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確かな感情を、星屑と共に。【交流創作企画#ガーデン・ドール】


B.M.1424、5月31日。

教育実習生であるグロウの研修期間が、今日で終わりを迎える。
昼過ぎにお別れ会として盛大にパーティを開き、感謝の言葉を、送る言葉を述べて夜の帳が下りた頃。
トントン、とククツミの部屋のドアがノックされる。
ククツミが首を傾げてドアを開ければ、そこには本日の主役であったグロウがひとりで立っていた。

「あら、グロウ先生。先程のパーティは楽しめましたか?」
「はい、皆さんのおかげで、それはもうたくさん。……ククツミさんにも、こちらを」

グロウは会釈をしてから部屋に入り、手に持っていた白い折り鶴をククツミに渡す。
パーティの後、寮の生徒全員の部屋を回って手渡しする予定だとグロウは言った。
大変な労力になるであろうに、グロウは満足そうに、晴れやかに、そして少しだけ感情を隠した笑顔でこれをやりきると胸を張った。

「……ふふ、ありがとうございます。どちらに飾っておきましょうか」

ククツミは白い折り鶴を手で優しく撫でた後、部屋をキョロキョロと見回して窓辺に視点を定めた。
窓辺にはすでに3つのビー玉が置いてあり、カーテンレールにはドリームキャッチャーが揺れている。
ククツミが折り鶴を丁寧にビー玉の隣に置くと、それらは月明かりを反射してきらきらと輝いた。

「そのビー玉は……?」
「これですか?1月1日にバグちゃんからもらった物ですね。おとし玉、というものらしく。……1月なんて、遥か遠くの記憶に感じますけれどね」

ククツミが懐かしむ、というよりは眉間を潜めながら過去の話を口にすると、グロウはその姿を見て一度目を閉じる。
そしてククツミにひとつの懺悔を伝えようと決意して、目と口を開いた。

「ククツミさんは……人格が、変わっても……記憶は覚えている、のですよね?」

グロウはドールとは違う、人型教師AIである。
無論中身までバラされたことは……一度は提案されたもののぎりぎり回避したわけだが、魔法が使えるわけではないためそもそもの肉体構造からしてドールとは違うのだろう。

ドールは肉体が生命活動を維持できなくなったとしてもガーデンの技術で再生される。
ただし人格コアと呼ばれている臓器を破壊されてしまえば、今までの人格は消え失せる。
今までの記憶は保持できていても、その記憶を自分自身だと理解するには長い時間を必要とするドールも多い。

人格が変わってしまうことは、いわばそのドールの死とも捉えて良いだろう。
だというのに。

センセーから通達される最終ミッションは。

学園ガーデンから望まれる優等生とは。

なにも知らなかったグロウは、それを知った。

そして。

ククツミの人格が変わったことを、グロウは知った。

「えぇ、記憶は覚えておりますよ。……わたくしも、ククツミですから」

ククツミは眉を下げ、はにかみながら答える。
その眉を下げるというほんの少しの動作に、どれだけの感情が内包されているというのだろうか。

「……私は……まだ来たばかりの頃、ククツミさんの容態を聞きに伺ったことがありましたよね」

グロウの試用期間が始まり、初めて寮に現れた日は年末の12月28日のことであった。

「あぁ……あの時ですか。えぇ、ありましたね」

グロウはククツミが巻き込まれたあの騒動についてをセンセーから事前に知識として知り、メンタルケアの教育実習生としてククツミの前に現れた。
詳しい容体と、その後の関係性などの経過について聞こうとしたのだろう、それがメンタルケアとして必要なことであったのだから。
けれどククツミは、グロウからの提案を『大丈夫』と、やんわりと退けた。

「……その時は、大丈夫と……その言葉を信じ切って……メンタルケアの教育実習生としてあるまじき……」
「……グロウ先生?」

流血沙汰の事件に巻き込まれて。
大丈夫なわけが、ないだろう。

今のグロウは気づいていた。
ククツミが初対面の誰かに自身の心情を打ち明かすような性格ではなかったことを。
ククツミが傷を隠すことを。
ククツミの傷が、まだ痛みを訴えていることを。

ただ、それを。

あの時のグロウは、気づかなかった。

気づかないまま……グロウは。

「……片方の意見だけを聞いて、片方だけを慰めるという行動をしていました。……本当にごめんなさい」

グロウはククツミの前で頭を垂れる。
もちろん、その片方のドールにメンタルケアを親身に対応したことは教育実習生として正解の行動であろう。
そのドールの思考や行動が少しずつ快方に向かっていく様子は、グロウから見ても良かったと思えるものであった。

しかし。
それは、本当に良かったことなのだろうか?
ククツミには他のドールが近くにいる。
だから任せて良い。
本当にそうだったのか?
自分は、本当にメンタルケアをこなせたと言えるのか?

