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・・・やはり私は山本太郎さんを応援します!

あなたが最近「死にたい」と思ったのはいつだろうか?

【「僕にもできた国会議員」山本太郎・雨宮処凛(取材・構成)筑摩書房】のまえがきで、山本太郎さんにいきなり聞かれる質問だ。

まえがきは続く。

「私は10分前だったかもしれない。あなたはどうだろうか。」と。


私は、今朝だ。

私は次郎に「死のうか?」と言った。驚く次郎に、「障がいを苦に、無理心中。あの明るい親子が?!ってタイトル付くね。」と私が言い、次郎が笑った。冗談ついでに、「物語だったら、~別れた父親に『少し支援してほしい』とメールを出したが、返事はなかった。~って書き出しかな?」なんて言って、二人で笑ったのだ。笑いは緊張からの弛緩だ。

次郎が『ボクが死んだら、ママはどうするの?』と言うから、「その時は、お母さんだって死ぬしかないよね。でも、なかなか死に切れるもんじゃないんだよね。」と言ってからの、冗談で次郎が笑うという順番だ。

次郎は、とてもいいヤツだ。だから、だれからも好かれるし、いつもケラケラ笑っている。でも、なんたって、障がい者差別の解消されない(禁止されない)社会で障がい者をやっている。だから嫌なこともあるだろう。そのすべてを私が受け止めている。

先日も、あれほど大好きで、通い詰めた近所のスーパーから、憤慨した様子の次郎が帰ってきた。どうも、お客のひとりから、「シッシッ。」とされたらしい。次郎の言う「シッシッ。」は文字通り『あっちに行け』というジェスチャーだ。それは、さぞ悔しいかったろう、辛かったろう。

「その時、店員さんのだれか、次郎をかばってくれなかったの?たとえば、この方は、うちの大事なお客さまですから、そんなことを言わないでください。とか。」と聞く。

次郎は、「ううん」と首を横に振り、そして、顔をあげて、鼻息もあらく、『もうボクは、二度とあの店にはいかないんだ!』と言った。『「シッシッ」と言うヤツの来るところになんか、行くもんか!』と。

次郎は、人生最高の楽しみを、自分の誇りのために、やめると宣言した。

あれほど、毎日、楽しそうに通い、近所の方たちとの交流の場にもなっていたのに。

私も、悲しくはあったが、次郎の悔しいその気持ちは、すぐ忘れるだろうと思っていた。きっと、楽しかった思い出の方が勝って、そのうちにまた行くようになるだろうと思っていた。

ところが、次郎は、宣言したとおり、二度とそのスーパーに行こうとはしない。そのスーパーは、次郎の誇りをひどく傷つけた場所として、次郎の胸に刻まれてしまった。

さて、困ったのは、私だ。

次郎が行き場を失ったお陰で、今朝から、『一緒に出掛けよう』と、それはそれはうるさかったのだ。

「死のうか」というセリフが出るまでの経緯をざっくり話すと。

なにもない日曜日は、大抵、居宅介護支援事業所に移動支援でヘルパーさんとの外出をお願いしている。しかし、今日はヘルパーさんが居ないとのことで頼めず、頼めなかっただけならまだしも、相談員さんに「お母さんと、○○に行ったら?」という提案をされてしまった。提案というより、世間話しのような感じで言われたのだが、まさか、それが後々大変なことに発展するとは、相談員さんも思ってなかっただろう。ごねまくる次郎も想像もつかなかっただろう。

次郎がその気になって、私も、なんとか次郎を喜こばせたいと思っていた。けれど、今朝になり、雨だし、お金はないし、私は出かけたくないし、、、出かけたい次郎と、出かけたくない私の攻防が始まった。

この攻防は、次郎の方が体力があるから、いつまでも終わらない。私が根を上げるまで、次郎がごねまくるというパターンになっている。

次郎が、ヒートアップして、洗濯籠を投げたり、ドアを叩いたり、不満を体全体で表し始めた。暴れれば壁の薄いこの住宅には住んでいられない。先日も、やんわりと、「ドアの開け閉めの音が・・・」と言いに来た近所の方がいた。もう、ここにも住んでいられない。

次郎とは、どれほど長い間、こんな不毛なやり取りをしてきただろう。何を言っても、何をやっても無駄だった。考えうる方法で、次郎に、もうお金がないこと、お母さんにはもう体力がないことを伝えてきた。

なのに、これだ。なにもわかってくれない。

もう、言葉も、方法も尽きてしまった。

だから、「死のうか」と言ったのだ。

言葉の強さに、ビビった次郎が、少し私の話に耳を傾ける。

終わりの見えなかった攻防がなんとか収束した。

もう、これ以外、私には打つ手が思いつかない。


ただ、わかっていることがある。

私たちは、死ねないということだ。

こんな親子でも、話を聞かせてほしいという依頼がくる。

ついこの間も、300人の高校生の前で話をしてきた。

高校生を前にして、思わず口をついて出た言葉がある。

「あなたたちを、輝かしい未来が待っています。今、悲観的なことを言っている人は、過去のデータしか持っておらず、解決策を見つけられない人です。相模原障害者施設殺傷事件は、過去のデータから考えて『このままでは、介護者は不足するし、福祉に使う予算もない』だから『障がい者を殺すしかない』と考えた事件でした。でも、あなたたちの未来には、使いようによっては素晴らしいAIやロボットやいろいろな技術があります。ワクワクする未来が来ます。」と。

実際、私は300人の高校生を前にして、輝かしいい未来が見えたのだ。

そして、最後に高校生に感想を聞いたところ、「なんて明るい親子なんだろう」「なんて仲のいい親子なんだろう」「楽しそう」「面白い」と言った感想をもらった。

そんなわけで、私も次郎も死ぬわけにはいかないのだ。あれは、嘘だったのか?と思わせるわけにはいかない。


冒頭の山本太郎さんの言葉に、びっくりする人も多いだろう。そして、心配にもなるだろう。あんなにエネルギッシュな人が「死にたい」なんて思うことがあるのだ。と。

でも、山本太郎さんも死なないと思う。

私が対面した300人と言わず、何万、何十万の人々を前に希望を語る山本太郎さんを死なせないのは、山本太郎さんを見て希望を持った私たちだ。

私たちが、山本太郎さんを死なせないのだ。


・・・だから、やはり私は山本太郎さんを応援します!!


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