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代々木決戦:現象と花と歌

 前書きとして、現象Ⅱについての内容が怪歌のそれに比べて幾分か少なくなっていることを謝りたい。1日目もリスペクトを持って最高のライブだったと発言できるけれど、2日目に受けた衝撃があまりにも大きく、そして僕の人生における花譜の立ち位置があまりにも深い場所にあるので、自然と紡ぐ言葉は長く重いものになる。それをどうか許していただいた上で、一人の観測者が感情を吐き出しただけの文章を読んでほしい。

 そもそもの話、ライブを2日連続して行うのは何故なのか。会場の日程の都合か、プロモーションの一環か。現地参戦前はそんなことも考えていたが、終演後の僕の中には明確な答えがあった。「繋がりのエネルギー」だ。
 1日目は2日目にバトンを繋ぐために、2日目は受け継いだバトンを持って最後まで全力で走り切るために。両日でそれぞれ完結しているライブではあったものの、2日間のライブが代々木に生み出した一繋ぎのエネルギーは、現地で観測した身としては間違いなく存在した何かだったと思う。
 2日連続という、言葉を選ばなければ死に物狂いの準備の上に成り立っているであろう代々木決戦。終わってしまえば刹那的だった死闘を、僕は全力で、比喩じゃなく命を懸けるつもりで、参戦した。

 さて、1日目は『現象Ⅱ-魔女拡成』。魔女集会もフェスも知らない身としては、初めてのことが多いライブでもあった。
「最高」の一言に集約されるというのが、素直な感想である。「最強」でも「最協」でも、この際誤差みたいな話ではあるのだけれど。
 歴史が積み上げられた現象と、あまりにも美しい魔女たちの覚醒を観た。あの一連のライブを事件と呼ばずして、他になんと形容しようか。
 まだまだ物語の途中ではあるけれど、大きな大きな一つの区切りであったことは間違いない。僕らには見えない所で彼女たちが努力して、悩んで苦しんで、そうして創り上げられてきたライブパフォーマンスが、最大限の熱量や愛情と共に観測された。
 魔女が想いを伝えて、観測者が想いを返す。ライブのたびに行われる感情のキャッチボールが、まるで一歩一歩確実に各々の人生を踏みしめながら歩いているみたいで。僕はそんな、優しい熱が大好きだ。

 ヴァーサスと冠したコラボレーションもあった。それは戦いと呼ぶに相応しい激情で、観測者の叫びは闘志を奮い立たせているようにすら思えた。
 蓋を開けば良い意味で平和的というか、VSの両極に居た各アーティストが協力して、我々に襲いかかってきているかのようだった。あらゆるコラボやゲスト出演に言える話だが、一人で最高のパフォーマンスを魅せてくれるアーティストが複数人で演出するのだから、それはまぁなんというか当然に、情報とエネルギーの暴力なのである。
 そもそもの話、V.W.P自体が個人で活動する5人のアーティストの集まりである。5人の相性が運命的なだけでなく、一人一人が物語の主人公なのだ。言ってしまえば、「ぼくがかんがえたさいきょうのぐるーぷ」なのだ。
 冒頭の共鳴の時点で、観測者のボルテージは限界突破していただろう。少なくとも僕はそうだった。火傷しそうな会場の熱気は、きっとあの雰囲気に酔っただけの勘違いじゃなかったと思う。

 ボルテージと言えば。僕にとっては、初めての声出し解禁ライブでもあった。喉の調子が悪かったことだけが本当に悔やまれる。
 無我夢中でペンライトを振って、声の代わりに割れんばかりの拍手をした不可解参(狂)も、未だ引き摺るように思い出す大切な記憶ではあるものの、会場全体との一体感を覚えるためには、声を出すことにはやはり大きな意味があった。
 感情を原始的に表現できる。想いをそのまま形にできる。溢れ出た激情はペンライトを握る右手に力を込め、意識するまでもなく自然と大きな声が出ていた。
 全身で会場に立っていた――いや、僕は終始座って観測していたのだが――とにかく。音楽と共鳴し、増幅するような観測者たちの声が、比喩じゃなく代々木に響いて体育館を揺らし、僕はそんな巨大な波の一部となって、魔女たちの覚醒を観測した。

 あの現象は、正しく共創であったと思う。ある種の狂騒であったと思う。
 魔女たちの覚醒を見届けられたと思う。勇姿を観測できたと思う。
 そして確実に、彼女たちの感謝を受け取った。愛情を受け止められた。僕がその想いにどれだけの想いを返せたのかは分からないけれど、それでも僕は胸を張って、V.W.Pのメンバーに感謝と愛を伝えられたと言える。
 胸中がこれほどの満足感と幸福感に満ち溢れているのだから、それだけはきっと、絶対に、間違いない。

