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全国模試1位になって湧いた怒りについて

こんにちは。
みなさんお元気ですか、坂本です。

熊本に来て2年とすこし。
公立高校の中に塾を設置し運営するという不思議な仕事を始めて2年とすこし。

この2年間で、生徒と一緒に学びながら日々を過ごし、ずっと忘れていた、高校のころの出来事を思い出したので、つらつら書きたいと思います。

勉強をするきっかけなんてそんなもんだった

高校に進学したわたしは、部活にも入らず、
といって、なにかやりたいことがあるわけではなく、家族も苦手で家にもいたくなく、
いまとなってはどうやって過ごしていたのか不思議なくらいに、居場所がなかった。

地域で2番手の進学校は1学年400人の公立高校で、校則が厳しく、宿題が多かった。
「制服がダサすぎて、修学旅行で東京に行けば2chにスレが立つ」と
「スピッツの草野マサムネさんの母校」で有名な高校であった。

それでもクラスメイトや友人に恵まれ、昨日見たテレビの話でゲラゲラ笑って毎日を過ごしていた。

高校2年生に進級するとき、クラス替えが発表され、親友が泣いた。

10月くらいに配布された進路希望調査のアンケート用紙。
そこには文系・理系を選択する項目と、
「特進クラスを希望するか」の質問が書かれており、大体同じくらいの成績・学年順位だった親友とわたしは、一緒に特進を希望すれば同じクラスになれるのではと期待に胸を膨らませ、「希望」に丸をしたわけだが、

わたしだけが、普通クラスへの進級となったのである。

「悲しい」「不安だ」と泣いている友人の涙を見て、部活にも入らず、勉強をするわけでもなく、こんなに想ってくれる友人に寂しい想いをさせ、

わたしは何をしているんだ、来年は特進クラスに入らねば!

と決意し勉強を始めた。

(大学卒業したくらいで、改めてそのときの話をしたら、親友は「え〜!そんなことあった〜?」と笑っていた。)
(往々にして、ひとが変わるきっかけなんて、相手にとっちゃ、そんなもんである。)

みるみる成績が上がり、東大医学部合格レベル。

毎日、適当な教室で誰の許可も得ず、2,3時間居残り、土日には胡散臭い勉強法の本を読み漁ってはトライし、自分に合う勉強法を早々に見つけ、少し勉強時間を抑えても、全国模試で元々50台前半だった偏差値は、3ヶ月後には60後半、ときには70台も指すようになっていた。

2学期が始まる頃には、成績も安定し、定期試験も全国模試も学年順位ではトップクラスをキープ。

なんだか先生方の視線も優しくなっていっているように感じ、昼休みに担任にそっと呼ばれて、次年度は希望さえすれば、特進クラスに入れることを通知され、
授業を受ける以外関わりの無かった学年主任にも呼び出されては「九州大学に行きなさい」「いやです」の押し問答を繰り広げた。

高飛車な態度も取り始めたわたしに、返ってきたある模試の結果。

開いて目に飛び込んできたのは、
「国語:東大医学部合格レベル」
というなんとも強そうな結果だった。

東大医学部合格レベルという判定だったのは国語だけではあったし、解答はマーク方式で運も重なったし、それでも得点は100点満点で全国1位。
そりゃ満点なら1位であるはずだし、全国1位なら東大医学部合格レベルも仕方ない。

開いて思わず「え〜!東大医学部〜〜〜〜!ウケる〜〜〜!」と叫んでしまったわたしが手に持つ結果を、数名の友人が囲んだ。

その先に、結果を開いて、静かにしているクラスメートがいた。
生徒会のなにかの役員をしていたその同級生は、たしかになにかで大騒ぎするようなタイプではなかった。

けれども、少し物憂げにも見えるその表情が、なんとも言えず頭から離れなかった。

だれがだれに評価されてんだろうな、されてたまるか

帰宅の途。川の横を自転車でゆっくり走りながら、クラスメートの表情を思い出し、ふつふつと、怒りに似た気持ちが湧いてきた。

なぜわたしが、評価されるのだ。
なぜわたしが、先生にちやほやされるのだ。
(なにを"良い"とするかはさておいても)
なぜわたしが、クラスメートより"良い大学"に入れるのだ。
あのクラスメートの方が、絶対にがんばっているのに。

たしかにわたしは定期試験も模試も成績は良かったが、毎週出される物理の宿題は2学期中1度も出していなかった。
どうすれば成績が上がるかを理解し体得してからは、勉強時間も減らしていた。それでも一番なのである。

対してその同級生は、わたしよりもずっと勉強していた。
時間も、量も、ずっと勉強していたし、継続もしていた。
授業態度も良く、課題も全て真面目に取り組み提出していた。
それでいて生徒会役員として学校の運営にも貢献していた。

