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「未練の幽霊と怪物」を観た      そうしたら私の人生が少し軽くなった


6月5日(土)から26日(土)まで上演される舞台「未練の幽霊と怪物」がやはり気になって、もう買えないだろうと思いながらチケット販売ページを覗いたのが、6/2午前4時だった。

なぜに、午前4時にスマホ画面を覗いていたのかというと、私の生活はすっかり狂ってしまっていて、午前4時に寝ようとしていたのだった。3時間後には起きて、出かけなければならいというのに。

その頃の日課は大体こうだ。朝、次郎(末っ子26歳重度知的障がいあり)にトイレから呼ばれる。大概寝るのが遅い私は、次郎が何度も「ママー、ママー」「ママー、ママー」と呼ぶ声に、ヨロヨロと布団から這い出して、トイレに向かう。トイレでお尻を拭いてもらうのを待っている次郎に、「お母さん、起きるのが辛いわあ~腰も痛いし、足も痛いわあ、、」などと言いながら、お尻を拭く。

そして、「もうちょっとだけ寝かせてね」と再び布団にもぐる。すると、次郎も少しはテレビなどつけて一人で暇をつぶすが、すぐに退屈して私の布団をはがしにくる。私は「布団をはがす人が一番嫌い」なとど言いながら、布団を取り戻す。それでも、次郎は私が寝ていてはつまらないから、今度は布団をはがさずに、体を揺らして起こそうとする。私は「眠いのに起こす人は大嫌い」と、これまた好き嫌いで次郎の行動を制御しようとする。しかし、嫌われてもつまんないものはつまんないのだ。次郎の攻撃はやむことはない。その気力と体力ではかなわないから遂に降参して、やっと私は目を覚ます。

このコロナ禍で、次郎は施設利用が出来ていなかった。その理由はまたの機会に書くけれど、とにかく次郎はこの半年以上を私とほぼ24時間一緒に居た。

だから、次郎に起こされて始まる私の一日は次郎の為に捧げられる。「さてどこに行こう?」次郎は「ダンダン」と言う。電車に乗りたいのだ。このコロナ禍に電車でどこに行こう?なるべく空いている路線で、交通費が安くすんで、しかも、コロナ太りの次郎の体力も消耗したい。そこで、考えだした私たちの日課は「電車に乗ろうね」と言いながら、遠くの駅まで歩くことだった。次郎は電車に乗りたいだけだから、文字通り「ぶーぶー」言いながら歩く。スマホのアプリに残るある月の平均距離が6,4キロだった。

平均6,4キロって、ちょっとすごくない?この半年間、月平均5~6キロを歩いたことを57歳の私は自分をほめてあげたい。しかも気楽な散歩じゃないのだ。乱視のある次郎がふわりと車道に寄ってしまうのを注意しながら、前から後ろから来る自転車を避けるよう促しながら、そして、最高に不愉快なのは「ママ(うるさい)」と次郎に文句言われながら歩く5~6キロなのだ。

そんな努力のかいもなく、次郎の体重増加はとどまるところを知らず、食費も増え続けた。公的な居宅支援が皆無だったわけではない。移動支援が月に18時間。身体介護(入浴介助)が19時間。家事支援が19時間。公的支援で認められる最大限支給してもらっている。それから近くに住む友人が毎週のように次郎を畑に連れて行ってくれるという親切に支えられて、なんとか私は正気を保っていた。

次郎のいいところは、夜9時には寝るところだ。夕食を作って食べさせ、お風呂に入れて、寝る前に次郎が「痛い」という肩や首をさすったり、『痒い』という皮膚に保湿剤を塗ったりしてあげる。そして私は時計の針がきっかり9時を指すとこう言った。「ピンポンパンポン(音程を上げる)~本日の営業は終了いたしました。大変ありがとうございました。またのお越しを心よりお待ち申し上げています。おやすみなさい。ピンポンパンポン(音程を下げる)」もし、次郎が「えーー?」と言えば、もう一度録音した音声のように繰り返す「ピンポンパンポン~」そうやって、次郎の一日が終わる。やれやれと思う間もなく私にも睡魔が襲ってくる。気が付けば私は椅子で寝ている。

私が再び目を覚まして、台所を片づけたり、自分もお風呂に入ったりするのは午前零時を過ぎてからだ。お風呂に入ると目が冴えてくる。それからスマホを見ているうちに、冒頭のようなことになるのだ。なにしろ、自分の自由時間はここしかないから、深夜ごそごそすることになる。

いつものことながら、こんな時間になにをやっているのだ?明日も辛いことになるのに!と思いながら、チケット販売ページを覗いていた。予定枚数終了の文字が並ぶ。そりゃそうだよね。もうすぐ始まっちゃうんだから。ところが、一箇所だけある△印が目に飛び込んできた。

△印ってことはわずかに残席ありってこと?2枚残っているのなら次郎の分も2枚買おう。そう思ってクリックする。「隣を希望」という選択肢がある。もちろん選択。ところが、「隣の席がない」もしくは「席数が足りない」という表示が出て戻る。隣でないとなると次郎は大丈夫だろうか?と思いながらも、次郎を頼むあてもないから、同じ会場に居ることが出来ればなんとかなるかも?と「隣でなくてもよい」を選択しクリック。すると「席数が足りません」という表示。