片方を、置き去りにして。
片方を、大丈夫だと自分に言い聞かせて。

ククツミの心が、これまでの全ての傷で、ボロボロに崩れかけていたということを。
もう、壊れていると言っても遜色ないほどに、ぐちゃぐちゃになっていたことを。

それほどまでの傷を負っていたことを。
知ったのは、つい最近のことだった。


「グ、グロウ先生?顔をあげてくださいませ……?」

ククツミがおろおろと声をかけるが、グロウは頭を垂れたまま動かない。

「ククツミさんには、他の生徒たちがそばにいてくれているから大丈夫だろうと、ずっと……信じきっていました。みなさんも……守る生徒であることは、変わらないというのに……」

メンタルケアの教育実習生として、生徒ひとりひとりに目をかけていなかったこと。
それは、到底許されるようなものではないだろう。

「だから、その……」

続く言葉が見つからず、グロウの口は閉じられる。
しばしの静寂。
グロウはククツミからの罵倒も覚悟していた。
それとも失望だろうかと、グロウは考える。

と、いうのに。



「……最初にされたことは、飼育委員の仕事を奪われたことですね」


「……え?」


急にククツミから発された事実に、グロウは顔を上げる。
目の前にあったのは今まで通りのククツミの姿と、その口からこぼれた、初めて聞くような抑揚のない声だった。
その声に秘められた感情を、これまで感情をいくつも覚えてきたグロウはすぐさま理解する。

それは、怒り痛み

そしてまごうことのない、憤りだった。

「ククツミ、さん……?」

ククツミは口を閉じたまま、グロウを勉強机の椅子に腰掛けるよう促す。
グロウが座ったことを確認してからククツミもベッドに腰掛け、足をぶらぶらと揺らす。

「私の身に起きたことを……聞いていただけますか?」
「……はい。時間の許す限り」


これからククツミから発される事実の数々に。
グロウは、目を見開くことしかできなかった。

「飼育委員の仕事を勝手に奪われてから、事あるごとに挨拶も碌にしてもらえず、不機嫌そうな顔をされることが増えましたね。不快感をあらわにした返事をされたり、疎ましく思う目を隠さずこちらに向けられたりもしました。……意外と、視線というものは向けられれば気づくものですね?」

それは、身に覚えのないことによる敵意。


「手紙の相談を受けてからその行動は一層激しくなって、私に変装までして私の場所を奪っていきました。『嫌い』だと言われました。自分が持っていないものをあなたは全部持っていると。全部あなたが奪ったのだと」

それは、身に覚えのないことによる殺意。


「……そうして、私は大怪我を負いました。『あんたなんかいなければ』という言葉まで添えられて」

それは、身に覚えのないことによる存在否定。


それを含めて起きてしまったことが、あの流血沙汰だった。


「グロウ先生はこれまでの事実を、どこまで聞いておられましたか?」

「な……、それ、は……流血沙汰に巻き込まれた、と……傷を……負わされた、と……」

センセーからその事実だけ聞かされ、関連したドールの名前を聞いた。
それ以前の事実は片方のドールから『言ってはいけないことも言いました。』と聞かされた程度であった。
これは、そんな一言で済まされるものではないだろう。

こんなにも、身を抉るような。
こんなにも激しい、存在否定を。

目の前のドールは、その身に受けていたのかと。

グロウは自身の唇を噛む。
こんなにも傷を受けた被害者がいるのに。
こんなにも傷をつけた加害者に対して。
私は「また笑って話ができるようになればいい」と声をかけて慰めていたのか。
そうすれば乗り越えられる、だなんて。

傷というものは、交流をしていればどうしてもつけてしまうし、つけられてしまうものだと思っていた。
そしてこれから、グロウは自分が生徒たちに傷をつけてしまう自覚があった。
けれど互いが大事であれば傷すらも宝物になると、グロウは信じていた。