それでも、一番ではないのだ。

その同級生の真面目さは、学年のみんなも先生方も知っていたと思う。

それでも受験においては、勤勉さや、継続し続ける力を持ち発揮した同級生よりも
「点数の良い」わたしが、評価されるのだ。
「点数の良い」わたしを、担任や学年主任は呼び出すのだ。

ふたつの怒り

わたしの怒りは2つあった。

①なぜその同級生の「努力」や「継続力」は評価されないのか
成績とはなんなのか。なにを評価しているのか。
努力もなにもしていないわたしも評価されるなら、ものさしとしてはあまりに不十分だ。

もし「勤勉さ」というものさしもあれば、その同級生も評価されたのだろう。
絶対に、それぞれになにかいいところがあるはずで。それは誰が認めてくれるのか。
誰が気づき、伸ばすきっかけを、機会をくれるのか。

ものさしが必要なのか。
それすら分からないが「誰も評価してくれない」状態にはしたくない。

先日読んだ記事。
彼は「成果出そうレース」に、すでに強制参加させられていたのかもしれない。

②その同級生の努力は結果に結びつけられなかったのか

休憩時間にも参考書を開くことのあった同級生。
圧倒的な量をこなしていたにも関わらず、成績は伸びなかった。

わたしは、勉強を始めると同時に、勉強方法に関する本をいくつか読み、自分に合う方法を探した。
たまたま、自分に合う方法がサクッと見つかってしまったがために、成績に変化が起こるのも早かった。

その同級生にも、適した勉強方法があったはず。
なぜそれを見つけられなかったのか。
わたしは、それは決して同級生の自己責任とは言えないと思う。

「全国1位」「東大医学部合格レベル」という単語を自分のものとして見たときに感じたのは、「こんなもん1位じゃない」という気持ちだった。

まだ、力を発揮しきれていないひとが五万といる。
勉強をするきっかけに出会っていないひと、学びの面白さに出会わずここまできたひと、「成績の伸ばし方」を知らず努力し続けているひとがいる。
自分ではコントロールできない、経済的な事情や家庭の事情で、学習環境だって均一じゃない。

もちろん全員が勉強や学びというフィールドにいてほしいとは思わない。
けれども、望んだひとも、力を発揮しきれない状況で、1位だ、満点だ、東大医学部だ、なんて馬鹿げている。

学習指導要領は新しいものになり、それぞれの特長を育み、尊重するような社会に近づいている気も、ほんの少しだけする。

きれいごとかもしれないが、それと同時に、教育がみなが均一に「学びにアクセス」でき「個が伸びる」場として担保されると最高だなあと、思う。

腹が立ったから、選べる選択肢が出来たよ

もしかすると、わたしはその恵まれた環境を享受して、より"良い"大学を目指すべきだったのかもしれないが、自分なりに考え抜いて、ある公立大学を第一志望とし進学した。

同級生を見ていて、もう成績はいいから手を抜こうという自分に恥を感じ、第一志望の合格には十分余裕があったが、慶應義塾大学の合格を目指して、勉強をまた再開した。

3年時、無事特進クラスに入るも、うつ病になるなどもろもろあったが、第一志望にも、慶應義塾大学にも無事合格した。

ネームバリューがあるから慶應義塾大学に行きなさい
就活に有利だから慶應義塾大学に行きなさい
ということを周りの先生に言われるたびに、あの勤勉な同級生の顔が浮かんでは「通った大学名でわたしの何が判断できんだよばーか!」という気持ちを抑えきれなくなり、もちろん入学は辞退した。

物憂げなあの表情を見なければ、そんなことも思わず、いまは東大卒の医者だったかもしれない(たぶん無い)。
慶應義塾大学を卒業して一流商社マンだったかもしれない(たぶん無い)。

あの同級生がいま何をしているのか、どこで生きているのかは知らない。
名前も若干うろ覚えなくらいだ(それはごめん)。

けれども少なからず、わたしがものを決めるときに、他人の評価に左右されず、自分の気持ちに従って選ぶことができるようになった一因には違いないし、

誰かと接するときに、色眼鏡をかけていないか気をつけるようになった一因には違いないし

いままさしく働く教育の現場で、相手が力を発揮するためにわたしはどういう関わりができるか、そんなことを意識している一因には違いない。

あのとき出会い、わたしの怒りを生み出してくれた同級生に(と、全国1位をとっちゃったあのときのわたしにも。笑)
精いっぱい感謝したいと思います。

ということで。
みなさんは、目の前の相手のなにを、評価していますか。

わたしが楽しく書いているだけ、と思っちゃうので、サポートしてくださって嬉しいです!!!うわーい!