産めと言い_殺せといい_また_死ねという_国家のあり_note用

金より命〜相模原障がい者殺傷事件から3年〜

2016年7月26日 津久井やまゆり園にて犠牲になられた19名の方々のご冥福をお祈りします。

そして、26名の傷ついた方々の傷が癒えることを願っています。


19名もの命が奪われた事件後、私たちは、この尊い犠牲を無駄にしない生き方が出来ているだろうか?

「障がい者は不幸しか生まない」

3年経ってなお、犯行動機がニュースから流れてくる。

もちろん、「障がい者は不幸しか生まないという差別的な動機により・・・」と言う否定的な言葉ではあるが。

それにしても、障がい者だからという理由で犯行に及んだことを、私たちの社会は、すんなり理解し過ぎだ。

その言葉を流すことに、躊躇してほしいと思う。

その言葉におびえている人が居ることに思い至ってほしい。

障がい当事者や家族が、3年経ってなお「障がい者は不幸しか生まない」というメッセージを受け取ってしまっていることに気づいてほしい。

いや、障がい者を知らない人たちに、このメッセージが届くことの恐ろしさを知ってほしい。

何も知らない子どもの耳に、このメッセージが届く意味を。


私たちの社会は、なぜ、この犯行動機を理解しちゃうんだろう。

意味不明、意味わかんない!犯行動機なぞ過ぎ!!って言う感想はないのだろうか?


あ、わかるわかる、そう思う気持ちわかるよね。って社会は怖すぎる。

人権?生きる権利?命の重さ?尊さ?そういうの、きれいごとだよね。障がい者が生きているだけで、どれだけの税金がかかると思っているの?それでなくても、日本は借金やばいのに。

そんな感想を持った人は、容疑者の支援者だ。容疑者は、その声に支えられて犯行に及んだのだ。自分のしたことは、正義だと信じて。

その狂った正義を、その狂った犯行動機を、いけしゃあしゃあと、ニュースで流すのは、やめてくれないか?


命より経済が大事と考える人は多い。

経済という言葉よりお金と言ったほうが、わかりやすいだろう。

命よりお金が大事と思う人は多い。

命をお金で計算する人も多い。


例えば「それだけのお金があったら、どれだけの人が救えるというのだ?」というような、一見合理的にみえる意見を言う人が居る。

私の経験で、それが、ちっとも合理的でないことを証明したい。

今から、14年前のこと、アフリカで助けを必要とする子どもたちのサポートをしている友人から、病気の子どもを助けたいという話が持ち上がった。手術をしなければ命が危ないというのだ。しかし、私は、自分の子ども3人をシングルで育てていたし、障がいのある子どももいる。友人に聞いた医療費は高額で、私は、即座に「無理」という言葉が頭に浮かんだ。

そんなことを考えながら、障がいのある子どもと手をつないで歩いていた時のことだった。私の夢はこの子と手をつないで歩くことで、その夢が実現していることに、幸せを感じていた。その時だ。どこからともなく言葉が降りてきた。『お金があれば助かるのなら、お金で助けたらいいんじゃない?』えっ?私はゆっくり理解した、お金があれば助かる命があるのに、助けないという選択肢はない。それは、目の前で命が消えかかったこの子が、教えてくれたことだ。私は命が救えるのなら、なんでもすると神に誓ったではないか!それは、アフリカの子どものお母さんだって同じだ。なんだってして、助けるのだ。


高額の医療費の話が持ち上がったときに、いろいろな意見があったらしい。「そんな高額の医療費があったら、いったい何人の子どもを救えるのだ!」とか、「医療の恩恵を受けられないのは、アフリカに生まれた彼の運命なのだ。その運命を受け入れるべきだ」とか。

一見その意見はもっともらしいが、そうではない。なぜなら、そんな意見を言う人は、その医療費と同額のお金を集めることも出来ないし、たくさんの子どもが救えると仮定を言うだけで、けっしてたくさんの子どもを救うわけではないからだ。そして、私は思った。アフリカに生まれた彼は、日本人に出会って救われる運命なのだ。と。

その後、アフリカの彼は、命を取り留めた。そして、「元気になったら大統領になるのだ」とか言いながら、大統領になる気配もなく元気に生きている。私は彼が生きているだけで嬉しい。私たちに出来ることは少ないけれど、彼の命こそ、友人たちと協力して成し得た輝かしい栄光のひとつだ。

ひとつの命も救わない人は、多くの命も救いはしない。

私たちは、連続する奇跡のような出会いの中で生きている。それは、計算できないし、仮定で語ることも出来ない。合理的と思っていることは、実は、なんの根拠もないのだ。単に奇跡を遠ざけているだけのことだ。


だから、自分の人生で出会った人を大事にするだけでいい。出会った人の幸せを願うだけでいい。

もしも、出会った人を迷惑に思ったり、邪魔にしたり、生きている価値もないと思うようなことがあれば、それは、そのままあなたに返ってくる。

あなたは、あなたが生きている価値を必死で証明しなければ、殺されかねない社会を作っていることになる。

生きていることに価値などいらない。
今、不幸だっていいじゃない、生きてさえいれば、いつか幸せになるかもしれない。
迷惑かけたったいいじゃない。迷惑かけられた方は、結構うれしかったりする。

お金にはなんの価値もないのです。
お金は社会をめぐる血液のようなもので、社会の隅々まで循環することに意味があるのです。滞る(溜め込む)ことは大問題で、いろいろな病気を引き起こす原因になります。


この頃は、なんだか、みんな催眠術にかかったように

「前へ、前へ」

と、口を揃えて言う。

その目は何も見ていないように見える。


過去を振り返らなければ、未来など見えない。


今こそ、立ち止まって、『津久井やまゆり園事件』を、考えなければならないと思う。

書くことで、喜ぶ人がいるのなら、書く人になりたかった。子どものころの夢でした。文章にサポートいただけると、励みになります。どうぞ、よろしくお願いします。