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「代謝建築論か・かた・かたち」に見る菊竹メタボリズムの建築物たち

 菊竹清訓さんの著書『代謝建築論 か・かた・かたち』では、メタボリズムはメンバーそれぞれの考え方があるから―としたうえで、ここに書くのは自分のメタボリズムだと記しています。その「菊竹メタボリズム」の思考の過程を覗いてみたうえで、私なりの感想を述べてみたいと思います。

【スカイハウス】1958年竣工

   (キーワード:日本伝統建築・可変性・人間生活への配慮) 
 スカイハウスは、菊竹さん自身の建築思想を現した自邸で実験住宅。メタボリズムが世界に向けて発表される前の小さな作品ですが、メタボリズムの思想がしっかりビルトインされていて、 スカイハウスこそ世界遺産にふさわしいと私は思います。
 日本発の建築思想メタボリズムを体現し新陳代謝もしているからです。私のお気に入りの世界遺産に、個人の住宅シュレーダー邸(オランダ・1924年竣工・世界遺産登録2000年)があるのですが、スカイハウスはそれ以上に未来の世界人へメッセージ性の高い建築物だと思うのです。

大きな特徴4つ
①4本の壁柱で上空に持ち上がっている造り
②四辺を巡る廊下の内側に、壁ではなく建具で仕切ると現れるワンルーム
③無双戸の雨戸、障子やガラスの引き戸といった日本建築の合理性を採用
④台所や浴室は可動装置化し、需要や時間経過による変化に対応

 スカイハウスのキッチンやバスルームは、ムーブネット(可動装置)という配置転換および取替可能な設備化したものになっています。家族の成長変化にも対応できる造りで、実際、子供部屋の増築と撤去、キッチン周りの改良など、7回の更新(改造)がなされているそうです。スカイハウスは、家族という最小社会の変化と人間性を重視した温故知新の建築だと思うのです。

 四季に合わせ空間をかえる日本建築の設えに習ったそう。細部のことかもしれませんが、私は雨戸の無双戸を知り感激しました。私の祖父母の家(鹿児島県)にも施されていたからです。縁側の天井に近い壁にあり、板をずらすと田舎の空が縞々に見え風通しが良くなる・・・、子ども心にも、スゴイ知恵だなと思っていました。それと同じ仕組みがスカイハウスにあると知り、懐かしさと日本の住宅文化の素晴らしさを改めて思ったのでした。
 
 菊竹さんは、「空間の秩序こそ、建築の本質。方向づけるのは人間性」「空間に自由に機能を発見し、独自の選択にしたがって機能させるという形が望ましい」と書いています。
 住宅は建築物という「モノ」ではあるが、「所有する」のが目的なのではなく、家庭生活という時間の創造を担う一部分なのだと思うのです。車や道具類にしても、人はそれらを使って時間をどんな心もちでどのように過ごしたいのか、それを実現するための「モノ」だということを日常においても忘れずにいたいものです。
 菊竹さんはスカイハウスから眺める夕日が好きだったそうです。

【出雲大社庁の舎(や)】1963年竣工‐2016年解体

    (キーワード:日本独自性・技術革新・地域の素材)
 出雲大社庁の舎は、伝統的な神社建築とコンクリート造の新しい造形の建物とを巧に調和させているとして、「日本建築学会賞」を受賞しています。室内の檜材との調和、扉や庭園など美術家(粟津潔)との協力に成功している点も高く評価されたとのこと。
 設計は、構想段階の「か」➡技術の「かた」➡最終形態の「かたち」と進み、「か・かた・かたち」の設計方法論が固まってきた建築物だそうです。

 前の庁舎が消失したので、施主から求められたのは燃えない建築(耐火)。そこにプラスして、設計の中心に置くべき「か」の指針探求のために調査研究の段階が入るのが菊竹建築です。伊勢神宮や桂離宮が日本伝統建築と言われている中、菊竹さんは出雲だと確信したそうで、出雲大社のシンボルは米蔵であるという独自の考えに到達し、その横にたたずむ建物は「稲掛け」をモチーフにすると定めました。
 耐火の要望に対しては、基本構造をコンクリートで、横に掛けるルーバーはサンゴバン社(フランス)の色付き強化ガラスで計画されました。しかし、(その時代では)ガラスの生産技術上、強度が不十分なため、プレキャストコンクリートになったとのこと。将来、ガラスの生産技術が向上し、寄付者が現れ可能なら、この外壁部分を全部ガラスにやり替えたいと『代謝建築論』に書かれてあります。

庁の舎と大根やぐら

 もし、ガラスで再生されたなら、いなかけ×あかりで、提灯のようにともる建物の姿が現れただろうと夢想します。宮崎の風物詩「大根やぐらの照明」のようになるのでしょう。あかりは気持ちをなごませ、人を呼び込む力を持っていると思います。電車やバスで、夜宮崎の田園地帯を通る時、私はあかりが灯る家を見ると、人の暮らしを感じてホッとするのです。
 残念ながら、ガラス材への更新ならぬまま2016年に解体され、現在は新しい庁舎が建っています。
 
