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鏡狸


 なんだか頭の後ろがぴたぴたして眠れない。うつらうつらしながら洗面所に向かう。なんだかぴたぴたする。洗面台の三面鏡の左右を折り曲げ、後頭部を映してみる。そこには、なんの変哲もない小さいつむじがあるだけだった。なんだよ、ぴたぴたするなあ。頭を掻きながらふと、合わせ鏡になった左右の鏡の右側をのぞき込むと、2枚目の私の像がまばたきをしていた。あれ、私が目をつむってる姿は、見えないんじゃないか。だって、私が、目をつむってるから。うん、合ってるね。もう一度まばたきをしてみる。やっぱり、まばたきをしている。これはおかしい。2枚目の顔の位置をなぞってみる。これは夢なのか、なぞった顔の口角が少しゆがんでいる。にやけている。誰だお前は。声が、洗面所の中でこだまする。誰だお前は。お前は。そういえば、夢の中で私そっくりの女が、ガソリンスタンドで私の方を見て手を振っていた。ハイオク満タンという感じの笑みを浮かべて。軽なのに。実際の私は、軽になど乗らない。軽自動車という呼称が気に障るからだ。自動車としての物性を軽んじられている気がするのだ。あんなに重たい精密機械なのに。軽の女はなぜ私に手を振っていたのだろう。私は手を振り返すことなく帰宅したのだった。鏡裡の女は、あの軽の女寄りな気がする。なんというか、軽薄な笑みによっていかにも薄幸そうな人相をより一層際立たせている感じ。その薄ら寒い笑みを止めろ、口角を下げるように鏡をなぞると、像全体が下に向かって歪んでしまう。まずい、修正しようと上に向かってなぞりなおすと今度は像がマーブル模様のように歪んでしまう、それでも鏡裡の軽の女は笑みを絶やさない、お前の仕業だろ、私は軽女に手を伸ばす、すると女は私の手を取って像の中に私を引き摺り込んでくる、離せ、軽々しく私に触れるな、振りほどこうとするが軽女は恐るべき握力で私の手首を掴んでいる。腕が鏡にめり込んでいく。鏡面は突き刺さるように冷たくて、取ってつけたような悲鳴が上がる、それは私の悲鳴で、痛覚を刺激されて悲鳴を上げるなんて実に動物らしいなと思う。足が浮く、肩から胴体がずぶずぶとばまり込んでいく、離せ軽、私はワンボックスだ、轢くぞ、このまま衝突してぺしゃんこにしてやるぞ、鏡の水面がキイキイとつんざくような匂いを上げるせいで息が詰まる、私はワンボックスだ、一つの箱だ、あっという間に脳の中までマーブル模様になってしまう、私は一つの残響の容れ物だ、軽女は瑪瑙の化身となって全ての福祉を覆い尽くしてしまう。瑪瑙のぢるぢるが馬の静脈のやうに空間にrhythmを与えていて、タイヤがそれに合わせてじゃんじゃん上から放り込まれて飛沫があがり冷蔵庫に入れていたプディングがみるみる黝む。さっきまでささいな泡沫が巨大化した伯父の横顔がなりゆっくりと縦に裂けていく。亀裂といわれた亀はさぞや哀しんだろう。ぬっと出たシルクハットのイモムシが札束を一生懸命縫っていて好感が持てる。乳酸菌はつまり母性だ。プディングへの思慕も相俟って縄状に背中が膨らむ。二十枚の爪が一斉にするりと剥けて、指先に白夜の帯電性が宿る。背中がバルーンアートみたくメルヘンになつてゆく。男は黙つてメルヘン。私は白電を山崎パンの点数シールのやうに粛々と集め始める。その指先はヴェルヴェットを舐めた時の感触に近い。レモンちゃんと呼ばれて亀はさぞや哀しんだろう。伯父の断面は真っ赤っ赤だ。真っ赤っ赤っ真。二度と忘れて生きていくことはできない。