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内側からの熱。モザンビーク。

ひょんなことからまたモザンビークに戻ってきた。契約次第ではあるが、1-3年首都のマプトで働くことになりそうである。

「アフリカの水を飲んだものはまたアフリカに戻る」なんで諺もあるけれど、自分もまさにその諺にどっぷりとハマった一人で、その言葉もあながち嘘ではないなあと感じている。

とはいえ、今回の滞在は学生という身分であった前回とは大違いである。4000メティカル(日本円で当時8000円程度)の家賃で生活していた学生寮時代とは全く別世界に住んでいるようである。

"Cidade não tem a vida (街には生がない)"

モザンビークの友人は自分を週末に外に連れ出しては同じことを言う。マプトの都市開発から絶妙に外れた都市、Mafalala(マファララ)。マプトの隣町でありマプト都市部に仕事で通う人たちのベッドタウン、Matola(マトーラ)。外国人が買い物をする大型モール、通称バイーアモールから徒歩30分もすれば着く、名も知らない地区。都市から少し抜け出て、彼らの住む場所で数分もぼーっとしていれば、自分は本当に同じ場所にいるのかと言う気分に襲われる。週5日の事務所生活がまるで嘘かのようである。

モザンビークでは最近、第一党のフレリモが、現首相でもあるフェリペ・ニュシを党首として選出した。5年任期の役職、3度目である。現地のメディアによると反対派は一人もおらず、党内100%の支持率で再選したという。もちろんそれに懐疑的な人は多く、ローカルテレビなんかでは「それはありえない」「独裁状態が続く」といった批判が続出している。

とはいえ、そういった批判をする人たちはヨーロッパを中心とした外国からzoomなんかを繋いで議論をすることが多々ある。モザンビークでは数年前に政党批判をラジオでした人が何者かに射殺されるという事件が起きている。フレリモが高々と掲げ続けている、「地方分権(decentralização)」という言葉が、現実に照らされて虚しく輝いている。最近ではtraditional healerである、curandeiroの中でアソシエーションができたり、路上で大きめの台車を引いて果物を売る人たちにcertificationを付与する動き中も出てきていたりして、ますます中央集権に拍車をかけているようになんかも思える。こういった、インフォーマルな人たちを合法化していく流れの中で、雇用を増やしました、SDGsに貢献してます、なんてプレゼンテーションに使われていくのかな、なんてこともぼんやり頭にチラついていく。

そんな中、人々はまるで逃げるようにして勝手に「分権」を進めていく。インフォーマルセクターを生業にしている人はもちろん、マプトのアート界では、arte urbano(都市アート)と称して、路上に絵を描く動きが活発化している。この間、たまたま参加した都市アート座談会のようなトークイベントでも、アートに対する人のアクセスを広げたい、これを教育の機会としたいとアーティストたちが熱い議論を繰り広げていた。政治に期待するのはもううんざりだ、そんな声も聞こえてくるようであった。

もちろん、そうはいっても都市アートも政治とは無縁ではあり得ない。聴衆からは、「行政の許可を取って壁に絵を描かなくてはいけないのではないか」と言う質問が発され、アーティストは、「今のところは問題はない。でもやはり行政とはコミュニケーションを取りながら、許可の範囲で活動をする必要がある」といった回答がされていた。日々、広がる中央の力とそこから逃げるようにそれまた広がる力の間の中で絶え間なくせめぎ合いが行われているのだ。

この新しい、モザンビークという国をこれから作っていく人たちは誰なのか。自分のような外国人には、それを見つめ続けることしかできないな、とつくづく思う。開発協力に従事する人たちがモザンビークを思って活動していても、活動していなくても、モザンビークのことだけを考えて行動することは絶対にできないであろう、と思う。この国は、この国に根ざして活動をする、内からの熱によってその後が決まっていくのだと思う。自分はそれを、しっかりと見届けていきたい、またそう思うのである。


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