最後。その後のシーズンからは、Twitterで彼の演技のレポを追いかけ、テレビ放送で彼の演技を見るだけになっている。世界ジュニア代表として出場したDOIで披露されたパールハーバーでは、彼のスケーティングのうつくしさに改めて驚かされた。
ただひとりだけ、スケートの伸びだとか足が氷についているときのなめらかさが抜きんでていた。よくスケーティングが綺麗なひとをツルスケだとかヌルヌルした滑りだとか、氷の上の空気の膜の上を滑っているようだとか表現するが、宮田氏はそのどれだとも言い難いよなあとも思った。

彼のスケーティングは、リニアモーターカーを見ているような感覚になる。音もなくすーー…っとゆっくーり動きだしてそのまま加速していき、止まるときもまたすーーっとゆっくーり止まる。そういう感じ。しかし磁力で推進しているような…というよりは、エッジが空気の侵入など許さないようにぴったりと氷に吸い付いて、そこから真空のなめらかさのスケーティングを生み出している…とよく意味がわからないポエムみたいなことを言ってしまう。なんとなく伝わればありがたい。そういう真空のスケーティングだと個人的には思っている。わたしは彼のそのスケーティングが大好きだ。きっと私以外のファンの方々も彼のスケーティングが好きだという方が多いと思うし、なにより彼のスケートの特徴だと思う。元々福岡にいる時代からスケーティングが綺麗だったというが、東京に出てスケーティングの指導を重視する重松先生に教わるようになってから、更にそのうつくしさに磨きがかかったらしい。

彼の好きなところはそれだけではない。とにかくおそろしいほどストイックなところもただただ尊敬している。中庭先生によると、昔は筋肉痛で練習を休むくらい弱くて、とにかくひょろひょろなもやしみたいな子だったらしい。世界ジュニアの解説の際もそんなことを語っていたが、いまやそんな面影などないくらい、がっしりとした身体つきの精悍なスケーターさんである。
SNSはインスタグラムのアカウントを持っているがなかなか更新はしない。半年に一度とか一年に一度とかの更新頻度だ。というのも、SNSをやっている時間があったら練習をする、という考えによるものらしい。(未鳥さんのブログ参照)それを読んだときは武士みたいなひとだな…とつい思った。彼のような潔さの人はなかなか珍しいんじゃないかと思い、同時にそのスタンスが死ぬほどかっこいいなと思った。

そういうスタンスになったのは、世界ジュニア後の2016-2017シーズンから腰の負傷に苦しまされ、氷に乗れない期間が長く続き、大会に出られないことが多くなった彼だからこそかもしれない。氷に乗れない期間は病院通いと、身体の筋力を鍛えたり、自動車学校に通い免許を取ることなどに充てていたらしいが、氷に乗れるようになってもなかなかハードな練習はすぐには始められず、基礎の練習をひたすら繰り返す日々だったそうだ。(スポ法インタより)
それもあり、練習の貴重さというものを身に染みて実感しているのだろうなと思う。氷にも乗れず、大会にも出られず。そういう生活が続くことが如何ばかりなものか、察するしかできない。とてつもなくもどかしく苦しいのだろうことはわかる。そんな生活を送る中で、あのストイックさが生まれたのかもしれない。

2017-2018シーズンは、共に世界ジュニアに出場した中村氏や友野氏の奮闘を見て「あの二人を見ていたら自分もまだなにかできるかも」、と大学卒業後の続行も仄めかしていたが、今シーズン・2018年の春には2018-2019シーズンがラストトーズンだと明言した。
そうか、と寂しくなったが、きっと身体も復調と再発の間際でぎりぎりの状態だったであろうことを思うと続けてほしいと考えることも心苦しくなったりもした。とにかく、彼が満足のいくラストシーズンになりますように、全日本に出ることが叶いますようにと願いながら追っていたシーズンだった。

それ故に東日本SPの日、6練で腰を気にして痛そうにしてジャンプもうまくはまらない、というレポが流れてきたとき、目の前が真っ暗になった気持ちがした。2018年は身体もなんとか好調そうで、首都圏の大会やブロック大会では好成績をマークし続けて全日本出場への期待が膨らんでいただけに、「なぜ全日本出場が懸かる今なんだ」と思わずにはいられなかった。後のインタで、ずっと付き合い続けていた腰の痛みが東日本直前に酷くなったのだと知る。
今季東日本の枠は少なく、レポを見ていればそれこそちょっとミスをすれば落ちてしまうようなそんな死闘が繰り広げられていることがわかり、FSの日はレポを読んでいるだけで苦しくなったのを覚えている。そんな中、痛みに苦しまされつつも滑りきったが、宮田氏は全日本に出ることは叶わなかった。

あんなに頑張ってきたのに。どうか報われて欲しかった。そんな気持ちばかりが湧いて悔しくて悲しくて、こんな大事な時に彼を見放してしまうスケートの神様はなんて残酷なんだろうと恨めしかった。
しかし東日本終了後の彼のインタを読むと、なんだか憑き物が落ちたようなそんなさっぱりとしたものを感じ、もう前を見据えていた宮田氏を見て、「本人が前を向いているのにいつまでもこんなんじゃあだめだな」と心を入れ替えた。

今年のインカレで「これが競技生活最後の大会になる」と明言したが、3月に開催された明治×法政オンアイスで地元・福岡での全九州を最後に引退することにすると発表。
インカレも、MHOIも、全九州も、良い笑顔で滑っているのを写真で見て、「彼が良い終わりを迎えられたのならそれでよかった」と今は思える。そして、彼がたくさんのリンクメイトや後輩スケーターたちから慕われていたことを知って、本当に素敵なスケーターだったんだなと嬉しくなった。
東京に来てから、なかなか一筋縄にはいかなかった日々だったかもしれない。しかし、「東京に来て良かった。」とインスタで本人が言っていることが全てなのだと穏やかな気持ちでいる。全九州の集合写真で、シンドラーのリストのモノクロの衣装を着て、鮮やかな色とりどりの花束を手にして笑う彼はとても晴れやかだった。

彼が思い描いていたラストシーズンと、実際過ごしたラストシーズンはどんなものであっただろうかと想像することはある。望んでいた競技生活の終わりであったかということも。
ファンの一番の望みは、本人が思い描いていたままのラストシーズンになること。それしかない。しかしそうなったかどうかという答えは、結局彼の中にしか無い。なので、終わりよければ全て良しではないが、最後に本人が晴れやかに笑っていればそれでいいのではないかと、彼の引退を見て一介のファンは思う。苦しいことも悔しいこともあっただろう競技生活の最後に、素敵な笑顔で笑っている。ならそれでいいんじゃないか。と、そういう境地に至った。

美しいスケーティングと情緒あふれる繊細な表現力を持ち、ストイックで、ひたむきな彼は本当に素敵なスケーターさんだった。できるなら、その滑りがまたどこかで見られることを願っている。
彼を応援できてよかったなあと思う。彼を応援することで、色々とファンの心持の在り方みたいなものを考えさせられた。
今月からは新社会人として第二の人生を歩み始めているはずだ。きっとスケート同様、ストイックに仕事に打ち込んでいるんだろうなあと思う。あんなに素敵な営業さんがいる金融機関はどこだろう。いますぐに口座を開かせていただきたいものだ。

宮田大地さん本当にお疲れ様でした。あなたのスケートと、あなたというひとに出会えてよかったと心から思います。
これからの人生に幸多からんことを願っています。応援させていただきありがとうございました!


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