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水中考古用語集 あ

水中考古に関するざっくばらんな話題をお届けします!

今日は、


相島 (あいのしま)

福岡県新宮町―福岡市の隣町。
博多湾を出て東(宗像方面)に向かうと最初に見えてくる島である。海から福岡空港に着陸するときには、博多湾に入る前に左側真下に見える。

一昔前、猫の島として海外のニュースで報道され、今では釣り客とネコを見に来る外国人観光客でにぎわう。島の沖には「メガネ岩」があり、新宮町の名称となっている。

ここの沖に相島海底遺跡がある。海難事故の現場であろう。平安時代の瓦が大量に残っている。船体は見つかっていない。

相島周辺の漁師が「朝鮮瓦」と呼ばれる瓦を時折引き揚げていた。これは、相島に朝鮮通信使の客館があったことに由来する。漁師が勝手につけた名前であるが、それがそのまま伝わった。(海底遺跡が地元では全く別の時代の遺跡だと認識されて伝えられていることは多々ある)

地元漁師が疑問に思い、文化財の専門家に見てもらい平安時代の瓦であると判明した。その後、アジア水中考古学研究所の潜水調査、九州国立博物館の探査、地元主体の潜水調査が行われ今に至る。瓦が100枚ほど確認されている。


不思議なのは、ほぼすべて平瓦であることと、他の遺物がほとんどないこと。また、この瓦は「警固」の銘が刻印されている。警固とは異国警備、警固所=のちの鴻臚館であろう。ところが、その鴻臚館から警固の瓦は一枚も発見されていない。警固の瓦は、それが造られた福岡市西区の斜ヶ浦窯跡、そして、平安京の朝堂院周辺である。貞観年間(859年から877年)に焼かれた物であろう。

九州で焼かれたこの瓦は、なぜか平安京でしか使われていない…。どのような事情があったのか。

東に運ぶ途中に、瓦の積み荷の一部が海に落ちた…
沈没したのだろうか

普通、商船には様々な積み荷を積んでおり、単一の商品のみを乗せることは少ない。個人の持ち物などもたくさん載せておくはずだ。それが見当たらない。ちょっと離れた場所に別の積み荷が固まって沈没しているのか…。もしくは、瓦しか積んでいなかった船なのか。おそらく船団として移動したのであれば、この船には瓦しか積んでいなくとも問題はない。政府の調達した船であれば船団での移動も十分ありうる。


それとも沈没を避けるために捨てられた荷物なのだろうか?100枚捨てるのには多少時間がかかるだろうが、分布は50m四方である。いささか範囲は狭く、まとまっていた積み荷が長年の間にばらけたようにも見える。

まだまだ謎の多い海底遺跡。

相島海底遺跡は、流通の証拠を示す典型的な海難の水中遺跡ですね


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