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差し伸べられた、手はそこに。【交流創作企画#ガーデン・ドール】



B.M.1424、3月29日。

レオとの邂逅から数時間後の夕方のこと。ククツミは自室でひとり、ゆっくりと日記を書き連ねていた。

レオは箱庭に来てから、寮のLDKや自分の部屋、リラの部屋にも行かずに真っ直ぐとククツミの部屋を目指して来たのであった。嬉しくも少し気恥ずかしいようでククツミは、先ほどの件を思い出しては言葉を綴る。

忘れたくなかった日のことは、やはり日記にはなくて。けれど今は。今であれば、と。わたくしになってから別のノートに連ねた日記は、詳しく書いているからか枚数としてはわたしの時のノートと大差ないように思える。

まだ、ずきりと痛む。それでも、もう少し。もう少しだけ。

ふと、ククツミは手を止めた。

「リラさんと、ヤクノジさんは……今、どうしておられるのでしょう……?」

リラが選択して、ヤクノジが許した。だからレオが現れた。とは聞いたものの、それが具体的に何をどうしたのかは皆目見当がつかなかった。例えば願いを叶えるマギアレリック、サングリアルS。偽神魔機構獣アルストロメリア討伐後に設置されたあれを使ったのだろうか。

ククツミは端末からの通知を遡る。3/26の朝、ドールが廃棄されたという通知以外、見ることが叶わず未読になっていたもの。最終ミッション到達者への追加ミッションがいくつも書かれていた。例えば、この中のひとつをクリアしたことでレオが生じたのだろうか。であるならば、リラは最終ミッションを達成したのだろうか。


ここから、なにかを、知ることができるだろうか。


心の痛みを逃すようにため息をつくと同時に、ククツミの部屋のドアを控えめにノックする音が聞こえた。

「…ククツミ、さん。いらっしゃいますか…?」

その声は、ちょうど思い描いていたドールのように思えた。数時間前に聞いた声と、近しい声。であるならば。

「……リラさん、でしょうか?」

「はい、こんばんは、ククツミさん……来るの遅れちゃいましたね」

ククツミがドアを開けるとそこには予想通りの、けれど少し眉を下げて申し訳なさそうにしているリラ、そしてヤクノジの姿があった。

「ヤクノジさんも……いえ、遅く、とは……?その、私も数日忙しくしておりましたので……」

ククツミはリラの様子に首を傾げつつも、2人を部屋へと招き入れる。廃棄されたドールとククツミの恋人関係は、リラもヤクノジも知っていることだった。むしろふたりはそれぞれに恋愛相談をしたこともあった。

リラとヤクノジの関係が成就した間に、その相談した相手が今生の別れを迎えていたということに、その通知を見てすぐに駆けつけられなかった申し訳なさがリラにはあったのだが、ククツミは特に気にしていないようだった。

「お邪魔します」

「……その……どうしておふたりして私のところへ……?」

「えっとですね…」

リラとヤクノジが2人でベッドに腰掛け、ククツミは勉強机の椅子に座る。ククツミの率直な疑問に、リラは少しだけ逡巡してヤクノジの方を見た。

「ん?」

ヤクノジはリラからの視線に瞬きしてから、納得した顔をしてからククツミを見る。そして。

「ククツミちゃん、数日ぶり」

はじめて、その呼び方をする。

以前のヤクノジであれば、ククツミと呼び捨てで呼んでいた。口調ももっとサバサバとしていて、頼れる年長者のような、それでいて生真面目に不真面目な風紀委員をそつなくこなす、そういった頼もしいドールであった。

今の口調は。今の雰囲気は。

それとはかけ離れていて。

「…………。お久しぶりです、ヤクノジさん」

「……僕らも、まあ色々あってさ」

俺、ではなく、僕と。ヤクノジは困ったように言葉を探す。ククツミの予想は、おそらく合っているのだろう。

「……人格コアが壊れると、人格が変わる……ヤクノジさんは、コアを……飲まれたのでしょうか?」

「ククツミちゃんも……最終ミッションは知ってるんだね。そうだよ、でも……僕も飲んだから、半分正解、かな」

「……もしかして、ふたり、で……?」

「そう、ですね。ふたりで飲みました」

ククツミは、少し驚いてふたりを交互に見る。ふたりは、互いにコアを飲んで最終ミッションを達成させたのだという。であるならば、ククツミと同じ達成報酬の選択を迫られたのだろう。ククツミが見た限り、リラに性格の変化は無いように思える。だとすれば、ヤクノジはリラの人格を元に戻すこと選び、リラは……それを選ばなかったということになる。