 菊竹さんは、庁の舎の設計段階ですでに、現代建築の明日への課題を意識していました。地元産の建材を使うことと、プレキャストコンクリートをはじめとする工業規格品(工場で生産したものを運び込んで使う)との、「地縁と技術の相克」です。「技術的条件は普遍性を求め、地縁的条件は独自性を求める」と・・・。庁の舎ではコンクリートにこの地方の砂鉄分の多い砂を使用し、画一サイズにしないなど、苦肉の策を講じています。

【都城市民会館】1966年竣工‐2019年解体

    (キーワード:可変性、光・音・空気の統一)
★市民会館の建設途中や竣工時の写真も挿入され、会館の特徴と解体前夜までの歴史がわかります。見ごたえある約15分間の映像⇩

 変わるものと変わらないもの・・・が都城市民会館のテーマと言えます。変わるのは、ホール空間を作り出している鉄製の屋根部分。変わらない部分である基壇は鉄筋コンクリート造り。現場打ちコンクリートでなければいけないと、菊竹さんはこだわっています。その地でとれる砂を使うこと、つまり地産地消ということでしょう。実際、都城市の建築課職員たちも、指導を受けてコンクリートを練ったと聞きました。

 出雲大社庁の舎の時と同じく、念入りな事前調査を行うのが菊竹さんです。「市政のあゆみS39~43年度」をひもとくと、都城市300余年にわたる都市形態の変遷はもとより、周辺の霧島・日南海岸等広く視察して建築構想をねったことが記されていました。私が後に知って驚いたのは、この事前調査で、当時アルバイト学生だった伊東豊雄さんの貢献もあったことです。菊竹さんがその調査報告書をとても認めていたようです。

 菊竹さんは、ホールの空間が人に与える影響、とくに光・音・空気を追求されています。人間の肌感覚、五感という視点からの設備設計。今ではあまり聞かれない言葉ですが、「ファジー」という概念だと思います。その成果は現実をとおして検証されるべき問題(都城市民会館はその最初の計画)と書かれていますが、設備の有効性に関しては市民にはなかなか理解されなかったようです。
 見えない空気を感じるための工夫なのでしょう、1階の廊下には上部に透明なアクリルのダクトがあったことが印象深いです。(写真出典:磯達雄、宮沢洋『菊竹清訓巡礼』日経BP社、2012年)

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 光といえば、市民会館のホールで、照明を反射して煌めく総アルミのどん帳が思い出されます。多数のアルミ板がブラインドのようにつなげてあり、隙間から舞台の様子が見え隠れするどん帳は、芸術家・伊藤隆道の作品(雪印乳業寄贈)。大量のアルミ板を編む作業を、地元の高校生たちと行ったと聞いています。
 コンクリート壁のホールの雰囲気にとてもマッチしていましたが、老朽化により1986年、織物のどん帳に取り替えられました。

 光と音といえば、市民会館の庭に設置されていたストンスピーカーを思い出します。重さ5トンの石の屋外彫刻+野外スピーカー+照明設備というもので、1964年東京オリンピックの選手村にあったもの。(菊竹さんは選手村の食堂を設計されている)。現在は、都城市民の憩いの場である神柱公園に磨いて置かれ、元々の美しい姿を見せています。

ストーンスピーカー

 菊竹さんにとっては、都城市民会館は悲喜こもごもの建築だったと思います。竣工後すぐの雨漏りについては、設計のせいだとした記事が地元新聞に出ました。建設途中の管理を菊竹設計事務所に代わって市側がすると言いだし、その管理がなっていなかったわけですが、そんなことは市民に告知されないまま。その後の補修問題にしても、ままならないことがいろいろあったようです。
 都城市民会館は世界的に知られ評価も高いのに、地元では過去にとらわれる市民感情が後遺症のごとく付きまといました。木を見て森を見ず・・・、一度刷り込まれると是正は難しいもののようです。メディアは情報を出すその一度が肝心と心しなければならないと思います。

 さて、「復刻版」あとがき(2008年4月1日記)についてですが、冒頭の文章に・・・時に「代謝建築」を「更新建築」と読み替え、同じ道を進んでいる。・・・とあります。そして、既存建築物の保存問題にふれ、・・・「更新建築」として取り組む意味を考えた時、「感覚的段階(かたち)」・「論理的段階(かた)」そして「構想的段階(か)」で見ていく「三段階の方法論」は、ひとつの指針になるかもしれない―と述べられています。
 都城市民会館は解体されてしまいましたが、この「三段階の方法論」を活用してオマージュ再生を果たせないものだろうか・・・と私は考えています。

 本文の最後の一文が菊竹さんからのメッセージのように感じられるのです。「か」が建築設計の本質的問題と考えている―と述べた後に、
【現代こそ、新しい思想が、混乱を救うために、切実に求められている時代である。そしてそれは実践としての設計を通してのみ構築されるものではないかという問題提起をして終わりにしたいと思います。】

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