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退化する?新しいレストラン VENTINOVE

群馬県の川場村は、人口3100人という小さな村です。11月の半ば、紅葉も終わりかけの美しい季節に、この村へ出かけました。目当ては、新しくオープンしたレストラン「VENTINOVE(ヴェンティノーヴェ)」。かつて西荻窪にあったイタリアンの人気店「trattoria29(トラットリア・ヴェンティノーヴェ」の竹内悠介シェフとマダムの舞さんが開いた新境地です。新しい店には、ひと組だけ宿泊できる部屋も用意されているというので、おいしいもの、すてきなもの、ファンタジックな世界に目がない女4人で、1泊2日のふけゆく秋旅行を企てました。

上越新幹線「上毛高原駅」からレンタカーで約30分。茶色や黄色や紅色に染まるグラデーションの山や木々を眺めながら、田舎道を走ります。川場村に近づくほどに、道の両側に可愛らしい果実を実らせた林檎畑が広がり、否が応でも気分が高まります。やがて道の右側に、目指す「土田酒造 誉国光」の看板が現れました。「VENTINOVE」は、1907年創業の酒蔵「土田酒造」の敷地の奥にあるのです。酒造の駐車場に着いた旨を電話すると、マダムの舞さんが木立の中から現れて、私たちを出迎えてくれました。

導かれて、酒造の脇の白い小道を歩く私たち。左手にはこんもりとした紅葉の低山。右手には夕日に光るススキの野原。こんな場所にレストランがあるなんて、まるで夢のようです。「ここに店を作れることになって、腰よりも高い雑草をみんなで刈ったら、この道が出てきたんです」と舞さんが話します。白い小道は、レストランのためにあらかじめ用意されていたかのように、ゆるやかなカーブを描いて、グレーの外壁のモダンな建物へと続いています。

「一応、こちらの席をご用意していますが、今日はみなさんだけですから、どうぞどこにでも、お好きなところへ座ってください」。コロナ渦だし、当面は夫婦ふたりだけで切り盛りするので、1日2組までのお客しかとっていないのだそう。贅沢なことにこの日は、このすてきな空間が自分たちの貸し切りなのでした。

それにしても建物の中に入ってからずっと、くるくると目が走るのを止められません。紅葉の山が一面に広がるガラス窓、木目の美しいテーブル、上品な草色の布張り椅子、洗練されたデザインのイタリアの照明……。幼い頃、絵本や童話や児童文学や少女漫画で頭の中をいっぱいにしていた、私たち4人が思い描く〝山の麓にある理想のレストラン〟のイメージを、はるかに超えるシチュエーションです。こんなにシックな空間で、これから仲間とおいしいものを楽しむ時間が始まるなんて……大人になってよかった。それなりに頑張ってきて、いろいろ経験して、充分な大人の年齢になれて本当によかった。そう思いました。

なぁんてことを書きながら、実はほかに皆様に真っ先にお話したいことがあったのです(自分を焦らしておりました)。「VENTINOVE」へ行ったら、ぜひ見せてもらいたいと思っていたのが厨房です。食事を終えたら「すみません、厨房を覗かせてもらえませんか」とお願いするつもりでした。ところが厨房はバックヤードではなく、誰の目にも入るオープンな場所に作られていました。客席や、山が広がるガラス窓に向き合う形で、作業台と煮炊きの台が設けられています。人がひとりふたり立って働くのにちょうどいいぐらいの、思いのほかコンパクトな厨房です。作業台の上には、土地で採れた色とりどりの野菜が並び、その前で竹内シェフが大きな赤かぶの皮をむいています。色彩のトーンを抑えたインテリアの中で、食材や火のある厨房は、まるでそこに温かい色のスポットライトが集められたかのように、自然の輝きに満ちています。

半個室風の長テーブルを今宵の食卓に選んだ私たちですが、「どうぞどうぞ、ご自由に」と許されると、どうしても見学自由な厨房に引き寄せられてしまいます。スプマンテのグラスを持って、厨房でシェフとマダムを囲んで乾杯。すると、ほら! あった! 私の目当て、見たかったもの、シェフのすぐ後ろにありました。昔ながらのおくどさん。薪をくべて煮炊きをする、日本の竃(かまど)です。