縄バルーンの背中がにわかに萎えていく。取ってつけたような悲鳴が上がる、それは私の悲鳴で、痛覚を刺激されて悲鳴を上げるなんて実に動物らしいなと思う。どうぶつ奇想天外。大乱闘スマッシュブラザーズ。私はしこしこ集めた白電を一挙に軽女に向けて放つ。鏡水を毛細血管のようにしつらえながら白電が軽女をとらまえる。女は痺れて感電し、五臓六腑を放流しはじめる。ムクドリがほえんと鳴く。ぴちぴちの新鮮なレバーはまさしく水を得た魚で中心部から碧く発光してさえいる一方で、にわかな萎えにより私の背中の皮はだるだるだ。かつて軽女についていた眼耳鼻舌がより優秀な宿主を求めて私に一直線に向かってくる、悪い気はしないがやっぱりここは逃げた方がということでバサロ、バサロ。しかし、だるだるの背中の皮がだるだるしてうまく推進していかない、チョウチンアンコウの腹の中でだってもっとマシなアップローチができる、コックローチが静脈を通過する、それも何千もの行脚だ、風と麦とイェイイェイ、彼らの触覚の1/fゆらぎを見よ、生への機微機微としたポジティブな翅の所作、これは追い波だ、題名のない追い波会、私はすかさず背中の皮をモモンガのやうにひろげる、否、ムササビのやうにひろげる、そしでそしでこの鏡水の波を滑り切るのだ、海綿体のやうなスカンディナヴィア半島の先っぽから処女航海に発つ貴き海賊の船の帆だ、七色の愛しの私を求めて発つ、ファムファムファタファタと背中をふぁためかせながら、束の間、舵を担う私の尾っぽを奴の鼻がつんざく。取ってつけたような悲鳴が実に動物らしいな、して、私に尾っぽなんてものがあったかな。そんな稚気は神棚にルッコラと添えて、四プラス二根を清浄せしめんが為に私は私のだるだるにスパンコールを付着させて靡かせて颯爽と滑鏡してしんぜよう、そしてそして、二十六時の方向に、ホラ洞、月の裏のクレーターのやうな、巨きな見慣れたつむじがあるじゃあないっすか、追随する軽の舌を鷲掴みして尻に差し込む。ありったけの屁をおもいっきり舌先に注入する。びるるるると舌は悲鳴のやうに震え上がったが、すぐにそれを止す。なぜか。舌はその肌ざわりの良さに気づいたからだ、無臭のファート、霧深い森の奥に潜む鹿の潤んだ眼差しのやうな。乳酸菌は母性だ。腸活の渇仰。舌は味蕾を勃起させながらされるがままの格好になり、あっという間にバルーンアートのできあがり。ノウハウのフル活用、エヴァンジェリストの流儀、調整後EBITDAの爆上がり、私は私のムクドリに途轍もない疾走感が充満するのを感じた。こだまよりもひかりよりも疾きのぞみを感じた、このような際の実際の所作は却って緩慢である、心のスピードが身体を牽引するのだ、舌バルーンは鏡のゆらぎを扇ぎながら良い塩梅で眼耳鼻を煽動している、つむじが私を呼んでいる、目玉よ刮目せよ。なんならバルーンの先っぽで刮目してあげる。表参道のサロンでカラーリングされたパノラマの髪の一本一本から豊かな粒子が横溢してくる、絡まるカラメルの艶っぽい、かほり。﨟たきプディングのつむじ風に乗って両翼を白夜のメルヘンが、硅石のやうにさらさらとくすぐる。シルクハットの先導で札束が羽を生やして舞い上がってゆく。いい感じだね。私をレモンちゃんと呼んでくれ、五月にはためく洗い立ての私(シャツ)、その輝く白さ驚きの柔らかさ、ハイオクの福祉を浴みながら、私は私の後頭部にぴたりと軟着陸した。





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