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「決める」ことができなくて

今年最後のお稽古だというのに、お茶の先生にちくりと言われてしまった。

「しおりちゃんが”決めなかったから”こうなってしまったのよ」

その口調に厳しさはなく、居合わせた同世代の子たちにもまるで「他人事ではないからよく聞いておきなさい」と言い聞かせるかのような、苦言だった。

私たちの社中(お茶の世界で1人の先生が率いる教室単位の組織のこと)は、来年2月の中ごろに京都の桂離宮を見学する予定になっていた。

たまたまその話が持ち上がった時にお稽古場にいた私が、先輩たちも含めた約20名の予定を取りまとめて、桂離宮へ見学の申請を出すことになったのだった。

ところが困ったことに、一度取り決めた日程が近づくにつれ、参加者が1人減り、2人減り…
うまくまとめきれないまま、私は先生にその状況をおずおずと伝えることになってしまった。

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そのときのひと言が、冒頭の「決めなかったからよ」なわけ。

経緯を知らない人が聞いたら厳しいことばに聞こえるかもしれないけれど、先生は私の甘えを見抜いていたんだと思う。

たしかに、「みなさん行きたいんでしょうから私が代表してまとめますね」といったような気持ちになっていたのは否めない。

私のなかで桂離宮に行くことは、厳密にいうと「まだ決まっていないこと」だった。
だから、先導をとってみんなの予定をまとめることができなかったんだ。

きっとそうやって、仕事もプライベートも人任せにしてきた部分がある。

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これまで、
みんなはどうしたいんだろう?
みんなの意見を尊重して進めよう
と考えることこそが正しいと思っていた。

だけどそれは、
だれかが決めてくれるのを待つことで、自分が選択することから逃げているのと同じだったんじゃないか。

むむむーとなっている私に、先生は続けた。

「決めてないから、周りからどんどん横やりが入って目的がわからなくなってしまうのよ。でもね、こうする!って決めちゃうと、案外いろんなことが綺麗に進んでいくの。不思議よね」

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世の中には「引き寄せの法則」という考え方がある。

全てを理解して信じているわけではないけど、すごく納得したのはこの「決める」重要性について触れている解説を読んだときだった。

例えば友だちとランチに行くときも、「なんでもいいよ」ではなく、自分の食べたいものを考えて、伝えてみることが大切らしい。

こうやって小さな「決める」と丁寧に向き合うことは、自分が求めているものを考え、小さな夢をひとつずつ叶えていくことにつながるから。

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桂離宮の話に戻ると、(もうちょっとお付き合いください)
周りと自分のしたいことがリンクしているありがたい状況下で、
私はまず、自分が桂離宮に行くことを決めなきゃいけなかったんだと思う。

当たり前に
「こうしますね!」
ってちゃきちゃき進めてかなきゃいけなかったんだなぁ。

先生の目が「人になんでも頼ろうとするんじゃない」って言ってた。

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こうしたい!と思うことを「決める」。
それはかっこよく言うと「腹をくくる」になるんだろうな。

ただ、気の持ちようとしてはもっとカジュアルにいたい。

ということで来年の目標は
キメる
でいこうかなと思ったりしている大晦日です。

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