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「ヤンキーに囲まれて育ったので」と私は言う

中学時代は悪夢のようだった。思い出したくないのに、繰り返し夢に見る。そして、あの頃のことにはもう触れたくないのに、定期的に連絡をくれる友人がいる。いちばん仲が良かったのに、その子のことを、いまだに親友と呼ぶことができない。

昨晩、久方ぶりにその友人から電話をもらった。あまりにも変わらないので、どっと疲れてしまった。彼女は何も悪くないのに、私が勝手に疲れてしまう。きっと、私の中にあの頃へのどうしようもない怨念や偏見があるのだと思う。それを整理したくて、このnoteを書いている。

転勤族の家の子だったから、何度も転校をしてきたけれど、中学からは定住した。定住したのは、緑豊かな農村地帯で、住宅地から一歩出れば、畑や森が広がっている。そういう「田舎」に私はどうしてもなじめなかった。仲良くなっても越えられない壁があった。
成人して一端の教員になった私は今、当時のことを周囲の人に語るとき、自虐的に「ヤンキーに囲まれて育ったので」と形容する。もう少し正確な言い方が本当はある。ただし、それを言うのは憚られる。すごく傲慢な言い方だからだ。

「学力の低い人たちに囲まれて育ったので」

自分は頭がいい、みたいなことを自慢したいのではないし、そもそもそれほど優秀でもない。そのことは高校に入学した時に嫌というほど思い知らされた。私が通っていた中学はかなり学力の低い地域だった。その中で上位にいただけだ。
それよりも「学力の低い地域」はずっと地獄を生み出し続けるんじゃないかということが、私はとても恐ろしいと思う。その地獄では想像力が欠けていて、みんなが共通の小さなものさしで世界を見ている。異質なものは排除されていく。そして、その世界だけで完結される。社会との分断。それこそが地獄だ。

当時は何もわかっていなかったけれど、年を重ねるにつれて事の深刻さをしみじみと感じる思い出がいくつかある。
私は比較的読書好きの子どもだった。もともと図書館が好きで、毎週何かしら借りて来て読むような小学生だった。それなのに、中学校の図書館に行ったら、本を読んでいる人が誰もいなかった。それどころか、生徒が大騒ぎで走り回っていて、本を読んだり借りたりできる環境ではなかった。図書館とは…?という思いだったが、この世界では本を読むことは是とされないと理解した。私の周りに、読書に重きを置く友人はいなかった(漫画の話ができるオタクはいっぱいいた。でも、話題になるのは物語の良さではなくて、たいていは下ネタだったのも私にはわりとキツかった)。
オタクではない子も恋バナしかしなかったように記憶している。そういえば、「私、〇〇君に思い切って告白するから、miotsukushiちゃんも△△君に告白して!一緒にがんばろ☆」と言われて、私が当時「ちょっといいな」と思っていた男の子に半ば無理やり告白させられたっけなぁ(そしてふられた)。
自分の興味のあることを調べるフィールドワークがあったとき、クラスメートの大半が老人ホームや保育所について調べていたけど、あれはみんな本当に興味があったんだろうか?「〇〇ちゃんがやるなら私も~」だったのだろうと今ならわかる。結局彼らはみんな仲良く先生の引率で老人ホームや保育所に行くことになった(先生もその方が管理しやすかったのだろう)。そのとき、私は素直に興味のあった「町の史跡」のことを調べていたせいで、先生も誰もつかず、平日にひとりぽつんと農村に放り出されたのだった。おかげで警察官に補導された。「教育活動の一環」でうろうろしていただけだったので特に問題にはなりませんでしたが(今これを教員がやったら間違いなくアウトだ)。

そういうの、全部全部嫌だった。学校に特攻服を着た少年たちが乗り込んでくることよりも、クラスの中でも有数のワルがカツアゲを自慢げに話していたことよりも、みんなが見ている世界と私の見ている世界があまりにも違うことが嫌だった。
きっと、私以外のみんなは同じものさしで世界を見ていたのだろう。だから、いろいろなところに想像力が欠けていても、誰も疑問に思わなかったのだと思う。私ひとりだけ、いつも違った。あの世界でおかしいのは、浮いていたのは、私の方だったのだ。私は得体のしれないマイノリティだった。

その現実から逃げたくて、少し離れた街にある進学校を目指した。そのために必死で勉強した。クラスメートから試験前日に大量の漫画を貸し出され「明日までに返してね☆」と言われて(その人は、私の成績を下げれば自分の成績が上がると信じていたらしい)、素直に楽しく読んで試験初日に返却しても成績が下がらないくらいには勉強した。
そして、希望する高校に合格してからは学校生活が劇的に楽しくなった。もちろん楽しいことばかりではなかったけれど、周りの人と話が通じるようになったのは本当に衝撃的だった。国語便覧や歴史の資料集を一緒にのぞき込んで楽しく喋れて、読んだ本の話を共有できる友人にたくさん出会った。その多くは今も連絡を取り合う友人たちだ。卒業後はそれなりの国立大学に進学し、教員になった。10代後半から今までずっと、知的レベルの高い人たちと関わってきたのだと言っても間違っていないだろう。
そして、その人たちに、私の中学時代のことは共感してもらえない。ちょっと説明を間違うと、「他の子とは違った賢い私」自慢だと思われかねない。「学力の低い」人たちにはその人たちの世界があるように、「学力の高い」人たちには別の世界がある。なかなか分かり合えない。そこに、社会の分断があると思うのだ(その話は若者がnoteに書いていた。そちらがとても読みやすくてわかりやすいと思う。鈴さん「この割れ切った世界の片隅で」https://note.com/__carpediem___/n/nba61eb70085a )。