「…ヤクノジさんは、少し変化がありまして…。私が、その……」

リラはそのことについて話そうとして、少し言い淀む。けれどそれは、ヤクノジの力強い、けれどへらりと緩く笑った言葉によって遮られる。

「僕が、リラちゃんのコアを誰にも渡したくなかったからねえ。僕から言い出した話だから」

「コアを……誰にも渡したくない……?」

特に何も気にしていないように話すヤクノジだが、性格の変更が随分と衝撃を受けるものだと、ククツミは身をもって知っているはずだった。なぜなら、ククツミは。

「……変わったことは、不安ではありませんでしたか?……他の方に……受け入れられるだろうか、など……」

ククツミは、その時に感じた自身の不安を疑問符としてヤクノジに伝える。けれどヤクノジは、少し戯けたように胸を張った。

「まあ、変わって驚かなかったわけじゃないよ?でも……後悔してないし」

「……そう、でしたか。……ふふ。少し、羨ましいですね……」

その声からは、一切の嘘も澱みも感じ取れない。本心からの言葉に、ククツミは眩しそうにヤクノジを見る。

わたくしも……人格コアを破壊されることで……いえ、記憶にはありませんけれど……どなたかに飲まれて、わたくしになったのでしょう、ね……」

ククツミは目を閉じて、自身のことを口にする。それはククツミが今まで、あえて目を逸らしていたことであった。

人格コアを破壊されると人格が変わる。

最終ミッションは最も傷つけたくないドールのコアを飲むこと。

破壊すると飲むは同義であるようで、最終ミッションで飲まれたドールの人格は変わる。

けれど最終ミッション達成報酬のひとつに、元の人格に戻すという選択肢がある。

つまり、ククツミは。

わたしは。

誰かに。

誰かに、そのコアを捧げたのだろう。

そして、わたくしという人格が生まれた。

記憶がないのは、コアを飲む時と飲まれる時でそれぞれ、その日の記憶が一切なくなるようになっているのかもしれない。

ククツミはそんなことまで考えながら、目を開ける。

誰が、わたしのコアを飲んだのか。

それは、どう考えても明らかで。

けれど、彼女から伝えられていないこと。

だから、わたくしは。


わたしは……コアを飲まれることを、受け入れたのでしょうね」

「……ああ、やっぱりそういうことだったんだ…」

ククツミが眉を下げて笑うと、ヤクノジは今までのククツミの様子から察していたことが当たったことに納得し、そして少し複雑そうな顔をする。

「もう……本当、に……」

ククツミは、椅子の上で体育座りをする。あまりしたことがない、ちょっと行儀の悪い姿勢だが、今は何故かこれがちょうど良いように思えた。

「……ずるい」

ポツリと、ククツミから言葉がこぼれる。


「本当に、わたしがずるい。……羨ましい」


本当に、嫌っているわけではない。拗ねるような物言いで、ククツミはわたしにそんな感情を向ける。それを聞いたヤクノジは、愛しむような、少し遠くを見るような目をした。

「……その気持ちは……ちょっと分かるな。僕も……俺がずるいなって少し思うよ」

「すごいことをしてるのに、此処にいないから……ずるいって思うんだよね」

その言葉に、ククツミは頷く。

大切な誰かのために命を捧げる、なんていう、おそらく1番の理想とも言える『最期』を、勝手に迎えたわたしが羨ましい、と。

「……ずるい、わたくしに、全部……投げ渡して……わたくしを、置いて……」

けれど、私だから。

それを選んだのだろうと。

私だから、知っている。

私と私は私だから。

私だから、それを選ぶ。

だからこそ。

「……ほんとに、ずるい」

そう言って、ククツミは笑う。ヤクノジと共有できた感情は、ククツミの心からのもので。ふたりだけが知ることのできる感情を、ククツミは失わないように記憶に留めた。



少ししてから、ククツミはリラとヤクノジのふたりを見て言葉を続けようとする。