一枚しか残ってないってことだった。諦めるならこの時だった。午前4時を過ぎた私の思考はもう後戻りできなかった。ここで諦めたら、これまでの時間が無駄になる。なんとか行ける方向に道が開かれることを期待して、最後の一枚をクリック。6/7の予約が完了した。6/5までに入金しなければ予約は取り消される。逆に言えば、次郎の預け先が見つからなければ、その時に諦めればいいのだ。執行猶予は3日。

私はSNSに次郎をお願いしたいと書き込んだ。それは「未練」たらたらの文章だった。なんとも諦められない気持ちを書いたのだ。それは以下だ。

『私はたいがいのことを諦めて、生きているつもりだけど、諦めきれないこともたまにあって「未練」が残らないように、最後の悪あがきをしているところです。
急なお願いは、病気とか、緊急のことに取っておかないといけないと思いながら、結局緊急時も、心寄せてくださる一部の方に、負担がかかってしまう。コロナもあり、気楽に頼める関係を作ることはむつかしいですが、仕事関係なく、助けあう友達を作ることは、母数の大きな東京に移住した大きな理由でもあります。
面の皮が厚く、心臓に毛が生えているような私ですが、頼み事をすることは苦手です。障がいは社会の持ち物だということがやっと語られるようになってきましたが、最近「障がいは、不利益の集中」という言葉に出会って、おお!これこそ私たちが日々苦しめられていることだと思いました。
今回急なことでもありますし、諦めようとも思っています。ただ、ケアラ―は、自由であることも諦めざるをえないことも知ってほしいのです。私だけじゃなく多くのケアラーが行きたいところに行けず、したいことも出来ないです。黙って諦めたら「未練」が残ったと思うので、書きました。読んでくださりありがとうございました!!』

この悲鳴のような文章は多くの人の目にとまり心寄せていただいた。結果、友人が家に来てくれて、次郎と一緒に留守番をしてくれることになり、他の友人も応援に来てくれ、ボーリングに行くという楽しみも次郎に出来た。他にも、「もしもの場合の候補に」と立候補してくださった方もいたし、情報をシェアして下さる方もいた。なんとチケットを譲ってくださるというお話までいただいた。

私は観劇に行く前から幸せだった。なにかあったら力になってくれようとしてくれる人がこんなにもたくさん居ることに。

夢の中に居るようだった。

SNSで発信したことでよかったことは、個人的に直接頼むと断りずらいのではないか?という不安がいつもある。同じことなのに、自分から名乗りをあげてくれたということが、頼む私の気持ちを軽くしてくれる。そして立候補してくださった方も私の心のリストに載った。本当に嬉しくてありがたくて、その気持ちを伝えたくてこのnoteも書いている。心からありがとうございました。

6/7観劇当日。次郎を友人に託して、家を出た時のドキドキは、いつぶりのときめきだろう?自由で手持無沙汰でソワソワする。いつも次郎を追っている目は何を見ればいいのかわからず宙を泳いでしまう。駅の自動改札にモバイルスイカをかざして通過する時、エスカレーターに乗る時、私の背中に小さな羽が生えて、どこかに飛んでいきそうだった。

けれど、私はどこにも飛んでいかずに、ちゃんと電車に乗って、目的の場所に行った。

「未練の幽霊と怪物」

歌い手として七尾旅人さんが出る舞台だ。

緊張の舞台。誰一人一言も発せずに何かが始まるのを待っている。もしもここに次郎が居たら、表面張力が働いているかに思えるほどの張りつめた空気を、次郎の「ママー」が打ち破るだろう。そんな想像をして留守番を頼んできたことに胸をなでおろした。

夢のような時間。

それからなのだ。なんだか重かった私の人生が少し軽くなった。その日以来私は、次郎が寝た後、椅子で寝入ってしまうことがなくなった。変な時間に寝ることなく、台所をかたずけ、洗濯物をたたみ、お風呂に入り、お風呂上りに寛ぐ時間さえ出来たのだ。そしてそんなに遅くならずに布団に入る。あっと言う間に朝は来るけれど、次郎のトイレ介助をして、再び布団に潜り込むこともなくなった。

人生が重かったんじゃなくて、眠かっただけなんだということに気づくけれど、なにはともあれ、あんなに嫌だった朝も、あんなに嫌だった次郎の世話も、その気持ちをすっかり忘れてしまった。なにしろ一時は「末っ子はかわいいでしょ」と世間話をされるだけで、激怒していたのだからどうかしていた。

かわいかないよ!なんで私が一緒に居ると思っているのだ!!この社会に次郎が自立できる仕組みなどないではないか?!第一次郎の世話は私の仕事なのか??止めどなく愚痴があふれ出した。私は私の人生が次郎の世話で終わることに「未練」があった。私の人生を取り戻したい。

「未練」がテーマの舞台に、私は私の「未練」を少し置いてこれたのかもしれない。もしくは、私の人生を少し取り戻したのかもしれない。そして夢のような時間に、自分の夢をもう一度見ることが出来たのかもしれない。

素晴らしい舞台を作ってくださった皆さん、ありがとうございました。

それから、私をその場に行かせてくれた友人たち、本当にありがとうございました!!

この恩は私が私の人生を「未練」なく生ききることで、返してゆきたいと思います。


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