自分らしさが邪魔をして

「周りに同調できてない、よくもわるくも」

みたいなことを尊敬している茶道の師匠に指摘された。
「良くも悪くも」ってゆうのは枕詞みたいなもので、私にはそれが単に自分の欠点なんだと受け取れてしまった。

デキる人はきっと、同調も独立もできる。

振り返ってみると、人と同じになるのをとにかく避けて生きてきたなと思った。もうほんとにずっとそうだったもんなぁ。

小学校低学年の図工の授業の時からすでにそんな記憶あるもん。笑

すごく目立つ!とか、アバンギャルド!みたいなタイプの趣向の子も身近にはずっといたけど私はそういう類じゃなくって、自分のなかで「力の入り過ぎない、でもセンスのいい感じ」をずっとずっと追求してたと思う。何なら図工の先生に駄目だしされても「分かってないな」と流すような、ませ倒した子どもだったと思う。

ファッションも、好きになる男の子のタイプもずっとそんな感じ。
多分仕事も。

何にも余計なコトなんて考えずに、素直に笑ったり反省したり努力したりできる人が私の周りには最近結構いて、(特にお茶関係の同世代のコたちを筆頭に)すごく素敵だな、私もこうなりたいな。て気持ちと、なんにも考えず幸せそうでいいですね。でもその生き方楽しいん?と思ってしまう気持ちとが葛藤し続けてる。

素直じゃない私を好きになってくれる人で今まで周りを固めてきていた自分に最近気がついて、でも、それじゃあ自分が目指してる大人には到底なれないってことも知ってる。

向いてないことを目標にして、一生懸命もがいても遠回りしてるのかも。

だけど数年後に
「あの時は本当に辛かったけどね」
って笑って人に話してる自分も想像できるし。

ラクして楽しいことなんてないのかもしれないねぇ。



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