雑記 1/12

「ドアを開けっぱなしにしておく感覚」
なんだろうなと考え続けてきた、モザンビークの人たちのconviviality。

でもきっとドアを開けっぱなしにしておくのも容易ではない。苦手な人はきっと苦手な部分である。おそらく。


電話がかかってきたら、すぐにかけ直す。苦手な人からメッセが来ても、最低限丁寧に返事をする。


convivialityを体現するモザ父を前に学んでいるのは、こうした小さな部分である。


この間自宅でフェスタをした。生憎の雨だったので、庭に簡易の天井を設けた。そこらに転がっている棒や、使い古された釘などでビニールシートを庭の上に貼る。

もう大丈夫やろ、と思っても何度も何度も調整が行われる。何でだろうと思って聞いてみると、元々ある屋根と簡易屋根の接続部分が気に入らないと言う。そこの断面に雨が滴り落ちるからだ。そのせいで、元々ある屋根の下で話すグループと、簡易屋根の下で話すグループができてしまう、と話す。

人と繋がりを持ってワイワイと生き続ける、というのはこういった些細な部分の積み重ねである。恐らく。ドアを開けっぱなしにしておくために、舗装をする。その流れが止まりそうなとき、障害物を退け、ドアが閉まらないように、ドアストッパーを置き続けるのである。

流れ続けた結果、豊潤な人間関係が生まれるのだと思う。それは流れ続けるものである、澱みなく。

Amizade é, aceitar o mundo como ele é.
Amizade é, gostar do outro como ele é.
Amizade é, um sentimento de misericórdia, bondade, humilidade, paciência, e imensidão, suportando todos os obstáculos.

自分の人生の中で、1枚でも一緒の写真に収まった人であれば、気軽にいつでも戻ってきてもらえるように。Até morrer.

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