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ことばの練習

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2月は1年で最も短いので、2月だけは頑張って、日記を書いてみます。いわゆる度胸試しです。内容は日記というより雑文です。
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記事一覧

_を聴く

声を聴く 音を聴く 風を聴く 土を聴く 言葉を聴く、 音のないものでも、聴くことはできる 聴くとは耳を使うことだけを指すわけじゃない 聴くとは心の底から何かを感じるものだろうか 聴くとはただ寄り添ってあげること 聴くという字には耳と心という字のどちらもが含まれる。 聴くという行為には、 ただ、ひたすらに、聴く という動きが含まれるだろうか 相手の音や心情の波を漂うようにゆっくりと寄り添って、最後には自分なりに掬い上げていくものなのかもしれない ものでも人でも対話はで

生きて腸までとどく乳酸菌 シロタ株が1000億個も腸内にいる件について/日記

どうやら、現在ぼくの腸内には生きて腸までとどく乳酸菌 シロタ株が1000億個もいるらしい。 というのも、そんな美容なんとかに手を染めてたとかではなく、ヤクルト400を5本飲んだのだ。たった5本。しかし腸内には5という数字からは想像もできない1000億個という数のシロタ株がいる(らしい)。 と、こんなことを書いていると、さも健康になったような、すごくなったかのような気がしてくる。が、実はそんなことは全くなく、むしろ腸的にはシロタ株を入れ過ぎて大変なことになっているかもしれない。

無駄な塩分まで捧げてしまうほどの愛/日記

気持ちの悪いタイトルをつけるけど、これを泣いてしまうほど好きであるという意である。 ぼくは、相手には申し訳ないがクズがすきだ。クズが好きというよりも、クズしか好きにならない。この一部の自分が大っ嫌いだし、相手にもクズというラベルを貼るぼくも相当クズだと思う。 そんな好きになる人がクズすぎて、関係を築いていくのには、なんだか拒まれる。しかし、どう頑張っても、どんなにクズな場面を思い出しても、「ああ…」とはなるが、大好きだと錯覚する。これが本当に錯覚なのか、本当の好きなのか、モ

ぼくの世界には来ないんだね/日記

世界がある。この世界と、ぼくだけの世界。 人は、現実の生きている未知だらけのこの世界と、自分の心の中にある世界の2つを持ち合わせているのではないだろうか。 天使と悪魔が、ぼくの心の中に語りかけてくるというのも、自分の心の中だけにある、世界での現象だ。 そんなぼくの心の中の世界は「せかい」と名付けている世界が存在する。 この世界は、現実と同じように、地球や宇宙や、国や町の形をしている。 家→町→国→地球→宇宙の順番で、世界が作られている。 最も大切な人や物などの存在は、ぼく

幸せなら手をたたこう/日記

幸せなら手をたたこう。というフレーズが実現したら、この世の中も大きく変わるだろうか。 政治においても幸せだと思ったら、拍手が鳴り止まなくなるだろうか。 幸せを誰もが見えたり聞こえたりするその世界をぼくは見てみたい。

肩書きなんて捨てて/日記

肩書きなんて捨ててしまえ。 したいことをとことんしたらいい。 自分の人生は自分だけのものなんだから。 なんて綺麗事をよくいうけど、わたしにはできない。どうしても第0印象は気になってしまうし、ことばは心であるから慎重にいかなければならないし、するべき気遣いはたくさんある。 でも,そういうことじゃない、と思うことも多くある。 幾つもの問題や課題は、一種の「肩書き」で起こっているとぼくは思う。 これが厄介で。だいぶ困ったやつである。 全然いうことは聞かないし、むしろ遊ばれているか

荷台に積まれる真顔の旦那になりたい/日記

今日は、通りが勝った道の脇に、農作業をした老夫婦(尊敬語としての老夫婦)がいた。 にこにことしたおばあちゃんが、野菜を運ぶ際に使われる台車?のようなもので、真顔のおじいちゃんを運んでいた。 きっとおじいちゃんは疲れていたのだろう。 いろんな場面で思うが、ぼくはこんな旦那になりたい。 あまりにもその光景が可愛くとて、次通りかかる際は、写真撮影の許可を取ろうかと思うほど記録しておきたい幸せな瞬間だった。 そうしよう。見かけたら絶対に話しかけてみよう。 話は戻って、ぼくは旦那に

第ゼロ印象/日記

つくづく、挨拶は難しいなあと思う。 もしかすると、人に好きだと伝えることよりも難しいんじゃないかと思う。 最近、挨拶をすることが増えた。というのも、家族や友人のつてで始めましての方によく会うことが多くなったからだ。出会いが多くなったことはとても嬉しい。 しかし、やはり自分は挨拶が下手だなあと思う。 今忙しくしているし、とか、なにも買わないのに喋りかけるのもな、とか、理由はさまざまだけど挨拶は難しい。 それこそ、始めましてのお店や人は気兼ねなく挨拶できるのだけど、知り合いの知

こころは言葉、ことばは心。/日記

仕事に対しての集中力が続かず、久々に、だいぶ前に投稿した自分のnoteの記事を読んでいた。 読了後の第一声は、「か、か、軽い……………………………………!」。 文章が軽かったのだ。とても軽い。卵のパックぐらいには軽い。 対して、今の文章はどうか……?と、メモに残された幾つもの雑文に目を向けてみた。 お、重い……………!とまではいかないものの、どこか「うっ…重っ…」となるずっしり感がある。 文章が変化したのか、ぼく自身が変化したのか、読んでいる現在の状況が文章を重くさせている

青春が平凡を文学に走らせるのか/日記

青春ってなんだろう。 ぼくは短歌が大好きで、読んだり、詠んだりしている。今日はそんな大好きな短歌の研究をしていた。 言葉の悪い癖で、「研究」と書くと、さもすごいこと、誇らしいこと、難しいものをイメージするが、そんなもんじゃなくて、ただ単に気になる疑問をぼくにしては珍しくまじめに考えてみただけだ。 どうも調べてみると、(過去5年間に限った話だが)「短歌」ということばが注目されるのは、夏らしい。 別に夏だけというわけでもないけど、毎年最も注目度が上がるのは、夏であることがわか

書くことについて/日記

 「本日は、書くことについてお話ししていこうと思います。」 ぼくの大好きなラジオ番組をしているDJの野村訓市さんがいつかの放送で語っていたものだ。DJであり、文筆家であり、一人旅を生きがいとし、交友関係のとても広い、音楽のセンスが最高なおっちゃんである。  野村訓市さんはこの放送回で「文章は、書いたら書いた分だけ上達するので、皆さんも書くことを続けてみてください(個人の解釈)」と語っていたので、1年で最も短い月である2月に、1か月間だけnote日記を始めてみようと思う。日記と