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映画「Myanmar Diaries」を観た。

2021年4月のクーデターから2年以上経ち、国際社会からの関心はすでに薄く、市民の生活は悪くなる一方のミャンマー。
私にとってミャンマーは大学で1番親しい友達の母国であり、友達の家族が住む場所であり、クーデター前の2017に訪れた際に多くの人に良くしてもらったちょっと思い入れのある国。

いろんな事柄に対して思うことだけど、隣で人が殺されているのを(生命だけではなく精神や言論も)黙って見ている感覚とどう向き合っていいのかわからない。
目を背けるのは違うということ以外は。

平和的なデモに限界を見た若者たちがジャングルに入って武器を取って戦う訓練をしている。大切なものを守るためにはそれしかないと私でも思うと同時に軍事力に大差があるにも関わらず戦地に赴く姿に複雑な気持ちになる。
Idealist の私でさえ、その時にできる行動を起こすことが勝てる可能性を0%から多く見積もって2%くらいにしか変えない上に短期的なリスクがとんでもなく大きいという状態にただ足がすくむ。

人道支援に寄付したり情報仕入れたりしてるつもりだけどできることを全てやってるわけじゃないのでずっと自分を恥じてるし、ちょっとだけやってることが自分の罪悪感を軽減するための偽善にすら思えてくる。

私は未来のために戦う筋肉をちゃんと持ってるかって考える。分からない。ただまだ私には大きな権力に対してはあまりに小さいかもしれないけど声があるし手も足もあると信じて、それを自分や私の大切な人たちに恥じないように使いたい。

2023.09.02

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