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A vida de convivência

ポルトガル、ポルトのとあるホステル。

変哲もないクロワッサンを一つ、バターとジャムで。それとここはポルトガルなのでcaféも一つオーダーしている。占めて3euro。街のカフェに比べたら安くはないけれど、チェックアウト後のホステルでゆっくりする時間も値段に組み込んだと考えればfaz sentido。

と、書いているうちに無音であったロビーに音楽が流れている。2021のEuro visionで一気に自分のお気に入りと化したicelandのグループ、Daði og Gagnamagniðの10 Yearsである。朝(11時ゴロ)の始まりにちょうどいいリズムである。

Euro visionはヨーロッパ版の紅白歌合戦みたいなものである。それぞれの国の予選を勝ち抜いた(ほぼ無名の?)歌手が集まって一曲ずつ歌い、その順位が投票によって決められる。オランダの友人によると、「ダサい。それがいい。」とのことである。2021年の大会には1組、なんとあのFlo Ridaとコラボをしていた国があったのだが、悪評の嵐であった。「ダサいregulation、アウトです。」

2021のEuro visionは5月、オランダのロッテルダムで行われていた。自分は自宅で友人と集まって、パソコンを囲みながら見ていた。Time flies. 論文でヒーヒー言っていた日々も、友達と食べたご飯の直後複数人のコロナ陽性が発覚した「コロナナイト」も、何をしていいか全くわからずネットフリックスを一気見しながらただひたすら毎日モザンビーク人にメッセを送り続けていたフィールドワークの最初も、全部2021という365日の中に収まっている。

恐らく、自分という1人の人間はこの2021という期間で結構な変化を遂げた、ように感じている。

ヨーロッパという文脈に身を置き、モザンビークに触れ続けている毎日。

前者は、自分の「個」を強く意識させるきっかけになった。自分が何を考えているのか、何を訴えたいのか、どうすれば伝わるのか。時に飲みながら、時に真剣に友人を始め多くの人たちと気軽にディスカッションを始められる環境にい続けることは、格闘であった。と同時に話すことが一つの趣味であると感じられるほどに、人と話すことが今まで以上に大好きになった。

後者は、その「個」が他の人たちとの関係の上に成り立っているということを、実感として自分にもたらしてくれた。「友人に電話をして問題が解決するということはない。けど電話してスッキリする感覚が大切なんだ」「いずれ生き残るのはアフリカ人だ。いつも人に囲まれて、いつもみんなと話して、そうしたらそれで頭がいっぱいになる。病む隙なんてないのさ。」「A vida dos Moçambicanos é a vida de convivência(モザンビーク人の人生は、一緒に生きるという人生だ)。」と、笑い飛ばしながら自分に語ってくれた友人たちの言葉はずっと心に生き続けている。

改めて、自分は人が好きである。自分という媒体を通して人と直に関わり、それが喜怒哀楽を伴いながら自分に新しい学びをもたらしている。研究だって、遊びだって、なんだって。自分の人生=communicationである。

今までの人生の中で一番自分が好きである。落ち着いた自信を感じる。何をやったっていいんだと。何を言われようと、自分は大好きな人たちに囲まれている。きついなと思ったら友達に電話をして元気をもらおう。なんでもできる気がしている。

2022年はもっと自分の身体でできることを増やしたい(ボイパ/ダンス/音楽/映像/語学...)。それがもっと人との関わりを豊かにしてくれる=自分の人生を豊かにしてくれると予感しているからである。色々なジャンルでできることを増やして、色々な人たちと関わっていきたい。研究は!?となるが、それ自体が自分の研究なんだと信じている。

それじゃあ、Let's go 2022!

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