だが、この傷はどうだ。
この一方的な傷が、この暴力的な傷が、ククツミにとって生きていた証に、なると。
そんなことが、あるわけないだろう。

ククツミは、ただ。
傷をつけられただけの、被害者だった。


「……それでも……向こうの気が済めば、それでいいと思っていたんですよ?」

ククツミは笑っていた。
それを聞いて、グロウは自身が唇を噛んでいたことに気づく。
そうだ、謝罪はしたと聞いていた。
償わなければいけないとも言っていた。
だから、もう『大丈夫』だと……。

「けれどそれだけでは済みませんでした。1週間後にまた別のことを起こして、その1週間後……私に怪我をさせた日から2週間が経ってから、自分がしたことを『勘違いでやったことだった』という謝罪をしに来られました」

「勘違い……?」

「……それは本当に謝罪と言えますか?勘違いじゃなければ、やっていいことだと思っていたのでしょうか?あの敵意も、殺意も、存在否定も、勘違いじゃなければ、自分がしたことは間違っていなかった、と?」

「『勘違いでやったことでした』なんて言葉は……『勘違いさせるような行動をあなたがとらなければ、やらなかったのに』とも言い換えられるものではありませんか?」

「そう汲み取れるような……暗に自分を正当化した上で、自分が許されることだけを望む謝罪を、私はどう受け取れば良かったのですか?」

「反省も後悔も、自分がしたことだけに焦点を当てて、『自分がされたら悲しいから』というものでした。……されたのは私ですよ?私を傷つけたことに、後悔は無かったのでしょうかね。私は……周りの方々を巻き込んでしまったことが……本当に、何よりも苦しかったのに」

「……私や周りの方々に償う意思のない謝罪でしたが、私はひとまず受け取りました。それだけで、今は充分だよ、と。……今は、と。そう言ったのに、それだけで全てが許されたかのように『おやすみ』と、全て終わったかのように発言した方に、どうすれば良かったというのです?謝ったからと言って、それまでの全ての行いが許されるというのですか?」

「それは……」

「その後も他者に言われたからといって、取ってつけたかのように償う姿勢を見せようとして、『私の話が聞きたい』といった手紙は結局私の話を聞く気もなく『自分は何をすれば許してもらえますか』という一方的な問いかけでした」

「それでも『忘れてはいけない』と私の大切な方が伝えてくださったのに、それすらも自分の手で……あんな、他者の心に傷をつける方法で、無に帰して。全て忘れて。全て、無かったことにして……その上で、居なくなった方に、私は憤りを覚えています」

「憤り……」

「……えぇ、私は怒りを覚えていますよ。あれだけの……あれほどのことをされて、怒りを覚えない方がいるのですか?この怒りを、どうすれば良いのですか?相談すれば、この怒りは静まるのですか?この怒りの吐け口なんて、もうどこにも無いのですよ?」

「あの時は、ただ、ショックや痛み、苦しみ……そして恐怖がありました。いつ……いつ、私の行動が『勘違いされて』同じ目に遭ってしまわないかと。私が無自覚に行動したことが『勘違いで』敵意や殺意を向けられ、そして周りの方々にいつ被害が及ぶか……本当に、怖かったのですよ?……それでも、なんとか……なんとか保てていたのに……」

「……今は、この怒りを……どうやったって晴れないこの憤りを、どこにぶつければ良いというのですか!?代わりに償うと言ってくださった方でさえ……もう、ここには居ないのですよ?!」

償うと誓った、ククツミにとって1番傷つけたくなかったドールも、もう居ない。

堰を切ったようにククツミから溢れ出した言葉は一度止まり、ククツミは肩で大きく息を吸った。

「……これが、あふれてしまえば……こうやって、怒りに任せて口走ってしまうと思っていたから……私は……この感情を……これまで、誰かに話したことはありませんでした……」

「私は……今、初めて。誰かに私の怒りを伝えました。でも不快でしたよね、こんな八つ当たりみたいなものを急に投げつけられて。本当にすみません、忘れてくださ……」


「……私に、ぶつけてください」

グロウは、ククツミの声を遮るように自身の言葉を口にする。
グロウ自身、こんなにも自分の声が通るとは思っていなかった。

「え……?」

「もちろん、その……私だって、もう、お別れです。もうすぐ……ほんの数時間後に、皆さんの……深い傷になることでしょう。ですが……それでも今、私は。そうしたいと思いました。……私がククツミさんの怒りを、少しだけもらっていってもいいですか?」