先日、ある大学の先生の話を聞いて、はっとしたことがある。
「高度経済成長期には自宅の本棚に文学全集が並んでいることがある種のステータスだった」
そもそも私はバブル崩壊後の世知辛い世代なのだが、それでも私の大学の友人たちの家には、文学全集があるという。それは私にとって憧れの風景だ。
私の実家にそれはない(そもそも本棚がすかすかだった)し、中学時代の友人宅にも文学全集はなかったから、そういう家庭が身の回りで実在することに驚いたのだ。
文学全集という「ステータス」はそのまま学力や収入を表しているのではないだろうか。子どもの学力格差はその家庭の収入格差であり、将来の収入格差だ。格差は引き継がれていくというのも、よく言われる話だ。
それはここまでさんざん中学時代のことを非難するように書いてきた私にとって、特大のブーメランが突き刺さる話だ。
私の家系に、そもそも大卒の人間は少ない。私が生来所属するコミュニティは、格差の下の方に位置しているのだろう。だから、あの中学時代のコミュニティは本来親和性が高いはずだったんだろうなと思う。
だけど、なじめなかった。
それは転々としてきた小学校時代の学びの中で、物語や歴史が好きになったからだ。教員となった今だからわかる。私は先進的な教育を取り入れた小学校に多く通う機会に恵まれていた。教育って大事だなぁとつくづく思う(教員という立場からも、いっそう責任を感じる)。ともかくも、私は学ぶ楽しさ、想像する楽しさを得ることができたのだ。だから、あの閉ざされたコミュニティから離脱できた――分断された社会を飛び越えることができた。そう言ったら、それこそ傲慢だろうか?

小学校での経験を評価すればするほど、あの中学時代は何だったのだろうか、と思う。そして、あのコミュニティで生まれ育ち、成人し、家族を持ってもあのコミュニティにいる友人のことを思う。

いつも連絡をくれる友人は、とても「いい子」なのだ。あの世界で正しく生きているからこそ、私の感じた「生きづらさ」に気づけない。
今でも覚えている。両親がなかなか深刻な理由で離婚することになったと打ち明けたとき、私の代わりに号泣してくれたこと。就職してからも「職場で仲の良い異性=私の好きな人」だと思い込んで存在しない恋路を応援してくれていたこと。私に「いい相手」が見つかるようにと心から願ってくれていたこと。
間違ってない。何ひとつ間違ってない。そこには確かに思いやりがある。
あの日、泣いてくれたことに救われたのも本当だ。当時の私は泣けないくらい追い詰められていたから。だから代わりに泣いてくれて嬉しかった。そのことは今でも私の心をあたたかくする。
それなのに、違和感を拭い去ることができない。素直にその優しさを受け止められない。申し訳ないと思う。だけど。だって。

だって。私はそんなにかわいそうに見えるのかい?

両親がそろっていることや適齢期に結婚することばかりが幸せだとは限らないじゃないか。
それでも、彼女にとってはそれが「幸せ」の姿なのだと思う。違う姿をした幸せを想像したことがないのかもしれない。
想像力が欠けている。私にはそう見えてしまう。ごめんね。悪気なんて、ひとかけらもないことはわかっているけれど、どうしてもそう見えてしまう。
そんな私のことを時々思い出して、連絡をくれる。中学時代の友人なんて、他にもう誰にも連絡を取っていないのに、いまだに連絡をくれる。きっと私が一緒に青春時代を過ごした「大事な旧友」だからだ。
彼女に昨晩も言われた。
「遊びにおいでよ。懐かしい場所を案内するから」
ありがとう。
だけどその懐かしさは私を苦しめる。なのにそのことがきっと1ミリも伝わらない。何度やんわりと断っても、何度でも誘ってくれる。もう、その時点でわかりあえる可能性がゼロに近い。

そんなに言うなら、もう連絡を取らなければいいと言われるだろう。その通りだ。音信不通にすればいい。
それでも私はその友人のことを最後の砦のようにも思っているのだ。私の中の、中学時代への怨念と偏見。彼女とのつながりを失ってしまったら、私は完全に中学時代へとアクセスする縁を失ってしまう。もう二度と雪解けはあり得なくなる。
私は、私の中のこのどす黒い感情といつかきちんと向き合わなければならない。そうでなければ、この先も一生、悪夢にうなされ続けることになる。
だから、音信不通にできない。

もうそろそろ向き合ってみようよ、と思う。思いつつも、怨念にまみれた回想をしてしまう。
そして偏見。
私自身が「あの世界」の人々を想像力が欠けていると思い込んでいるのではないか。そうじゃない人たちがいたことを忘れてしまっているのではないか。友人のことを、悪くとらえすぎではないか。私は「あの世界」を離脱したと思ってきたが、今でも囚われているではないか……
ひとりで繰り返し考えすぎて、わからなくなってしまうのだ。きっとものすごくこじらせている私は、フラットに自分の中学時代をふりかえることができない。

人との交わりを避け続けた男は、虎になってしまった。『山月記』の話である。自分の拗らせっぷりを思い出すとき、この話のことも思い出す。
今のままでは、私もいつか虎になってしまいそうで怖い。
考えすぎているだけかもしれない。想像力はありすぎても困る。現実はもっとシンプルなのかもしれない。
友人が最後の砦だというならば、あの世界の案内を、今度こそお願いしてみようか。





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