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ドキュメンタリー映画『水俣曼荼羅』を観た~ぜひ多くの人に観てほしい!そこには写真に写らない『MINAMATA』があった~

写真は水俣エコパーク(メチル水銀を含むヘドロが埋め立てられ作られた公園)にて、永野三智さん(https://note.com/nagano_michi)の説明を聞く私と次郎。

7年ほど前だろうか、当時暮らしていた大分県から熊本県水俣市までは、普通電車で6時間かけて行った。なぜ特急電車を使わないかというと、次郎が持っている障害者手帳(障害者手帳には身体・知的・精神の三種類がある)の障害者割引は、普通運賃のみだからだ。なので、私たちは今でも移動に普通電車を使う。

2021.9.18 待ちに待ったジョニー・デップ主演の映画『MINAMATA』が全国に先駆けて水俣市で公開された時も、たまたま私と次郎は福岡に居て、6時間普通電車に乗って水俣市へと向かった。最後の乗り換え『肥後おれんじ鉄道』は自然の海岸線すれすれを走る大好きな鉄道だ。私と次郎はこうやって、ゴトゴトと非効率に時間をかけて移動し、様々な人々に出会ってきた。

写真の永野三智さん=みっちゃんもそのひとりだ。彼女の書いた「みな、やっとの思いで坂をのぼる~水俣病患者相談のいま」という本の紹介は、また日を改めてしたい。

映画『MINAMATA』は言うまでもなく、見てほしい映画のひとつだし、ジョニー・デップ演じたユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミス共著の写真集『MINAMATA』もぜひ手に取ってほしい。私もいつも手に取れる場所に置いている。そして心が弱った時に手に取れば勇気が湧いてくる。

さてドキュメンタリー映画『水俣曼荼羅』だ。約6時間もの大作ということでも話題だ。私は水俣までは6時間と思っていたので、案外すんなり6時間を受け入れた。問題は、ひとりの6時間をどう確保するかだった。そして案外それもクリアした。そして観ての感想は、6時間でも足りなかった。もっと観ていたい映画だった。

6時間でも語りつくせない20年もの歳月。もう水俣病は終わったことにしたい国と、まだ終わっていないという人々が踏みつけられても立ち上がり、立ち上がっても踏みつけられる記録。よくぞ原一男監督さん、この作品を作ってくださったとお礼を言いたい。ここには写真に写らない『水俣病』が映っていた。

1932年チッソ水俣工場がアセトアルデヒドの製造開始。1940年初頭謎の病気が発生。この謎を解き明かすのに、医学や科学の進歩を待たなければならなかった。そして、その研究や解明がないがしろにされてきた歴史でもあった。謎が解き明かされるということは、加害者の加害が明らかになることでもあるからだ。

<第一部「病像論」を糾す>では、浴野(えきの)成生熊本大学医学部教授の、「『水俣病』とは末端神経が損傷されたものではなく、脳の損傷によって引き起こされる感覚障害だ。感覚障害こそが『水俣病』だ」という説明に、多くの時間を割いてくださった。私は『水俣病』は末梢神経障害だと思い込んできたから、目を覚まされる思いだった。感覚障害は目に見えない。浴野教授の研究は見えないものを証明する研究でもあったのだ。

『水俣病』をめぐる裁判では、この動かし難い事実を証拠に勝訴しても来ているが、なんと、今現在も『水俣病』の認定基準は変わらず、感覚障害を訴える患者さんを詐病扱いなのだ。

だからだ。申請数に対して認定者が1割ほどしかないのは。今現在では、申請に対して”認定するつもりはない”という意志さえみえる認定されなさだ。

私は申請に至るまでの申請者の人生を考える。見てわかる障害ならまだしも、見てもわからない障害は、隠しておけるものなら隠しておこうとするものだ。しかも、感覚障害は自覚しがたい障害なのだ。自覚するほどの困りごとがあって初めて『水俣病』だと気づき申請しているのに。

しかも、被害者なのに。そこにメチル水銀を流さなければ、苦しまなくてすんだ人々が、苦しみを証明しろと言われ、因果関係を証明しろと言われ、被害者であることを証明しろと言われる。しかも、被害者であるという科学的根拠を示した研究をないがしろにする。科学的根拠を非科学的に否定する。

めちゃくちゃ。

だから私は、めちゃくちゃに踏みにじられた人々と、せめて同じ場所に居たいと思う。


話は変わるが、先日、次郎宛てに東京都県知事から「重度心身障害者手当受給非該当通知」が届いた。これに対して、私は「審査請求書」を東京都総務局総務部法務課へ提出した。次郎が重度心身障害者手当に該当しないとされたことに不服申し立てをしたわけだ。

東京都から届いた『該当しない理由』は、「障害状況の確認及び日常生活の聞き取り結果等から総合的に判定した結果、東京都重度心身障害者手当条例第二条第一項に基づく別表※に定める程度の重度の障害を有するとは認められない」

別表※第二条第一項「重度の知的障害であつて、日常生活について常時複雑な配慮を必要とする程度の著しい精神症状を有するもの」

ほぼ、チンプンカンプン。わざと分かりにくくしているのでは?とさえ思う。そもそもこの申請を出したのが、昨年11月、判定を受けに来てくださいと言われたのが今年7月。待たされ過ぎて疲れ果てて届いた通知だった。

でも、ここで倒れたままではいけないと、起き上がり不服申し立てはどうやってするのかを東京都に問い合せして準備した。

私が『審査請求書』に書いた、審査請求の理由は「非該当であることを受け入れがたい」ということ。その『理由』は、「話すことも出来ず、字も読めず書けず、日常に相当高度なサポートと配慮を必要とすることが、短時間の聞き取りで、しかも、本人を前にして言いづらい状況で判断されたことを不服とします。コミュニケーションの取れない当事者であっても、感情はあります。その本人の前で困りごとを言わせるのは人権侵害です。言う方の支援者・家族も精神的負担の大きな聞き取りでした。充分な情報が得られるはずがありません。審査をお願いします。」

時間のない中で書いた文章だから、もっとうまく書けばよかった、もっとたくさん書けばよかったという思いは残る。実際、判定する際、本人を前にしての聞き取りに、多くの支援者・家族は心を削られているのだ。普段困りごとがあっても、ささやかな幸せを見つけて精一杯生きている思考回路から、突然、困りごとに焦点を当てて、「いかに、この人の為に困っているか?」をあげつらわなければならない聞き取りは、間違っている。しかも本人を目の前にして。

東京都からどんな返事が来るのだろうか。ネットで調べると標準審理期間は『4月』とあった。4か月後になんらかの回答が来るだろうから、また報告したい。

たった一通の通知に打ちのめされていた私は、大きな勇気を『水俣曼荼羅』からもらった。心よりありがとうございました。



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