「そんな、こと……」

「……ククツミさん。怒りというものは、原動力です。何かをこの手で変えたいと願う力です。頭ごなしに悪いと言える感情ではありません。……けれどそれは強すぎても、自分の心を壊してしまいます」

「強すぎる光は視野を狭めてしまい、それは近くにある小さな光を見逃してしまうでしょう」

「……だから、私にぶつけてください。私が、その感情を、半分だけ持って帰ります」

「いかがですか?」

グロウは、ククツミに右手を差し出す。
振り払われてもよかった。
これは自分の綺麗事エゴだから。

「これ、を」

「はい」

「ぶつけても、いいのですか?」

「はい。ククツミさんが、したいように」

「……苦しかったです」

「はい」

「……悔しかったです」

「はい」

「……痛かったです」

「……はい」

「私だって……私だって……!」

「……これまで、よく。……ひとりで、抱えて、これましたね」


ククツミはその右手を取って。

グロウはククツミを撫でて、抱きしめて。

時間の許す限り、ククツミの怒りを貰い受けた。





「……ごめんなさい、そろそろ……」

タイムリミットは、時計の針が0を指すまで。
それでもグロウはギリギリの時間までククツミの元に留まった。
これからグロウは他の生徒の部屋を回り、何度も何度も最後の言葉を口にするのだろう。

「こちらこそ……貴重な時間を使ってしまって、すみません……」

「いえ、とても……とても、有意義な時間になりましたよ」

それでは、とグロウはもう一度だけククツミの頬を拭ってから踵を返す。
ドアの前でククツミが声をかけると、ドアノブに手をかけたままグロウは振り向いた。

「あの……グロウ先生。……グロウ先生も……怒りを感じたことは、ありますか?」

「そう、ですね……自分自身の不甲斐なさへの、怒りでしょうか」

グロウはメンタルケアの教育実習生として、自身がどれほど未熟だったかを痛感した。
けれどそれは、正式な教師へと成長する確かな一歩だろう。
たくさんの感情を、喜びを、後悔を教えてくれたのは、他ならぬ生徒たちであった。

だからこそ。

だからこそグロウは、宝箱になる傷になってやろうと心に決めた。

どこにあるかも分からない、自分自身の心に誓う。

そしてグロウは、遺す者になる。


「……それがあるから……グロウ先生は私たちに、託すのでしょうね」

「ふふ、そうかもしれませんね」

グロウがドアを開けると、まだ少し冷たい風が廊下から部屋に入ってくる。
その背中に、ククツミは約束を口にした。

「……先生、半分こですよ」


グロウは生徒たちと交流後、感情の名前がついた飴を渡すことが常であった。
握りしめた両手を生徒の前に差し出して、朗らかな声で「右と左、どちらが良いですか?」と尋ねる。
どちらかを選ぶとその片手を開き、それを渡して立ち去る。

一度ククツミが呼び止めてもう片方の飴の感情は何かと問えば、イタズラが見つかった子供のように笑ってもう片方の手を開いてみせた。

「どっちを選んでも同じものが入ってるんです。でも、選べた方が楽しい気持ちになるでしょう?選ばれなかった方は私が保管しています」

今までククツミがもらった飴は悲哀、驚愕、幸喜のみっつである。

であれば、今回の感情の飴は怒気であろう。

もう、どちらかを選ぶ時間は無い。

だからこそ。

半分こ、だと。


「えぇ、半分こです。明日の朝、ポストを覗いてみてください。それでは、また。ククツミさん。……おやすみなさい」

「おやすみなさい、先生。……良い、夢を」

ドアが静かに閉められる。

教育実習生と生徒たちの、最後の時間が終わりへと向かう。




それがガーデンから見れば塵芥ちりあくたの光でも。

今日この日まで、それは輝いていた。

煌めいていた。

生きていると、証明してみせた。

たくさんの、感情原動力を持って。




【B.M.1424 6月1日 6時】
教育実習生の試用期間が終了しました。
結果、生徒のメンタルケアは不要と判断しました。
教育実習生は処分となりました。
しかし人型教師AIがいることで生徒同士の交流が活発になることが確認されました。
より生徒同士で密な交流が発生するように代用品として新たな人型教師AIを導入予定です。








B.M.1424、6月1日、朝。

ポストの中に、飴は無かった。


「……半分こって、言ったじゃないですか。グロウ先生」





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