第三期

去年までの暖かな冬は厳しい寒さに代わり、ゆっくりとした世の中は一変し吹き曝しの日々を作り上げていく。いつもなら感傷に浸るような出来事の数々も、この年のエネルギーをもってして恐ろしいほどに淡々と押し進んでゆく。自分の生活もそれに倣うように、人との関わりが増え、ピアノの生徒が出来、ペットが急死し、そういった出来事がこの先の肯定的未来への転換のために無理やり巻き起こされるが如く積み重なる。気持ちの整理はおざなりのままだ。そういう年なのかもしれない。


社会の一片としての生活が少しずつ形成され、生活の組み立てを考えているうちに、これまで感じていたような、生活という基本的水準を満たしていない自分に対する不安は時折にしか姿を表さぬようになった。ただ、このまま社会の一部としての身の振り方を考えていくうちにいつしかそういう思考回路しか持たなくなり、自分中心の世界のことしか考えられなくなるのが怖い。人生は脚色されて欲しくない。生活と現象とが一体のままであって欲しい。

こうは思ったところで物事を判断するにはまだ経験が足りない。とにかく感覚を大事にしながら一人で生きていたいので、お金や時間に関しては十分に揃っているに越したことはない。気付いたらお金も暇もあるようになっていてくれ。


土着と気品、その間を狙うべきなのかもしれない。目指す所無く生活の中に沈み込んで人間関係の愛憎に耽溺してもつまらぬし、本来の感覚を失い表面上の生活や観念に固執しても上の空の人生だ。自分の人間性に素直でありながらどのような生き方を目指すのか。

先生からはもう離れても良い時だと感じている。最近は私に同じようなことしか話さなくなり、私は論理に疲れてしまった。先生は私に観念的に幸福の道を教えてくれたが、ここからは自分で実感するほか無さそうだ。


ささやかでいいのだ。自分の真ん中の部分を空洞にしていたい。例えば世界に私ひとりだけが存在しているとき、私はなにを夢見るのか、それを知りたい。神話や紋様や歌の生まれるそのはじまりの気持ちを味わいたい。

雪が激しく降りしきる。暖かな部屋に囲まれている。



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