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「みんなと同じ」じゃなかったから

しつこく宇多田ヒカルの話を引用する。
この前のSONGSで
「グループに属したことがない」
と言ってたのを、度々思い出して、考えていた。
トークのほとんどに「わかる」なんて頷いていたけど、この話がいちばん心を抉ってくる感じがあった。
彼女と境遇は似ていないかもしれない。悩みどころも違うだろう。
だけど、私が抱える問題の多くは、それが元凶だ、と思った。

日本では重視されがちな「グループに属する」ということの根本的な作法を子どもの時に身につけていないのだ。礼儀自体はわかっているし、見よう見まねでそれなりに振る舞える。
でも、予期せずポツンと1人になってしまったりする。知らない人ばかりの立食パーティーとか、輪になって集まられてしまうと、そこには近づけなくなる。自然に輪に入っていく作法を知らないから。

いつからそうなんだろう?

たぶん、生まれたときから。
生まれた時点で、「みんなと同じ」グループから外されていた。
普段はあまり気づかれることはないのだが、実は四肢障害がある。手帳も持っていないくらいだから、本当に些細なものだけれど。
家族はそのことを心配して、幼い頃は「みんなと同じことができない」ことを前提にして、いろいろとできるように練習させてくれた。おかげでほとんど不自由なく過ごせているし、努力する事に対しては人一倍根性があるので、それは感謝している。
工夫と努力でどうにかできることがわかってきた中学生くらいの時から、我が家の前提はすっかりなくなった。

ただ、すっかり染みついてしまったのだ。
「どうせみんなと同じではない」という観念が。

幼稚園、小学校、と障害のことで少し長めの入院もした。
そこで集団生活から離脱するのも大きかったのかもしれない。

さらに、わが家は転校が多かった。
おかげで1人でも平気だけど(見方を変えればそれは私の強みでもある)、グループに属することをあまり魅力的には感じない。
特に、田舎の学校はみんなが幼馴染みなのだ。「みんなと同じ」が当たり前の世界の子どもたちと、「みんなと同じではない」幼い私が、分かり合うのは、なかなか難しかったようだ。そこには「個」がなかったから。

どうして私は「みんなと同じ」に染まれなかったのだろう。
染まれなかったのか?
染まりたくなかったのか?
 

……後者かもしれない。
生まれたときから「みんなと違う」のだ。アイデンティティも多少はそこに由来している気がする。
それなのに、自己肯定感は著しく低いらしい。
みんなと違うことは、大きなグループからは好まれない。価値を認めてもらえない。……だからだろうか?

そのあたりは、まだ、自分でも答えが出せていない。
いずれにせよ、「グループに属する」ことは苦手だ。そしてそれは自分の来し方に関連があるのだろう。

友達の心配や
生い立ちのトラウマは
まだ続く僕たちの歴史の
ほんの注釈

宇多田ヒカルの「Play A Love Song」の歌詞の一節。

──グループに属せないからって何だよ。大したことないじゃんか。

そう思えるほど、現実問題は簡単じゃない。
彼女には彼女の、私には計り知れない苦しみがあるのだろう。
それなのに「ほんの注釈」と軽やかに歌ってしまう。
だから、ほんの少し救われるのだ。

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