IMG次郎2歳の誕生日

書いてるうちに、インクルーシブ教育に行きついた!?

全国の小学生の怒られる理由の多くが、夕方には「宿題をしなさい」で、朝は「遅刻するから早くしなさい」ではないだろうか?朝、宿題が終わってなかったりしようものなら、Wで激しく怒られているかもしれない。

御多分にもれず、近所の小学生もそんなパターンで怒られることが多く、願わくば学校に行ってまでも先生に怒られてたりしませんように!と祈るような気持ちになる。

その小学生は次郎には挨拶をしてくれたり、私がひとりで居れば「おじさんは?」と言ったりする。ああ、この子から見れば25歳の次郎はりっぱな”おじさん”なんだってちょっと驚く。

ある朝のこと、その小学生が、おそらくWで激しく怒られている様子に、私は心を痛めていた。私が出てゆけば角が立つ。大人同士の摩擦に発展しかねない。悩んだ挙句、次郎を呼んで「あの子が怒られて泣いてるんだけど、どうしたらいいと思う?」と聞いた。

次郎は、とりあえず外に様子を見に出ていった。

しばらくして帰ってきた次郎が言うには、『階段で泣いていたから、隣にしばらく座ってた。そしたら、泣き止んで「ママなんて死ねばいい」と言って立ち上がって、学校に行った』ということだった。

やはり次郎で正解だった。次郎のいいところはしゃべれないことだ。傷ついて泣いている時に、余計な言葉はいらないし、かえって傷を深めたりする。ただ黙ってそばにだれかに居てほしい。だたそれだけのことが、案外、大人にはむつかしい。この場合「『ママなんて死ねばいい』なんていっちゃダメだよ」と余計な一言を言いそうだ。ただ感情を受け止めてもらえたら、立ち上がって、元気に走りだせるのだから、ここは黙って見守るのが正解だと思う。

次郎は小さいころから、共感力の強い子だなあ~と思うことがよくあった。たとえば、次郎の兄の太郎を、私はよく怒っていた。シングルマザーで3人の子どもを育てていた当時、いろいろ我慢を強いられていた私は、怒り始めると堰を切ったように、あらゆる感情があふれ出し、止めどなく怒り続けたものだった。太郎が悪いわけでないのは頭でわかるし、後で後悔が押し寄せることもわかっているのに。

そんな時に登場するのが、次郎だった。兄・太郎と手をつなぎ、一緒にうなだれて立っているのだ。「次郎のことは怒ってないよ」と言うのに、兄の手を放さない。太郎と一緒にうなだれて、私の一言一言にうなずく様子が可笑しくて、私は、冷静さを取り戻すことが出来た。

私は、自分の感情を自分でコントロール出来なくなった時に、『だれか止めて!』と思っていたので、次郎の登場や、また、逆に、次郎を怒っている時に現れる太郎や、姉の花子の言葉にも助けられてきた。子どもを怒っている大人ほど、子どもにとって恐ろしいものはないだろうに、勇気ある行動に今でも感謝している。

人は、本来優しい生き物だと思う。だから子どもは本来優しいのだ。大人が捻じ曲げなければ。たとえば、大人が「優しくしなさい」とか言って、何をすればいいのかわからなくしたり、「優しくしなさい」と怒ったりして、優しくすることそのことが嫌になったりしなければ。

次郎に関して、私もびっくりするエピソードはたくさんある。

次郎は、小学生になってから、長期の休みを一緒に過ごす大好きな車いすのお友達がいた。ある時、支援していた大人が「おもちゃや絵本、取りにおいで~」とたくさんのおもちゃや絵本を出した時だ。次郎も他の子どもたちと一緒におもちゃや絵本をとりにわらわらと集まった。いろいろ選んでその場で遊び始めると思ったら、絵本やおもちゃを持って真っ先に向かったのが、車いすのお友達のところだった。車いすのお友達は取りにいけないことを知っているからだった。

私は、車いすのお友達がとりにいけないことを忘れていた。気にもかけなかったというか、次郎の行動で、「あ、そうだった。あの子は取りにいけないんだ」と気づかされたわけだ。

おそらく、通常、私が気づくのは、子どもたちにおもちゃや絵本が行き渡ったか、見渡してからだと思う。『あ、取りにいけてない子が居る』と。だから一番最後になる。次郎が一番最初に持って行ったことに、脱帽したのだった。

大人になった次郎は、その頃と全く変わらず、誰よりも早く、取り残される人に気づく。

先日、元大臣経験者を交えての懇親会に参加した時のことだった。その懇親会は車いすの方も参加できるようバリアフリーのお店で開かれた。次郎も車いすの方が来られてうれしそうだった。次郎の長年の経験からか、障がいのある方が参加出来る会は優しい会だし、障がいのある方のそばに居ると安全だと思っている様子だ。

この日も、車いすの方の隣に座って楽しそうだった。そろそろお開きという時に、集合写真を撮ろうという流れになった。当然、多くの大人たちは、元大臣経験者の座っている席を中心に、集まろうというように動きだした。そこで、次郎はガンとして動かないのだった。その姿に、『ああ、そうだった。車いすの方は動けないのだ。ここに集まらなければ』そう気づいた私は、「ここに車いすの方がいるので、出来ればこちらに、集まるようにお願いできませんか?」と言った。

それを聞いてもなおある方は、「動けない人は、写真に入らなくてもいいですよ」と言ったのには驚いて、「いやいや、写らなくていいですよ。ではなくて、元大臣にこちらに移動をお願いします」と、はっきりと伝えた。その会をバリアフリーのお店で開く配慮をしてくださった方ももちろん理解してくださって、元大臣ももちろん理解くださって、ガンとして動かない次郎と隣の車いすの方、そして、その隣に元大臣が座り、集合写真を撮ったのだった。

案外、いろんな場面で、簡単に人を排除することがある。それを排除だと気づかずに。排除することが差別だと気づかずに。

車いすのお友達も多かった次郎には当たり前のことが、私を含め多くの大人に出来ないことに驚く。障がいのある方のことを、真っ先に考えるということだ。私たちはともすれば、後で気づいて、後回しにするのだ。

やはり、小さい時から、一緒に育つ”インクルーシブ教育”が必要だと思う。そもそも障がい児が、地域の学校から排除されている状況は教育差別だ。

でも、今のままの公立学校では、障がい児は地域の学校に行ってなお排除されるしかないので、本当の意味のインクルーシブ教育を、考えなければならない。

子どもたちが本来持っている優しさを信頼して、子どもの声を聞くことの出来る学校が出来たら、と思う。

そもそも、これまでの公立学校って8時間労働を出来る労働者を作ることが目的なんじゃない?と思うことさえある。とんでもないルールに縛られて、規格外の生徒は排除されて、指示を疑いなく実行できる訓練をされる場所なんじゃない?と思うことも多い。

大人は、なにかを子どもに教えようなんてことを、やめた方がいい。

真のインクルーシブ教育を考えるにあたって、子どもたちに「どんな学校だったらいい」と聞いてみよう。

答えはそこにある。


PS:写真は、次郎3歳の誕生日。やっと出来上がったケーキを前に「みんなで、ろうそくフーしてー」と、写真を撮ろうとした瞬間。待ちきれずにフォークを持って食べようとする次郎に「食べちゃうの?」と視線を送る花子。「食べちゃダメ?」と訴える次郎。ケーキがただただ嬉しそうな太郎。




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