足跡

あえて記すことのない平凡な日々。少し早く起きることもあれば遅く起きることもある。


最近は身の周りの人の、お互いに悪く言っているのばかり聞こえてくるようで、自分もその一員ではあるが、この悪循環はやっぱり誰かが断たねばならぬ。人には酸いも甘いもあること、いつでも間違いを犯すということを認め、微笑もて愛を為さねばならぬ。これを為すためにはやはりカルチベートされているほうがた易く、家族それぞれの過去についてなど多少は知っておくのもよかろうと思う。




あれだけ面倒だった布団の洗濯を、今日になったらすんなりと遂行できていた。天の機運侮るべからず。常に余裕を持って過ごすべし。


三兄弟のうち実家に住んでいるのは真ん中の私だけだ。苦労も無く過ごさせてもらっている。

母方の実家に住んでいるが、父の家系の歴史が忘れられるのは悲しい。

祖母の弟には子供がいない。自分たち夫婦が死んだら数年でいいから墓の管理をして欲しいと頼まれている。


記憶はいずれ消える。歴史とは微かに、そして粘り強く、身体に刻まれ受け継がれていくものだ。



祖母との2人の時間は穏やかながらもあっさりとしている。食事や庭のことは2人でやるが、それが終わればお互いの時間に戻る。2人の時間を繋いでいるのは互いの静かな孤独の時であり、無表情の時である。



美しくも楽しくも、何ともないような時間がある。無表情の時は唐突にやってくる。無表情の時を過ごしている時、人は驚くことがない。自分というものを消していて、見えているものにひっそりと身を横たえている。
人が歩いているのが見える。物事が流転しているのが分かる。それらを微笑もて見つめる。無表情とは微笑だ。

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