「……おふたりは、きっと、これからも……」

けれどそれは、溢れる涙に遮られてしまった。

「ぁ……」

「ククツミちゃん、大丈夫ですか……?」

リラがハンカチを渡しつつ声をかけ、ヤクノジが涙を流すククツミの傍らに歩み寄ると、ククツミはぎゅっと自分の膝を抱きかかえる。

「……ちが、その……。……私、は……もう……逢えない、ことしか……分からなくて……」

ククツミは体育座りの膝に顔をうずめて、小さく返答した。

「……大丈夫、では……ないです……」

「…嫌な聞き方をしてしまいましたね、すみません……」

リラの謝罪に気にしないでほしいと何度も首を振るククツミを見て、その背をさすりながらヤクノジは言う。

「……大丈夫じゃなくても、いいんじゃないかな。少なくとも……今は」

「すぐに大丈夫になるようなことじゃないのに、大丈夫になる方がダメだと思う」

そう続けて、むしろヤクノジは『大丈夫』と言わなかったククツミを偉いと撫でた。


「その……」

ククツミは、意を決してふたりに伝える。

「……私も……最終ミッションを達成した、のです。……彼の、コアを飲んで……」

ククツミの唐突な発言に、リラとヤクノジは目を丸くした。

「記憶に、ないのですけれど……。おふたりのように……互いに受け入れてのことだったら、良いのに……でも……それなら、何故……」

リラとヤクノジは交互に顔を見てから、ふたりも互いにコアを飲んだ、飲まれた際の記憶がないことを思い出す。

「……僕たちも、当日を覚えてるわけじゃないからなあ……。でも、忘れるのも違う気がするし……」

「……忘れたくなかった、のに。どうして……」

それがコアを飲む、飲まれることの必然だとしても。ドールの生き方を左右するターニングポイントの記憶をなくすという代償は、あまりにも大きい。

「……まだ、大丈夫じゃないですし……まだ、決められない、ですね……」

ククツミは、目をつぶる。けれどそこにあるのは全てが嫌になったような絶望ではなく、まだ決められない自分を自覚したような、そんな冷静なものだった。

「……無理しなくても、いいんですよ。大丈夫じゃなくても、決められなくても。私もヤクノジさんも、いつでも傍にいます」

リラが安心させるようにククツミの頭を撫で、そして一度手を止める。

「………それに、レオもいますよ」

ぴくり、とククツミの肩が揺れる。顔をあげて、リラの紫と金の瞳を見た。


同じ色。同じ色。違うようで、同じ笑い方。


「……選んだ、って……」

レオの言葉を思い出す。最終ミッションの報酬を思い出す。ヤクノジは、リラの元の人格を望んだ。リラは。ヤクノジを元に戻すことではなく、別の選択肢を選んだ。

別の。

それは。

「リラさんが選んで……ヤクノジさんが許した、って……」

リラが、レオを選んだのだとしたら。

「それで、ヤクノジさんは……」

ククツミは口を噤む。ごめんなさいも、ありがとうも違う。それだけは分かる。だからこそ。

「……後悔、していませんか」

ふたりの目を見て、聞く。

「……僕は、リラちゃんの選択を誇るよ。それだけは、変わらない」

ヤクノジは、はっきりと答えた。言葉を探すようなククツミに気を遣わせたと思えど、これだけは変わらぬ想いだと伝える。

「…コアを飲んだ後に、ヤクノジさんを見て…確かに少し後悔しそうになりました。私の選択で、大切な人の今後を左右してしまったのですから…」

リラは眉を下げて、あの時の一瞬の心の揺らぎを思い出す。あの日、選んでしまった結果を間近で理解した時。確かにリラは、一度目を閉じかけた。

「でも、今はこの選択に誇りを持って…選んでよかったと思います」

リラは今のヤクノジの手を握り、その暖かさを確かめる。ヤクノジもそっと握り返して、笑みを浮かべる。

「こんな私をヤクノジさんは変わらず選んでくれて…誇ると。好きだと、伝えてくれます」