シェフの地元である川場村(小学生のときに世田谷から一家で移住したそう)に、レストランを建設中のこと。子どもたちのキャンプの手伝いを夫妻がすることになり、古い日本家屋の蔵に眠っていた竃を使ってみたそうです。すると、何年も働いていなかったものなのに、薪をくべれば勇ましく火が熾り、熱効率もよく、少量の薪でパスタをゆでるお湯もすぐに沸く! ふたりはすっかり竃に魅せられてしまいました。そして、昔ながらの竃が今も能登半島の七尾市で作られていることを知り、設計士と相談して図面からガスレンジを取り払い、古式ゆかしい竃の火で煮炊きすることに決めたのです。彼らのインスタグラムでこのことを知ったとき、私はすごく興奮しました。

というのも数年前から、料理をする「火」のことが気になっていたからです。長年のお付き合いである料理研究家の有元葉子さんと本づくりをする中で、必ず出るのが火の話です。有元さんはイタリア中部の山間に家を持っていて、大昔は修道院の一部だったというその家には、キッチンと居間の間に暖炉があります。暖炉で肉や野菜を焼いたり、豆を茹でたりするのが、あちらの昔からの風習なのだそうです。自分もやってみると難しくないし、何しろ薪で焼いたものは格別おいしい、と有元さん。思い起こせば、日本でも一昔前は七輪で魚を焼いたり、火鉢でお餅を焼いたりしていました。有元さんのご実家でも、私の生まれ育った祖母の家でもそうでした。暖炉や竃や七輪や火鉢の熱は、じんわりふわっと素材を包み込むような熱です。結構強い熱量ですが、火のあたりはやわらかく、肉でも野菜でも繊維がふっくらととろけるような火の通り方。まわりは香ばしさがあり、口の含むと素材の甘みが強く感じられます。

料理って、素材のよさや味つけよりも、実は「火が作るおいしさ」によるところが大きい……。こう感じるようになった有元さんは、日本でも山の家のキッチンカウンターの上(!)に暖炉を作ったり、東京の家でも換気扇の下に長方形の七輪を置いたりして、ガスや電気とは違う「火」でしばしば料理をしています。彼女は著書でこう語っています。

繰り返しになりますが、火が、調理法が原始的になればなるほど、できあがった料理はおいしいです。
冷凍ご飯は電子レンジでチンするよりも、ふわっと湯気の立つ蒸し器で温める。煮込み料理や豆料理は圧力鍋で作るのではなく、厚手の鍋でコトコトと時間をかけて煮込む。
〝退化するキッチン〟と呼んで自分たちでも面白がっているのですが、昔ながらの方法に戻れば戻るほど、こと料理に関しては味わい深いものになる。そう確信しています。『ひとりを愉しむ 食事』(有元葉子著/文化出版局)


 我らが竹内シェフの厨房の話に戻りましょう。「VENTINOVE」には竃のほかにも、調理用の暖炉があります。私たちがスプマンテを片手にはずんだ気持ちでいる間に、シェフは大きな赤かぶをアルミ箔で包んで、暖炉の中にポイッと投げ入れました。キャンプの焚き火で焼き芋を焼くみたいに。

食事のはじまりは、水から。グラスに注がれたのは、お隣の「土田酒造」のお酒を作る仕込み水。以前は違う場所にあった「土田酒造」も、山の下を一級河川の薄根川が流れる、水のよい土地を求めてこの場所に移ったという話。なるほどほのかに甘いおいしい水です。グラスと並ぶカトラリーチェストは、ネイチャーガイドであるシェフのお父さんが廃材でせっせと作ってくれるという木の年輪=木枝のスライス。厚手のクロスは、「VENTINOVE」のトレードマークである切り株(木の年輪。薪の断面)をプリントしたおしゃれなものです。

さあ、お料理が運ばれてきました。前菜は3品盛り。Ⓐ生ハムと炭火焼のパン。「自分で作る生ハムがどうも納得いかなくて、ためしに実家の白黴がたくさんいる味噌蔵で熟成させたら、すごくおいしくできたんです」。シェフの言う通り、発酵のいい匂いのするふくよかな味わいのハムで、素朴なパンと相性ばっちり。「このあたりは昔から小麦がとれる土地だったんですよ」。オリーブオイルなどの調味料以外は、ほとんどの食材を地元や近郊の村町で調達しているそうです。Ⓑ地元産のリコッタチーズ、夏に仕込んだドライトマト、サブレ生地の一口パイ。ミルキィ、ジューシー、サクッとしたコクの三重奏がたまりません。Ⓒ生落花生。炭火で炙ると、季節ものの生落花生がペーストみたいにまったりと濃厚な味になって驚きました。

