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暗黒日記Z #9 「ライブ」

ライブの思い出というものがあるとすれば、私の場合それはFUJI ROCK FESTIVAL'17が最たるものであり、ちょっと前にその時のことを思い出して一人でエモくなってツイートしたりした。

これは本当にそうで、あの時、Aphex Twinのステージの時間、苗場は「バケツをひっくり返したような」とはまさにこのことだと思わされる凄まじい豪雨だったと記憶している。そんな中で繰り広げられた悪夢のような音とVJを、私は生涯忘れないだろうと思う。

探したらレポートがあったので興味があればどうぞ。

そして今日は、ついさっきまで個人的にVtuberで一番歌が上手いと思っている「ヰ世界情緒」のワンマンライブが配信されており、私は開演から配信終了までフルで見た。Vtuberのライブをちゃんと見るのは恐らくにじさんじの「NJU歌謡祭」以来となるので二回目だと思う。あれもあれで凄まじいものがあるライブというかその名の通り祭りだった。アーカイブが残っているのでこちらもぜひ見てみて欲しい。特に「目抜き通り」と「豚のご飯」は。後者に至っては私は見ながら泣いてしまった。今でこそそう呼ばれているのはあまり聞かれなくなったが、月ノ美兎の「サブカルクソムカデ」っぷりが天元突破していて、これこれ〜! と嬉しくなってしまったのだ。

それは良いとして、ヰ世界情緒である。「お情」という愛称が好きなので私もそう呼ばせて頂くが、お情のワンマンは、こう……今になってじわじわ効いてきているというか。後になるほどに「良いもの見たな」との気持ちが高まる、フジともNJUともまた違う、とても特別な何かだった。彼女の在籍する神椿スタジオが持つ独自の世界観とお情本人の在り様によって、他に類を見ない空間が構築されていた。超低速回線での鑑賞だったが、それでも十分に届いてくるものがあった。ガビガビで申し訳ないが良ければ少しスクショを見ていって欲しい。

スクリーンショット (28)

スクリーンショット (7)

スクリーンショット (16)

い、居る……。バーチャルアーティストが、お情が確かにその場に存在している。生バンドとの共演という形が採られていることもあり、本当にそこに居るようにしか見えない。AR技術によるものなのだろうから、配信では出来てもまだ現地でこれと同じ光景を目撃することは叶わないとは思うが、それもそう遠くない未来に過去のこととなる気がする。実際に自分の目でこれと同じものを、いやもっと凄いものを見られてしまう日が来るのはそう遠くないのではないだろうか。今日は午前中ずっと珍しくSF小説なんかを読んでいたからか、そんな空想がつい浮かんでしまう。

演出や技術面についてはこのくらいにして、お情本人についても少し語りたい。彼女のことをどうして私がこんなに好きなのかといえば、それは突き詰めていくとシンプルに声が好きだというだけになってしまうのだが、初手でそこまで突き詰めてしまっても味気ない。もう少し外縁をぐるぐるしよう。

初めて聴いた時、歌が上手い、と思った。歌の技術的な部分は私にはよく分からない。だが、とにかく尋常ではなく歌が上手いのが一瞬にして分かった。真に何かに優れた人の技術というのは往々にしてそういうものだろう。長年一つのことだけをやり続けてきた職人や、毎日ひたすら練習に励んできたダンサーや、身近な所ではアルバイト先のベテラン社員なども、素人目には一体どうなっているのかよく分からないが「とにかくすごい」ということは一目で分かる技術を披露してくれる。ヰ世界情緒の歌を聴いて覚えた感動もそれに近かったと言えば、少々卑近にはなってしまうが感覚を分かってもらえるのではないかと信ずる。

記憶が確かなら初めて聴いたのはこれだった。サムネイルだけでも分かるように、ヰ世界情緒が優れているのは歌だけではない。ビジュアルに関しても洗練されていて、どこかの誰かに似ているということがない。少なくとも私には彼女に似ているキャラクターは思いつかない。近年は『惡の華』で知名度を更に高めたオディロン・ルドンのあの絵のような、あからさまに目を象っている不気味な妖しさを放つ花がモチーフとして使われており、衣装も黒と赤で禍々しさすら感じさせる。このビジュアルだからこそ、私は彼女の動画を再生してみようと思った。

歌の上手さ、ビジュアルのよさ、そのほかにも魅力は数限り無くある。しかし、今日のライブを見て思ったのは、どこがどう良いから好き、というものではなく、結局私は「ヰ世界情緒」という存在が好きなのだなということだった。厄介の気配がするかもしれないが大丈夫。その手の夢は見ないようにしている。

ライブの最後、ヰ世界情緒は「Anima」という今回のワンマンのタイトルの意味について話した。曰く、Animaとは魂という意味で、ひとりひとり、皆が自分の魂を大切にして欲しいとのことだった。そして、笑っていて欲しい、と。頑張ってください、私も頑張ります、と彼女は言った。

自分の人生を「おまけの一日」としか考えていない私にはとても刺さるメッセージだった。図らずも、先程少し触れた『惡の華』を読んだ時にも私は同じ経験をしたのを覚えている。仲村佐和という少女が「私の魂をぐちゃぐちゃにしないで」と言った時のことだった。魂について、私は改めてもう少しよく考えなければいけないのかもしれない。

これが一番好き。

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