だから、大丈夫と。ククツミに伝えるように笑ってから。

「それと同じくらい、私はククツミちゃんを助けられる選択をしたことを、誇って、大きな声で大好きだと伝えられます!」

そう言って、リラは胸を張った。


「……おふたりは……おふたりだからこそ、とても……とても、輝いているのですね」


眩い、幸せを。

ふたりは、お裾分けしてくれたのだと。

「その輝きを……私に……分けてくださって、ありがとうございます。私と……レオさんを逢わせてくださって、ありがとうございます」

ククツミは椅子から立ち上がり、ふたりの前で深々と礼をする。ふたりが選んだからこそ、自分はレオに逢えたのだと。それは、確かな救いであった。

リラが、これまでのククツミのことを見てくれていたこと。レオが、ククツミを救おうとしてくれたこと。リラの『ククツミを助ける』という選択肢を、ヤクノジが受け入れて誇ってくれたこと。

ククツミは顔をあげて、ふたりに笑顔を向ける。

「私は……おふたりに、助けられました」

「こちらこそ、助けてと、頼って下さってありがとうございます」

「助けたかったから、ね。助けられるかは分からなくても、手を伸ばせるなら」

ククツミの笑顔を見て、ふたりも笑う。助けてほしいという、声にならない叫びは。確かに届いていた。



「……でも、やっぱりさっき、レオさんが来た時に、私……すっごく呆けた顔をしていたと思います……」

「ふふ、それはそうでしょう。私とそっくりで、元は私とはいえ、ちょっとツンツンしてて、ぶっきらぼうなんですから」

ククツミとリラが先ほど出会ったレオのことを話題にあげると、ヤクノジはようやく合点がいったというように口を開ける。

「……あっ、やっぱりレオくんってそういう……?」

ヤクノジは、リラの中にいたレオと会話したことが、実を言うと一度もなかったのである。

そもそも『レオ』という名前もこれまでリラとククツミだけしか知らなかったものであり、ヤクノジはレオが元はリラであって分離したから似た姿である、という理由も、今更ながら知ったが故の驚きの声だった。

それを聞いて、ククツミはぱちくりと瞬きをした。

「……ヤクノジさん、レオさんに会ったこと……なかったのです?」

「うん、名前とか知らなかったし……リラちゃんが……少しだけレオくんの時を見かけた、くらいかも……?」

聞かれてヤクノジは頭の中の記録を掘り返すものの、ちゃんと会話したことがほぼ無い気がしてきた、と困った顔をククツミに向ける。

それが、妙におかしくて。

妙に、嬉しくて、

「……ふ、ふふ。あはは。本当に……本当に、私たちだけ、だったのですね」

ククツミは、からころと笑い始めた。

「ふふ……あぁ、本当に……」

「本当に、よかった……」

嬉し涙のように溢れる雨粒を拭いながら、ククツミは笑う。

「皆、秘密にするのが上手いんだもんなあ……」

「…私も、レオとククツミちゃんがなんのお話をしたのか知らないんですよ?………でもほんとに、ほんとにほんとに、良かったです」

笑いがこぼれるククツミを見て、ヤクノジも驚きつつ笑う。それに続いて、ちょっと口を尖らせてリラも笑う。泣きそうになりながら、ずるいなぁ、なんて思いながら。それでも、笑う。


「ヤクノジさんも、またレオに会ってあげてください」

「だ、大丈夫かなあ……レオくんからしたら、僕って複雑な存在でしょう……?」

「ふふ、大丈夫ですよ?レオはレオですが、元は私なんですから」

「そういう感じ、だといいんだけど……」

別の面での懸念事項が増えたと頬をかくヤクノジと、あっけらかんに答えるリラと、その会話にまた笑うククツミ。

久しぶりに、心から笑ったと。


ククツミは、今日の日記にそう書き留めた。




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