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タトゥーが入っていない体は、入れ墨美学的に美しい

数年前、刺青師(タトゥーの彫師)の方に会ったことがある。

がっしりした体格のおっちゃんは夏の暑い時期にもかかわらず長袖のTシャツを着ていて、目に見える部分には小さなタトゥーひとつないのに、衣服で隠れる部分には手も足も所狭しと墨が入っているらしかった。

「らしかった」というのは、おっちゃんが最後まで見せてくれなかったからである。

おっちゃんが刺青師をやっているとわかった経緯はすっかり忘れてしまったが、職業の話になってすぐ「お姉さん、タトゥーは入れてる?」と聞いてきた。

タトゥーに1ミリも興味がなかった私は「いえ、海外の芸能人とかが入れてるの見るとかっこいいな~とは思うんですけどね」とかなんとかお茶を濁すために適当なことを答えたが、それを聞いたおっちゃんは妙に満足そうだった。

「いいねぇ。すっぴんの人って刺青的にすごい美しいからね」

推測するに、すっぴんというのはどうやら「墨がまったく入っていない人」のことを言っているらしい。

「刺青的に美しい?」

「そう。刺青って我慢の美学だからね」

おっちゃんが言うには、刺青は我慢するからこそ美しい、らしい。入れるときの痛みはもちろん、温泉に入れなくなるし、日常生活でも海でも人目に触れないように隠さなければいけない。その我慢(と、おそらくは覚悟)が美しい、というのがおっちゃんの持論だった。

「でもさあ、今は墨を入れるハードルが下がってきてるでしょ。お金はかかるけど消す技術もあるし、昔のヤクザが背中一面に龍だの阿修羅だのを入れるようなのとは違ってワンポイントタトゥーだってある。海外の影響もあって、タトゥーはどんどん身近になってる。だからこそ、今のこの世の中で一時の興味や誘惑に負けずにすっぴんでいるって、それはそれでまた美しいと思うよ。」

だからすっぴんの子が店に来ても俺は止めるんだよね、あんたもせっかくなんだからすっぴん(の体)大事にしなよ、と言いながら、おっちゃんはタバコを吸っていた。

多分、これは刺青師が共有している美学というよりはおっちゃん特有の美学だと思う。
せっかく店に来てくれた客を帰したらその日の売り上げは減るし、初めてのタトゥーが満足に行ったら、その後も同じ店に通うという人は一定数いるはずだ。

刺青を彫ることで生計を立てているおっちゃんは、どんな経緯でその価値観に至ったのだろう。
もう少し何か聞きたかったが、ちょうどそこでお手洗いに立っていた友人が帰ってきたので、それ以上詳しいことは聞けなかった。

私は、お金にならないものを大事にしている人が好きだ。お金にならないこだわりには、その人のプライドとか、人生観とか、物事に対する価値観がぎゅっと凝縮されている。

国際化でタトゥーへの偏見は徐々に弱まっていくはずだ……と言う人も多い。

タトゥーが入っていても普通に温泉に入れて好奇の目を向けられない日が、いつか来るんだろうか。その時、おっちゃんはすっぴんの人にも彫るんだろうか。

私はおっちゃんの名前もタトゥーのことも知らないし、これから先タトゥーを入れることもないと思う。

でも、いつかどこかで偶然おっちゃんに会えたら、また最新の刺青美学を聞かせてほしいなと思った。おっちゃん、それまで元気でね。

数年前、居酒屋で2,3分しゃべった元女子大生より。



これは最近知ったんだけど、刺青の柄には意味があるらしい。虎は身体的な強さ、龍は精神的な強さ……とか。

おっちゃんは、何の柄を入れてるんだろう。

腕まくりして見せてよって頼んでも、きっと俺の美学だからって見せてくれないだろうけど。

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