ただの日記②

メギドの8章で倒れっぱなしです。どうも。

メギドの8章読んで、映画を見て、本を読んでるとふと最近始めた配信アプリへの興味がなくなりつつあるのに気づいた。なんでだろ?

そもそも、私は人の感情や考え方に触れる機会を増やすために始めたはずなのに、どうにもこうにも薄っぺらく感じてしまうようになっていた。たぶん自分に精一杯で余裕がない。考えを一度放棄して眺めるにとどまることをしなくてはならない。より大きな心に引っ越せたら、人を受け入れられるようになるってミッドナイトゴスペルでもやってた(最近ミッドナイトゴスペルばっかだな)

あ、そうだ。配信見るよりもミッドナイトゴスペル見てる時間の方が長い!!それもそのはずで、ミッドナイトゴスペルの方がはるかに人に触れられるから。いや、自分に精一杯な状態なら正直わからんが。でも、この長い休みの中で色んな人と話しているのも事実で、わざわざアプリを使う必要がなくなってるかもしれない。

あと、見ていてわかったのは「人は思ったより自分の状態を言葉にできない」ことと、「語彙力のない人を見るのがかなりイライラする」ことだ。後者は知ってた。でも世の中の人間こんなに表現できない人ばっかなんだな……って。自分が優れているとは全く思ってないし、まだまだ無知で至らぬところばかりだから人生は学びになるだろうとすら思っているけれど、こうまで認識・表現の差を叩きつけられるとは思わなかった。

話し上手になりたい。面白おかしく話すのではなく、その人の世界に合わせた話の展開ができるように。その人は何をどこまで知っているか、距離感をどうすべきか。

聞き上手になりたい気はしたけど、「普通興味のないことは流す」と言われて、その「流す」ができない性格だから、どう頑張っても人間になれない。私の行動や発言は全てではないとはいえ、無意味に発せられるものなんてとてもとても少ないのに。全部を受け止めるからこそできる「聞く」もあるかもしれない。でもでも、「普通の人」の聞くと私の聞くはどうやら違うらしいから、きっとそれはとてもイライラするんだろうな。

勝手に決めつけられるのが嫌だ。こうだから、あぁだから。興味ないと思ってたと言われても、それを好きなあなたとこうして話してるんだからあなたには興味があるのに、って。嫌いであってもそう。好きなものについてしか話さないなんて、良いことかもしれないけどとてももったいない気がして。好きなものは十分わかった。あなたについて聞かせてよ。

でもでも、生身の人間がリアルタイムで画面の向こうで話しているのに、本や映画の方がリアルに感じるのはなんでだろう?そりゃあ、作家はそういうのを描くプロではあるけれど。

表現する人が好きだ。絵でも、音楽でも、言葉でも。その人の好きが見えてくると嬉しくなる。こだわり、温度感が伝わると言葉が出るほどには嬉しい。
でも「好きなものの属性がこれ」はわかるけど、「この属性に属してるから好き」になってる人がいる。確かに好きかもしれないけど、その好きであってもかなり強めに伝わることが多い。「この人本当にそれ好きなの?」って疑うのは良くないよなぁ〜、でもなんで薄く感じるんだろう。表現力の問題とかでもなさそう。肉声でも文字でも、重みを感じない。

そうだ、重みだ。私はあらゆる表現に重さを感じるタイプかもしれない。この人のこの表現はとても重たいな、好きだなって。好きとか推しとかに重みを感じる。この重みってどこから来るんだろう?わかんないや。

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