 決戦は日を跨いで、2日目。『怪歌』と銘打たれた”彼女”のライブの話だ。どこから手を付けていいのか分からないので、とりあえず花譜の話から始めようと思う。
 僕にとって……と言っても、別に僕だけに限った話ではないのだろうけれど。僕にとって『邂逅』という楽曲は、曲が持つ文脈や背景を抜きにしても、特別感の強い歌だった。
 力強さと、儚さと、そして優しさ。僕が花譜を好きになった理由が詰まった楽曲で、僕にとっては「カンザキイオリらしい楽曲」の代表でもある。
 邂逅自体は短縮Verが現象Ⅱで歌われたし、怪歌はカンザキさんの色をなるべく無くすライブになるだろうから、きっとフルは歌われないだろうと思っていた。けれど嬉しい誤算というやつで、予想に反して邂逅は歌われた。花譜のこれまでを形成した、カンザキさんという気配を確かめるかのように。開花する花の青い芽吹きの部分を、そっと優しくなぞるかのように。
 感情のピークというか、感情が涙に置換されたタイミングとしては、2日間を通して邂逅が最大値だったと思う。普段は全力で「観測者」をしようとしているから、浮かべて滲ませて我慢していた涙が、久し振りに頬を伝って流れた。声を出さずに歌いながら、音もなく静かに泣いた。……実際はもっと、爆発した感情を露わにさせていたと記憶している。
 今までの良く分からない拘りは何だったのだろうと思う。涙で視界が歪んでいる時点で観測行為には支障が出ているし、寧ろ感情表現を制限しようとする意志は不純物みたいというか、表現に対する敬意が欠けているようにも捉えられる。
 実際、顔と視界と情緒を滅茶苦茶にさせながら聴いた邂逅が、今まで聴いた中で一番鮮明に記憶に残っている。全力で感情をぶつけた方が、想いを抑えて我慢するよりも、ずっと良いに決まっていた。

 ゲストコラボの話とか、新しい衣装の話とか、積もる話みたいなものはまだまだ沢山ある。『トウキョウ・シャンディ・ランデブ』の手拍子が楽しかったとか、一曲一曲語りたいことがある。でも我慢ができないので、いい加減覚悟を決めて話そうと思う。”彼女”について。廻花について。まとまっていない感情を、なんとか読めるレベルまで推敲してみる。

(狂)の時点で、現実的な可能性として予想していた。覚悟自体は、武道館の時からしていた。でも不思議なことに、怪歌で実際に深化オルタ5を目撃するまで、その可能性は何故だか頭から抜けていた。
 結果論、タイトルで多少は予測できたことだったかもしれない。開花とのダブルミーニング(実際はトリプルぐらい)であることは明白なわけで、じゃあ歌以外に何が花開くのかと言われたら、新しい可能性が妥当だろう。
 いや、そういう話がしたい訳じゃない。否、したくはあるが、最初に語りたいのはこういう話じゃない。
 彼女だ。バーチャルシンガーソングライター・廻花だ。
 文字に書いていて、声に出していて、不思議なくらいすんなりと心が受け入れている。まるでずっと待ち望んでいたみたいだ。……みたいじゃなく、本当に待ち望んでいたのだ。花譜であって花譜ではない、”彼女”の歌声を。
 驚愕と、恐らくは疑問の入り混じった観測者の声が印象に残っている。戸惑い混じりの想いを忘れさせる歌声も、それに応える歓声も。

 当然なのだけれど、彼女も成人した女性なのだなと、シルエット姿の廻花を眺めながら考えていた。少女と呼ぶのには、流石に少し違和感がある。
 正直な話、僕の心のどこかでは、花譜はまだ高校生をしていて、なんなら変声期すら終えていない。同時に、留学したりキャンパスライフを楽しんだりする、少し大人びた花譜も存在していて。そして、僕たちの目の前に姿を現した廻花は、当たり前に、等身大に、20歳の女性だった。
 僕が過去に縋っていたのだと思う。現実を飲み込み切れていなかったのだ。そういう意味では彼女は、進み続ける現在と未来を指し示してくれた。花譜であれ廻花であれ、あるいはバーチャルであれオリジンであれ、彼女が彼女であることに変わりはなくて。僕には彼女が、恋焦がれてしまうほどに美しく輝いて見えた。
「はじめまして」と言うのにはやっぱり少し慣れない感じがして、だから僕は彼女に「これからもよろしくね」と微笑みたい。新しい綺麗な花が開く姿を祝福して、観測者らしく見届けて、飾らない感謝と愛を伝えたい。
 単純な話だ。僕が最初に好きになったのは、確かにバーチャルな存在の花譜なのだけれど、僕が好きなのは彼女の声で、歌で、魂の形なのだ。
 彼女自身の創り出す声が聴ける、新たな可能性が開花したことを、僕は心から嬉しく思う。

 深化は可能性の枝葉を広げながら、確かに成長し続けている。
 彼女は、彼女たちは、不確かな未来へと歩みを進めている。
 僕も進まなければならない。深く深く、未来に向けて成長しなければならない。彼女たちに置いて行かれないように。自身のためにも、自信を持って観測者であり続けるために。
 微力かもしれないが、それでも彼女たちの活動の一部になれているという自負がある。彼女たちが僕という人間を形成してくれているのだと、強力な自覚をもって表明できる。
 観測者として、共創者として、そして表現者として。僕は彼女たちの可能性を、これからも愛し続ける。そして声が枯れることも厭わないで、感謝と愛を叫び続けるのだ。「ありがとう」「大好き」なんていう、ありきたりな言葉で。

 最後に。僕は口下手な上、物書きとは到底思えない語彙力しか持ち合わせていないので、抱いている感情を綺麗に言語化できない。このnoteだって、正直全然納得していない。推敲すればするだけ不満点が増えていく。
 だから、最後は花譜の音楽の力を借りたいと思う。いつかは廻花の紡いだ歌に影響を受けて、彼女から言葉を借りる日が来るかもしれないが、それはまた先の、未来の話。その頃には、僕が紡いだ言葉が誰かの居場所になれていたらいいなと、そんなことを思う。
 歌は最初から決まっている。歌詞の抜粋も考えたが、必要なのは音楽だ。今はただこの歌に心を傾けて、代々木決戦の余韻に浸りたい。


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