La Va

うねりのある日だった、その湾曲は間近で見やれば真っ直ぐで気づきはしないが、どこか別の惑星から、いくばくかの光年を置いて観測すれば、大きく人間が老いるような命のある前傾の。
覚えていることはそれくらいであった。記憶には、記録されていることはたくさんある。ただ覚えていることはそれほどだ。ただ覚えられることの限りなくわずかな日々に撥ねた痕の残る景色だ。覚えている記憶は傷だろうか。その傷のくぼみをいつまで撫でて、手触りを覚えていられるだろうか。
脳のどこかしらが、あるいは身体的な感覚として、(脳を通過、または脳を介さずに腕や頬、眼球やまつ毛、歯、髪の毛(なんでもいい)その日の知覚が鋭敏になった身体の一部であるならば(それらのレセプターが潤っていればなお良い))肉体へと温度や湿度、空気の殺気や弛緩、振れ幅、淀んでいるか澄んでいるか、などのコンディションを合算して、算出されたその日の割れ目にあったのが、一言で失言するのならば、うねりというわたしが視たマグマだ。くぼみへ沿って、どこに帰るだろう。あるいはどこで、どのあたりで化石になるだろう。

2024/03/03
その日は冬の朝に目が覚めた。
季節としては冬から春、あたりであると定義されているようであるけれど、起きたらずっと人、という季節で目を覚ましてまた布団に戻りたくなることもあるから、ちゃんと冬だったので良かった。その日、さいたま市から東京の多摩市(←多くの摩擦が町中で発生してあらゆる存在が発火してたらどうしよう、まるで人間だ)にある聖蹟桜ヶ丘という駅まで行くことになっていた。街から街へ、冬から人へ、布団を抜け出して鏡の前に立ってみたり、トイレの扉を開けてみたりをした。出掛ける前に家中のみんなを回収していかなければならないから、しばらく部屋をうろちょろとしていた。今日は人と会うのだ。体のパーツが足りていないと不安だからそうした。乾いた皿に奥歯がいたので回収、カーテンに隠れて窓に爪が貼りついていたので回収、冷蔵庫の中のペットボトルの底に髪の毛が生えていたので回収、知らない人と会うのは緊張するから、できるだけ人のパーツを集めて、できるだけ会話が可能になるよう、可能性を高める為にそれらを集めてどうにか不出来な衣服を身にまとった。

街に降り立つと、街だった。建造物、入口、電飾、階段、エスカレーター、車、道路、信号機、空調で満たされ膨らみ肥えた街はすみずみまで人という季節だ。ちょうどよく、調節されている。動物だったことを思い出さないように、少し正しく狂わないように、人を人たらしめるために、横断歩道を渡り始める、とてもつつがなく寄り添う、わたしの服に、わたしを合わせて渡り切る。知らない街で、知らないことに出会いに行く。

『詩誌La Vague』合評・朗読会/ケトルドラム

雪柳あうこ氏主催の詩誌La Vagueの合評・朗読会イベントに参加をした。
聖蹟桜ヶ丘駅より徒歩2分の場所に会場のケトルドラム(喫茶店・コーヒーハウス)はあった。お店のロゴがかわいい~なんて思いながら階段を上がっていくと既に複数人の参加者も集まっており、急に緊張してきてそわそわと落ち着かない気持ちになったりした。僕自身はLa Vagueのメンバーのみなさんとは面識はなく、インターネット上での繋がり、やりとりも少なく知っていると言えば雪柳あうこ氏とシーレ布施氏のお二人だけということもあり妙に借りてきた猫のように縮こまってしまった(文学フリマなどで詩誌を購入しているのでその時に一瞬だけ会った事がある方などもいたにはいたけれど)。
どうにかこうにか、ドリンクのオーダーなどを済ませ、知っているお二人にも挨拶をし、席についてイベントが始まった。
僕は終始、ドキドキしながら朗読や、会話などを聴いてうなずいたり、オーなど感嘆したりだった。自分も喋った時があった気がするけれど、緊張してフガフガなにか言ったという記憶しかなかった。もっとなにか、読まれた詩などについて喋ったりしてみたかったけれど、あれやこれやと脳内がちらかってしまって、うまく喋れる気がしなかったのでやめておくという選択を取ってしまった。オンラインの朗読会でさえ、緊張してよくどもってしまうので、そういった判断になった。
つつがなく合評、朗読会は進行し、無事イベントは閉幕した。その後、懇親会なる打ち上げのようなものもあり、そこにもそのままお邪魔させてもらった。お菓子や軽食などを振る舞っていただき、ワインを飲んだりもした。ワインは二本あり、それぞれLa Vague vol.0、1の本と同じ色だった。
ゲストの藤井一乃さん、川口晴美さんともお話でき(なんと対面で向かいの席だった)、そこでもなんとか喋ったけれどワァといった気持だったために緊張していた。
各々が会話を咲かせていて、かねてより交流のある(ネット上では)お二人の、雪柳あうこ氏とシーレ布施氏の元へ向かい会話などをした。初めて会ったわりには、お二人とはけっこう流暢に話ができたかと思われる。途中、シーレ布施氏の装備品であるちゃんとしたカメラ(カメラに詳しくないからわからないが多分一眼レフ)で写真を撮ってもらったり、サインを書いていた雪柳あうこ氏をかっこいい~と眺めながらミニチョコクロワッサンを食べたりなどをした。

宴もたけなわ、惜しまれながらお開きとなり、帰路につく運びとなった。
各々がそれぞれの家路についていき、一人、また一人と孤独の個々が孤独の範囲へと足を進めていった。駅までの途中で、シーレ布施氏にカメラを貸していただき、ぽつぽつと写真を撮ってみたりをした。
これは個人的なことだが、一眼レフカメラを触るのは十年ぶりで、専門学校に通っていた時の事を思い出した。また、一つ記憶が触れられ、あの頃そこを中退した幼かった自分がようやく死に場所を見つけて、あるいはここにいるわたしが見つけてあげて、看取るようにシャッターを切った。不正解でも、正解でもなく、君の選び歩いた先の道はただ事実としてここにあると花を手向けるようにだ。ふいに記憶が蘇るというのは、殺されるための再会を待っているからだと思った。
綯い交ぜになった春をふんだんに含んで、明滅
いいえ/おもむくままに、進め

注意して進め?
いいえ

おもむくままに、進め

追伸、この先の地平より/雪柳あうこ『黄色の先へ』より一部引用。


La Vagueのみなさん、雪柳あうこ氏、シーレ布施氏のお二人とも別れ、一人電車に揺られることとなった。その間も終始ぼうっとしながら座っていた。今日、冬の朝に目覚めたそこも、そして一人帰路を辿るここも、始発だった。終電のような始発をただ揺られていた。
お二人のそれぞれの詩集は鞄にしまわれたままだった。サインをお願いしようかと持参したものだったが、結局タイミングを逃しそのままだった。けれどそれで良いような気もした。ここ始発ですから、まだ何光年も先はあるのだから、無理やりに捻じ曲げなくたって、いずれこのうねりはまたどこかで交わるゆえに急ぐ必要はなかった。そういえば、いつもは通勤快速にのるはずの列車ではなく、これは鈍行だったのだから。

ここ始発ですから

詩誌La VagueVol.0/シーレ布施『ここ始発ですから』よりタイトル引用。

これはもともと、
波に誘拐され、融解し、筆の芯か、その切っ先の石像が、マグマとして血管を伝っていくと、足元を濡らしていって部屋に到着した。くぼみへと荷物を下ろしていった。


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