前菜に舌鼓を打っていると、シェフとマダムがテーブルに野菜や肉を運んできました。「今日はこの材料で料理をします」と自信満々に、地元の食材たちのメンバー紹介です。こんなプレゼンテーションも楽しい。

厨房で2品めの料理の準備が始められると、私はいてもたってもいられなくて、ツツツとシェフのそばへ駆け寄りました。「それ、そのサラダボウル、それはいったいなんですか?」。遠目からでもわかる、すてきに使い込まれた大きな木のボウルなのです。まるでイタリアのマンマが大切に使い続けてきたオリーブの大鉢のような。「うどんなどの粉をこねる、こね鉢ですよ。ここいらへんでは昔から、どの家にもあったものです」。ふむふむ。サラダはひとり分でも大きなボウルで作ること、それもなるべく平たいボウルがいい……という教えを(有元さんから)受けてきた私なので、なるほどこれを使う手があったか!と若き竹内シェフの見立てに感服です。

2皿めのサラダは、その鉢をシェフが抱えてきてテーブルでミキシング。まずは半熟卵1個をこね鉢の中で丹念につぶし、そこへ食べやすく切ったいろいろな野菜や、干したヤマトウリ、ひたし豆、西荻の「29」時代からの名物である豚肉で作ったツナ、オイルなどを入れてあえて、各人にサーブされます。大きなボウル(こね鉢)で作るサラダは、あえるときに空気を含むから、ふわっとやさしい口当たり。

3皿めは、揚げた葉っぱ(スイスチャード)の下に隠れていました。「モツがここいらへんの名物なんですけど、隣町にすごくいいモツ屋さんがあって。『三丁目の夕日』に出てくるような昔ながらの小さな店で、おばちゃんが売ってくれるんですよ。ここのモツは下ゆでがいらないぐらいクセがないです」。やわらかなものが口の中でとろけて、自然な甘みが広がりました。実は私はモツをはじめ肉が苦手。ですが、ほくっとしたもの(にんにく?)と一緒に洋風に煮込まれて、バジルのソースと合わせたモツはおいしく食べられました。

4皿め。マコモタケとハナビラタケのオムレツ。オムレツも「29」時代からの十八番。きのこそれぞれの食感が生かされていていることに感動。5皿めは「さあ、焼けましたよ!」とばかりに牛赤身肉の炭火焼きが登場。テーブルで切り分けて各人にサーブされ、山葡萄のソースとマスタードでいただきます。言いそびれましたが、竹内シェフはトスカーナの有名精肉店&レストランで修行をした人。赤身肉の料理は彼の真骨頂とも言えます。

6皿め。これも「29」時代からのスペシャリテ、バターチキン。チキンをこんがりふっくら焼いたものなのですが、どこを食べてもバターのいい香りが立ち上り、「う~~~ん。たまらん」「やっぱりおいしいねえ」とみんなが唸ってしまう代物です。7皿め。牛すね肉の煮込み。一番最初から暖炉に放り込まれていた赤かぶが、ちょうどとろとろになった頃合いで、肉と一緒に現れました。こげ茶の肉と愛らしいピンクのかぶ、肉と野菜の違う食感のやわらかさ、深まりゆく秋のすてきな取り合わせです。

そして料理の最後がパスタなのです。本来のイタリアンの順番にあえて反する「VENTINOVE」に乾杯! パスタはセコンドピアット(二番目の皿)にあらず。竹内シェフのパスタはめっちゃおいしくて、実はこれが一番の楽しみだったりもするから、メインの位置(あるいは和食のシメの位置?)で大正解。それにしても……パスタの見本が並んだ木鉢がテーブルに運ばれてきて、この中から好きなものを選べというのです。合わせるソースも各種あるし……。困った、どれにしよう? 里芋とボロネーゼ入りのラビオリも気になるし、トマトソースも食べたいし……。みんなで迷いに迷っているのをシェフが見かねて(?)、結局、パスタは3種作ってくれることになりました。

