もて

太宰治「正義と微笑」を読み終えた。思春期の主人公が事あるごとに、自分の偏見や有言不実行といった人間らしさに苦悩しつつも、最終的に明るい未来を手にしていくのは意外だった。平坦な表現の端々にときどき上品な言葉が垣間見えて、日常的な美しさを感じた。

ああ、そうだ。人間には、はじめから理想なんて、ないんだ。あってもそれは、日常生活に即した理想だ。生活を離れた理想は、——ああ、それは、十字架へ行く路なんだ。そうして、それは神の子の路である。僕は民衆のひとりに過ぎない。たべものの事ばかり気にしている。僕はこのごろ、一個の生活人になって来たのだ。地を匍う鳥になったのだ。天使の翼が、いつのまにやら無くなっていたのだ。じたばたしたって、はじまらぬ。これが、現実なのだ。ごまかし様がない。「人間の悲惨を知らずに、神をのみ知ることは、傲慢を惹き起す。」これは、たしか、パスカルの言葉だったと思うが、僕は今まで、自分の悲惨を知らなかった。ただ神の星だけを知っていた。あの星を、ほしいと思っていた。それでは、いつか必ず、幻滅の苦杯を嘗めるわけだ。人間のみじめ。食べる事ばかり考えている。兄さんが、いつか、お金にもならない小説なんか、つまらぬ、と言っていたが、それは人間の率直な言葉で、それを一図に、兄さんの堕落として非難しようとした僕は、間違っていたのかも知れない。
人間なんて、どんないい事を言ったってだめだ。生活のしっぽが、ぶらさがっていますよ。

「正義」という言葉は、挫折をまだ知らない芹川進の理想像であった。しかし彼はそれを捨て切って楽になろうとはしないだろう。自分の人間らしさと理想との両方を見つめるという試行錯誤が、これからの彼に始まっていくのかもしれない。




曇りの日は、自然が自分にそっぽを向いているような気がする。その方が落ち着く。


100de名著の河合隼雄の回でひとつのお話が記憶に残っている。
とあるお坊さんが川の近くを歩いている時、向こう岸に行きたいという若い女性があった。彼は彼女を向こう岸までおぶってやると、女性は彼の優しさに好意を抱いた。彼はそれを知りながらも、微笑してまた独り歩いていった、というお話。


ひと段落したら旅をしよう。



たまには、
微笑もて愛を為せ、と思ってみたい。

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