8皿め。じゃがいもと黒キャベツのラビオリ、トマトソース。じゃがいもの風味がちゃんと立っていて、すばらしくおいしい! ラビオリの中身のじゃがいもをおいしく感じさせるなんて、いったいどういう塩梅なのでしょう? 9皿め。サルシッチャとドライトマトのキタッラ。手打ちのせいか、麺(キタッラ)がすこぶる美味で、お代わりしたいくらい。10皿め。鹿と猪のラグー。ポロポロに煮込まれた肉の甘いうまみ。山椒がきいた濃厚なミートソースは、まさに日本の山の恵みのおいしさ。ちなみにラビオリ類は、オーダーが入ってからシェフが厨房で作ります。その手順もしっかり見学して、テーブルに戻り、運ばれてきたできたてを食べるという贅沢。なんなんでしょうか、この幸せっぷりは。

デザートは「今日はこんなのがあります」とテーブルに次々にお皿が運ばれてきました。チョコレートのケーキ、チーズケーキ、りんごのケーキ、プリン、ティラミス、「このほかに、自分たちで取ってきた山栗のジェラートと、この果物でマチェドニアも作れます」。木皿に各種フルーツがこんもりと盛られています。好きなものを選ぶのです。「全部盛り」もアリなんです。なんというか、何もかもが豊かでめまいがします。豊かさを私たちは味わわせてもらっている、そう思いました。おいしいものばかりでお腹いっぱいの、少し朦朧とした頭で。リッチな食材とかではなくて、川場村の田畑や、山の幸や、清らかな水や、白黴や、新鮮なモツを売るおばちゃんなどなど、この土地の持つ豊かさを最大限に生かそうと、「VENTINOVE」というレストランはしている。そう感じました。

夕方4時からスタートした食事が終わったのは、8時半。なんと4時間半も食事を楽しんだことになります。もちろん、その間に窓の外は刻々と様相を変えて、夕日の残る明るい色から、漆黒の山の景色に変わっていきました。さらに言えば、私たちが休む二階の寝室のガラス窓からは、満天の星がこぼれ落ちんばかりでした。

今回私たちが選んだのは、Dinner,Bed&Breakfastの1泊2食付きコース(もちろん食事だけのコースもあります)。おやすみなさいの前に、翌朝の食事は誰が作ってくださるんですかと舞さんに聞くと、「シェフが」。材料の調達から仕込みから掃除からベッドメイキングまで、何から何までふたりでやって、この夫妻には眠る時間があるのだろうか。心配になって聞くと「西荻の頃よりも、むしろ寝られていますよ」。

都会では時間がものすごいスピードで流れています。性急と言ってもいいぐらいに。時間と一緒に、ひとの欲望や、ひとの気持ちもグングン変わっていきます。それはなんだか、自分たちのかけがえのない時間を〝使い捨て〟にしているような感じが私にはしています。一方、ここ川場村の時間は、そこかしこにあるみんなの小さな時間や、川のよう昔からゆったりと流れてきた時間が、全部積み重ねられているように思うのです。おばあちゃんたちがヤマトウリを干して漬物にしてきた時間があり、そこへ、干したヤマトウリをおしゃれなイタリアンのサラダに仕立てる時間が加わっていく。ガスも電気も使わない〝退化するキッチン〟は、そうした時間をつなぎ合わせるタイムマシーンの役目を担っているのかもしれません。


VENTINOVE(ヴェンティノーヴェ) 
群馬県利根郡川場村谷地2591-3 (土田酒造敷地内) 
29ventinove.com
東京・西荻窪「trattoria29」を建物の老朽化のため2020年に閉店後、
夫婦でシェフの実家のある群馬県に移住。新しいレストランの開店準備をしながら、
地元の豊かな食材を使った瓶詰めの料理「29 in bottiglia(ヴェンティノーベ イン ボッティーリア)を
ネットで販売し、毎回即完売の人気となる。この瓶詰め料理の創作により、
地の食文化、農産物、作り手といっそう深く向き合うことになった経験が、VENTINOVEの料理を
〝川場村のモダンなイタリアン〟たらしめている。レストランの近くには日帰り温泉や、
地元の野菜やチーズやシードルを買える大型道の駅「田園プラザ」があり、楽しみどころ満載。
copyright/白江亜古  photo/ヘロンの会

29ventinove.com

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